「信じたことが現実になる」という宇宙のルールがあることを、先日読みました。
今日は、神様は「鏡より先に笑う」という話をしてくれます。
みつろうくんは、町が見渡せる公園で仕事をサボりながら、景色を楽しんでいます。
神様が出てきて、言いました。
「こんなところでサボるなんて、街中にサボりをばらしているようなもんじゃ。
まぁ、人間はいつも下を向いて居おるから、大丈夫じゃろうがな。
上を見る奴なんておかんからな」
鏡より先に笑う
人間は「ふと、上を見上げる」ことができない、目の前の現実だけを直視して生きている、と神様は言います。
学校、仕事、子育て、家事・・・。
目の前の「現実」に追われながら、生きて死んでいくのだと、今日のみつろうくんはちょっと詩人になって言いました。
神様は言います。
確かに言う通りで、目の前の「現実」は、その人が創り上げている。
その人が、見たいと思った現実が、見えている。
だから、この街の人たちは悩んでいるかもしれないが、結局みんな幸せ。
そして、誰もが死ぬ瞬間に気づくことは、
「この人生、なにもかもすべて思い通りだったのか!」
ということ。
みつろうくんは、「この世界の隠されたルール」を知った以上、宝くじでも買いに行こうかな?と言い出します。
神様は、言います。
「信じたことが現実となる」ということは、現実とは違うことを信じる必要がある、ということ。
「鏡より先に笑う」とは、このこと。
それなのに人間は、悲しいことが起こるとただ「悲しい」、いらだつことがあると「むかつく」と言ってしまいます。
それでは、いつまでたっても現実が変わらないのです。
出来事が起こるたび、宇宙はあなたに聞いているのです。
「このできごとをどう思いたいですか?」と。
現実という鏡を見て、感想文を言うんじゃなく、それをどう思うか意思を表明するのです。
ただ、「悲しい」「むかつく」では、そうした出来事が当然のようにループするだけです。
そこから抜け出す唯一の方法。
「想像」です。
「想像」とは、現実とは違うことを好き勝手に思える奇跡の能力だと神様は断言します。
現実という鏡に映ったこととは違うことを、鏡より先に思えるこの「想像」は、宇宙に変化を起こせる唯一の力です。
たとえば公園の駐車場に停めてあるみつろうくんの車が、ぶつけられたらどう思うでしょう?
みつろうくんは、「泣きます。公園でサボっていたということが会社にばれるからと言う理由で」と答えます。
神様は言います。
「車と車がぶつかる」というのは、ただの物理的現象。
ガラスが割れ、鉄がゆがみ、煙が出る。
しかし、人間は、その決まりきった「現象」に対して、違う反応を見せる。
「車と車がぶつかる」という現象に、「しょっしゃ!」と言う人もいる。
新しい車を買いたがっている人が、車をぶつけられると、相手の保険で新車が買えるからです。
つまり、「できごと」には、与えられた唯一の意味なんてない。
「無意味のできごと」に、人間が意味をつけているのです。
だから、今日からは、「現実」を見て、それとは違う「思いたいこと」を想像すること。
「想像」という人間の奇跡の能力をフルに利用すること!
ここで、神様からの宿題が出ています。
時間をとって、日常とは全く関係のないことを想像してみましょう。
想像している間、あなたの心は軽くなるはずです。
そして、それは「現実」から抜け出し始めたたしかなキザシです。
なにかあったときに、「やったね♪」などとつぶやいていると、さらに良いことがおきたりしますもんね。
大事なのは、「事実」を見て、それを良い方の解釈で(いつもの「うんざりする」解釈ではなく)見ることなのでしょうか。
今日もおつかれさまです。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。