「天は自ら助くる者を助く」。
英語では「Self Help」と表しますが、それは「自分を大事にして自分自身を磨いていくこと」です。
自分を敬うことは、自分の死にざまを自分で決めること。
幸せも成功も、自分自身で決めること。
勇気と希望を忘れないことである、と著者は言いました。
自分に克ち続けることが真の栄光をもたらす
栄光ある人生を望んでいる人は少なくないでしょう。
しかし、外界で生み出される栄光を手に入れるには、実は支店を自分自身に向ける必要があると著者は言います。
栄光を手に入れようと外界の評価を気にして、そのためばかりに生きていると、自分自身が空洞化してしまうからです。
真の栄光とは、自分自身が今の自分に克ち、成長していくことによってもたらされる結果であると著者は言います。
もしも現在の自分に栄光を感じないのであれば、栄光を手に入れるのにふさわしい自分を追求していくしかないのです。
自分自身に目を向けて己に克つことによってやってくるご褒美が真の栄光。
過去の賢者・勇者たちは、いずれも成長という自分自身の変化を勝ち得たからこそ、栄光ある人生を送ることができたのです。
栄光は、外界によって作られたように見えながら、実はあなたが創り上げた、あなた自身そのものだと著者は言います。
有能な人物には 才能・勉強・実践がある
あなたという財産を活用するために必要なことは何でしょうか?
まずは才能です。
ひとには両親あるいは代々にわたって引き継がれてきた遺伝子という能力があります。
その影響を無視することはできません。
しかし人間の仕組み上、有能な人になるためには、才能だけでは足りないと著者は言います。
その1つが勉強することです。
つまり、有能な人に貼るためには、学びに自己投資することが絶対に必要不可欠です。
勉強なくして有能になることはできません。
勉強することにより、人は才能を活かすためのさまざまな新しい知識を得ていくことになります。
知識がなければ、判断やアイディアの根幹になるものもはぐくまれないからです。
ただし、知識を得るだけでなく、知識に基づいて実際に実行することが何よりも大事だと著者は言います。
物事を知らないことには何も始まりませんが、知っているだけでは有能な人物にはなれないのです。
「知っている」と「できる」は違う。
つまり、知識と実践の間には雲泥の差があるのです。
しかし、多くの人はただ「知っている」だけで満足してしまい、有能への道を踏み外している人が少なくないといいます。
教養は、独学で身につける
教養とは広辞苑では、「単に学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それのよって個人が身に着けた創造的な理解力や知識」であると定義されています。
ここでは何を教養と呼ぶかが問題なのではなく、大事なことはその教養をどこでどうやって身につけるかということ。
単なる知識なら、学校を始めとする場所で身に付きます。
しかし、実際に社会で役立つ知識は、自分自身が体験したことでしか得られあいのです。
ほかの人に自分の代わりに体感してもらうことは誰にもできないこと。
実践の結果として得た、自分しか体感できないものによって、知識に価値があるのです。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。