勇気とは「自分には貢献する能力があり、価値がある」と思える感覚であり、「困難を克服する活力」です。
勇気さえあれば、人は人生の有益な側面にふみとどまり、努力し、協力します。
しかし、勇気が欠乏すると、人は「これ以上失敗して傷つきたくない」と、課題から逃げ出すのです。
以前ワタシも勇気がない状態になり、今も課題から逃げているところです。
でも、もう逃げたくないので、アドラー先生の言葉に力をもらいたいと思います。
「勇気づけ」とは、「自分には貢献する能力があり、価値がある」と思えること
勇気が欠乏してしまったら、どうしていけばいいのでしょう。
欠乏したら、補充すればいいのです。
勇気づけの代表的な行動は、相手の「貢献」に「感謝」を伝えること。
あなた自身やあなたが勇気づけたい大事な相手に「助かったよ」と言葉にすることです。
言葉をかけられた相手(自分自身であっても)は、「貢献できた」「必要とされている」と感じることができます。
それは、勇気づけの行動にほかなりません。
しかし、勇気づけは、単なる「言葉かけ」だけではありません。
仮にあなたが何も言葉を発しなくても、あなたの表情や視線、さらには存在そのものが相手の可能性や能力を信じ見守っていることが伝わること。
それは十分に勇気づけになります。
その逆に、もしあなたが「ありがとう、助かったよ」と伝えたとしても、相手を操作しようとする意図が見えたら、それは勇気くじきになります。
勇気づけとは、相手が「自分には能力があり価値がある」と思える働きかけのすべて。
単なるテクニックではないのです。
問題は失敗と言う「体験」ではなく、できないという「思い込み」
アドラー先生は言っています。
問題なのは失敗そのものではなく、失敗したことにより「自分にはできない」と「自分を過小評価する」「心理的な失敗こそが重要である」と。
ある人は仕事で失敗したときに「人生の終わりだ」と言いました。
しかし別の人は「取り返せばいいじゃないか」と前を向きました。
また別の人は「この経験を糧にしていこう」と勇気づけられました。
このように、経験そのものが未来を決めるのではなく、その人独自の「意味づけ」が勇気の量を決め、未来の行動を決めるのです。
アドラー先生はこう述べています。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも、失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、(中略)経験に与える意味によって、自らを決定するのである」と。
著者は、仕事での失敗、対人関係での失敗、仕事での失敗を繰り返してきたそうです。
一時はそれに絶望し、うつ病にもなりました。
しかし、アドラー心理学に出会えたことで、過去の意味付けと未来の行動を変えることができるようになりました。
どのような意味づけをするかは、常に私たち次第なのです。
今日は、少しは休めましたか?
勇気を失うことはいつも簡単です。
だからこそ、あなた自身を勇気づけてあげてください。
今日もあなたは、がんばったんですから。
夜くらいはゆっくり過ごして、素敵な夢が見られますように。
では、また。