ある30代女性は、全10巻の宗教書を捨てられないことを悩んでいました。
それは親から引き継ぎ、ずっと「大切なモノだから、捨てないで大事に取っておくように」と子どものころから聞かされていたモノ。
嫁ぎ先にも持っていて10数年、決して読み開くこともなく、圧迫感があるだけ。
それを、断捨離を知って思い切って手放すことができた、と著者に報告があったのです。
そこには、モノと向き合う中で彼女自身を見出した事実がありました。
常に「親の期待に応えよう」と良い子を演じてきた自分。
思い切って捨てたことによって発見できたのは、「本棚の空きスペースと、親の束縛から解き放たれた無限の解放感」でした。
親から植え付けられた概念を断捨離する
こうした例は、決して稀なケースではないと著者は言います。
”重荷の正体”が親の束縛だったというのは、とりわけ多いのだそうです。
弾きもしないのに、どっかりと鎮座するピアノの背景には、本当は自分が習いたかったわけでもないのに、いやいや習っていた子ども時代がひそんでいたり。
断捨離で親の敷いたレールからはずれるきっかけが得られたという人は、多いそうです。
たとえいくつになっても、親の庇護からとっくに離れ、経済的にも社会的にも自立している世代であっても、それは存在します。
例えば50代や60代(!)でも、親の概念を引きずっている人は、少なくないそうです。
他人の観念に無意識・無自覚に影響を受けていないか
モノと向き合い続けているうちに気づかされるのが、親や配偶者など身近な人から受ける観念の影響です。
それを好んで「意図的に」受け入れているならばよいのですが、無意識・無自覚なうちに影響されているならば、本当の意味であなた自身が「もったいない」のです。
親から受け継いだモノなど、自分の好みではないのに義理立てするために嫌々持っているならば、どこかで運切りをつける必要があります。
これは著者自身も自分に言い聞かせていることですが、「感謝」と「好き」とは別物です。
親を好きになれなくて苦しんでいる人を著者はよく見かけるそうです。
「感謝」と「好き」が一緒くたにされがちだから、自分を責めて苦しくなってしまうのです。
親に限らず、あらゆる人間関係も同じです。
人を嫌うことは、人を好きになることと同じくらい、理由なくある感情なのです。
ごく自然な感情であることを認めてあげれば、その正当性を確認する必要がかえってなくなります。
嫌いなものは嫌いだもん!しょうがない!と、これもまた居直ってしまいましょう。
そうやって、あなたの感情を認めてあげることも「内観」と言えるのです。
少しは休めましたか?
明日のあなたのために、せめて夜はのんびり過ごしてくださいね。
明日からのあなたに、たくさんの幸せがやってきますように。
では、また。