勇気がない人は、「特別」であろうとします。
なんの特徴もない「普通」の自分では、他者から受け入れられない、価値がない、と思っているから。
現在の自分とは違う、特別な何かを手に入れなければならないと思っているのです。
「特別な才能があれば」「学歴があれば」「容姿が良ければ」受け入れてもらえる。
「特別」という免罪符が無ければ生きていけないと信じているのです。
勇気がある人は「普通」であろうとする
それは、現在の自分を信じていない、ということ。
そして、周囲の人を仲間として信じていない、ということです。
自分と他者を信じていないのが、勇気がない人の特徴です。
勇気がある人は、「普通」であることを恐れません。
「特別」でなくても、今の自分のままで十分、仲間から受け入れられる価値があると思っているからです。
それは、欠点や不足のある自分をありのままで受け入れられているということ。
そして、周囲の人を信じているということです。
共同体感覚を鍛える方法
アドラー先生は共同体感覚について、さまざまな角度から定義しました。
そのひとつが、「個人は全体の部分として生き」ることです。
全体とは共同体を指します。
全体とは共同体を示します。
つまり、共同体感覚がある、ということは「自分よりも大きな団体、組織、社会、宇宙に自分は属し、その一部である」と認め、「一部として生きる」ことです。
アドラー先生が言う共同体とは、具体的な組織ではありません。
それは抽象的な概念です。
「現在ある共同体や社会」ではありません。
「全人類の理想的な共同体、進化の最後の完成を意味する目標」を共同体と定義しているのです。
ですから、ここでいう全体とは、「あらゆる人、生物、宇宙が幸せになる理想的な架空の世界」。
私たちが「全体の一部として生きる」ときの全体とは「人類の理想」のこと。
決してあなたの目の前にある組織の歯車になれと言っているのではないのです。
共同体感覚の発揮とは、目の前の組織の言いなりになるのではなく、「みんなが本当に幸せになるにはどうすればいいだろう?」と考え実践することです。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。