上司の新築パーティに呼ばれた、みつろうくん。
庭で同僚たちとバーベキューをしながら、彼は上司に言いました。
「いや~。豪手じゃないですか!よくサラリーマンのくせに、思いきってこんな家を建てちゃいましたね!
会社が明日倒産するかもしれない、急に給料がカットされるかもしれない、離婚して慰謝料を抱えるかもしれない。
それなのによくもまぁ、こんな立派な家を建てる気になったもんだ」
すると部長は、
「えーっと、”お祝いに来てくれた”という認識でいいんだよね?
部下の中で一番仕事ができない、そこさとう君」
と返し、嫌味合戦に・・・。
そのまま酔っ払って眠ったみつろうくんの夢に、神様は出てきます。
みつろう君は、神様に毒づきました。
「何もかも目の前に叶い続けているなんて、でたらめだ。
俺には『豪邸を建てたい』って願っているけど、現実では叶っていないよ?」
すると神様は、「叶っているけれど、気づいていないだけじゃ」と返します。
見る人の解釈だけバラは違って見えている
願いには、いろんな色や種類があり、その1つに「信じたい」という願いがある、と神様は言います。
神様に言わせると、それは私たち人間はわかっていないことだとか。
「信じる」とは、「こうあってほしい」と願っている状態のことです。
例えば、「正義は勝つ」とあなたが信じているなら、それは「正義は勝ってほしい」とあなたが願っていることです。
ようするに、「その人が”信じている”こと」とは、「その人が”そうであってほしい”と願っていること」だということになります。
だから、口では「豪邸を建てたい」と口ではみつろうくんは言っていますが、心の底では「サラリーマンには豪邸なんて建てられない」と信じているのです。
そう神様に指摘されたみつろうくんは、反論します。
「当たり前でしょ!そんなアホみたいなことができるのは、広い日本でこの上司くらいだ!」。
実は、「百億円が欲しい!」とみつろうくんが叫んでみても、百億円が空中から浮いて出てこないのと同様なのです。
本当にそんなことが起こることをみつろうくんが心の底では信じていないから、それは起こらないのです。
口では何と言おうと、心では別のことを信じている、ということが人間にはよくあります。
例えば、「物質は空中から出てこない」と理科の先生に習って信じているし、「簡単にお金持ちにはなれない」と大人から言われて信じている。
それに、「怪しい人の話を信じちゃダメ」だとも信じています。
ほかの無数の”信じること”を抱えて人間は生きています。
そのみつろうくんんの信念がさっき、「百億円を空中から出す」ことを許しませんでした。
そこでみつろうくんは、「空中から物質は出現しないというのは常識じゃねーか」と反論します。
しかし、神様は言うのです。
「常識」なんてものは、この宇宙に1個もない。
それは自分が勝手に「常識」だと信じているだけ。
日本の常識は海外の非常識。
「常識」とは、自分が勝手に思い込んだルールのことだから。
それぞれの人が、それぞれになにかを信じ込み、各々の「常識」の中で窮屈に生きているのです。
だから、みつろうくんが自分を幸せではないというなら、それはみつろうくん自身が「俺は幸せじゃない」と信じているから。
それはつまり、「俺は不幸であってほしい!」「宇宙よ絶対に俺だけは、幸せにするなよ!!」とみつろうくんが本気で願っていることになるのです。
神様が言う人間同士の共通ルールがあります。
それは、「信じたものが、現実となる」です。
しかし、「事実は1つだ」とみつろうくんは反論します。
「バラをしっとるか」と問いかける神様にみつろうくんは、「知ってるよ。赤くて美しい、あの花のことでしょ?」と答えます。
神様は、
じゃがある人は、バラを見て「トゲトゲしい」と言うんじゃ。
「事実」というバラがもしあるのなら、すべてが同じことになるはずじゃないか?
しかし、バラを見る人の数だけ答えは違う。
それぞれが、見たいように現実を見ておる証拠じゃ。
信じたいように、何かを信じて。
解釈したいように、解釈して。
それを人間は「現実」と呼んでおるだけなんじゃよ。
神様は言うのです。
「事実」というバラがなかったように、たった1つの事実なんてどこにもない。
あるのは見る人それぞれの「解釈」だけ。
新しい職場になって1か月、まわりの人たちのことが見えてきたころではないでしょうか。
あなたの周りにも、「不満や不安を口にしている人」が「不満や不安なことを引き寄せている」ことがありませんか?
「あの人、怖くて私は意見を言えない」
「あの人は、話しにくいから、困っちゃう」
そう言っている人が、ますます人間関係をこじらせていたりしませんか?
はたから見ていると、もったいないですよね~。
どう見たって、その人の解釈が変わればきっと「現実」が良い方に変わっていきそうです。
そういいながら、ワタシ自身も長い間自分の勝手な解釈で自分自身を不幸に追い詰めてきた時期がありました。
「信じていることは、願っていること」ならば、「自分は幸せだ!」と信じてみました。
そうしたら、不満ばかりだったパートナーとの関係も、なんだかよい方に解釈できるようになってきました。
実はコレ、人生の中でかなり大きな前進でした。
やってみると、効果があると思います。
この先の毎日、少しは休めますか?
暦の上ではせっかくのお休みですから、よく体や心をいたわってくださいね。
では、また。