感受性の強さを生まれつき持ち合わせていた著者。
6歳で修道女たちの言葉にひどくおびえ、16歳でむなしさを埋めるように飲酒に走り、21歳で未婚の母となり、30歳で大学を卒業し、シングルマザーを18年続け、40歳でとうとう結婚。
著者を大事にしてくれる男性の妻になって、41歳でガンを患いました。
45歳になって、ベッドで著者はしみじみ考えました。
人生から学んだこと。
それらをペンですくいとり、紙に移したものを清書して新聞のコラムに載せたいと思いました。
何度も編集者は首を縦に振りませんでしたが、ガンになったからこそ、著者は上司とくりかえし掛け合いました。
タイトルは、人生がわたしに教えてくれた45のレッスン。
化学療法と放射線治療で頭髪を失い、体力がすっかり落ちた経験に比べれば、どんなことでも耐えられるのだといいます。
この本の読み方として、著者はさまざまな読み方を提案しています。
たとえば
・そのまま自然に読む
・目次を眺めて、自分にピッタリくるレッスンを読む
など。
やってほしいことのひとつとして、「読み終えたら、毎日じっくり無理をせず『わたし』をいつくしむ」というものがあります。
あなたが、なにか1つでも「ぴん」とくることがあったら、読んだ後ぜひあなたをいつくしんでほしいのです。
45個はご紹介しきれませんが、ワタシの独断と自分の身につまされたものをチョイスいたしました。
気に入ったものがあれば、読んでみてください。
1.自分で自分を追い詰めない。
「もっと気を楽にして。そんなに思いつめないで。自分をそこまで追いつめないで」
昔の著者は、しじゅうそんなふうにいわれていました。
(ワタシもよくそう言われます・・・)
家族や友人、同僚のみならず、たった5分しか話していない人からも(!?それは重症)。
しかし、著者は何を言われているのかさっぱりわかりませんでした。
わからないまま、自分を擦り減らしながら生きて、そしてとうとう白旗をかかげました。
「あらゆることに完璧でなくては」と言う思いは、著者にとって生まれつきと言ってもいいほど強いものでした。
しかし裏を返せば、自分は何をやってもダメだという強い思い込みに過ぎなかったのです。
自分に厳しくするあまり、著者は、あれもこれもと異様なほど仕事を抱え込むようになり、ささいなことでも人まかせにできなくなりました。
やることリストは果てしなく長くなるばかり。
実はそれまでにたくさんのものが、それまでに著者にサインを送っていました。
のんびりしろ、ほんとうに大切なものに集中しろ、と。
汚れたグラスがカウンターにくっついたとき。
常備してあるはずの生活用品や食品をスーパーでなく、コンビニで調達しなけれあならないとき。
やることリストが日に日に長くなってきていたら、ちょっと考え時なのかもしれません・・・。
2.「欲しいもの」か「必要なもの」か、考えてから買う。
著者の父親は、かならず現金払いでした。
現金がない時は、買わずに済ませていました。
その父は板金工、屋根職人、炉の修理など、季節に応じてやっていました。
収入の範囲内で11人(!)の子供を養い、すべては間に合っていました。
その父は「それを払うだけの余裕はない」「それに出せるお金はない」とは一度も言いませんでした。
著者たち兄弟が欲しがるものを見て、「おまえには必要ではない」というものでしたし、その通りでした。
必要ではなかったのです。
ただ、欲しかっただけ。
欲しいという気持ちは、鍛えることでコントロールすることができるそうです。
著者はクレジットカードを持つようになりました。
しかし、ある日気づいたのです。
明細表を丹念にチェックしていくうちに、クレジットカードでなかったら、ほんとうにこれを買っていたかどうか?というものが紛れているという事実。
そしてもうひとつやってみたのが、自販機で買うジャンクフードや、コンビニ、レストラン、コーヒーショップ、食料品店で買う金額を書き留めること。
全額足すと、信じられない額でした。
これは、家計簿をつけることで減らすことができました。
もうひとつ、実践したこと。
財布に次のような付箋を貼ったことも効果がありました。
〈かならず現金で支払う。48時間がまんする〉
急を要しないものならば、100ドル使う前に2日かけて考えるのです。
ほんとうに必要なものか、それともほしいだけか。
豊かな暮らしをするために必要なのは、宝くじに当たることでも、お金持ちと結婚することでも、昇給することでもない。
何より必要なのは、意識を高めること。
欲しいものは、どうしても必要なものではないのです。
さらに言うなら、どうしても欲しいものでもないかもしれません。
3.「いま」を「つらい過去」に占領させない。
なにもかもが絶好調だったのに、ある日突然そうではなくなったりする日があります。
ありふれた出来事なのに、何だか気持ちが穴に落ち込んでしまうのです。
きっかけは人によってまちまちです。
しかし著者は人よりも過敏なところがあるせいか、ごくありふれたにおいやものがはずみで、昔のことがフラッシュバックして、たびたびに穴に突き落とされていました。
以前は穴から這い出るのに、何日もかかっていました。
それでも仕事をし、食事の支度をし、我が子と遊び、やらなくてはいけないことはたくさん。
いつ、心のなかが破綻してもおかしくない状況でした。
たとえばある日著者は、いつものように自分の車をガレージに入れていました。
夫が車を1インチ動かすように言いました。
その通りにしたけれど、彼は満足せず、「だめだ、もうちょっと」と言い張ります。
そんな瞬間、穴はやってきました。
どうして完璧でなくてはいけないの?
どうしてわたしはうまくやれないの?
どうしてこんな嫌な思いをしなければならないの?
ただ車をずらす作業だけなのに、気持ちが穴に落ち込んでしまったのです。
著者はこういうとき、内側に破裂します。
外側に向かって叫んだり激怒したりしません。
ただ、あきらめて泣いてしまうのです。
(ワタシもよくやりますが、かえって質が悪いですよね)
駐車場でフラッシュバックしたのは、幼い時に父親に叱られた記憶でした。
自力で穴から速やかに脱出する方法
穴から自力で出るためのポイントです。
①まず穴に落ちたことを自覚する
状況と自分の気持ちが合っていない場合、穴に落ちている可能性が高い。
②とりあえず、その瞬間を凍結させる
これは現在の状況に対する反応か?過去の出来事への反応か?
③過去への反応は変える
過去の出来事は変えられないけれど、反応は選べます。
そうすることで、現在を変えられます。
さらに、次の方法は著者がカウンセラーに教えてもらったもの。
小さなカードを用意して、自分がおとなとしてきちんと役割を果たしている証拠を書き込んでいきます。
年齢、学歴、取得した資格、仕事上の肩書、運転、投票など大人であることを示す事実を書きます。
穴に落ちそうなとき、このカードを出して読みます。
もう自分は子どもではない、いまはちゃんとしたおとなだと言い聞かせるのです。
そうしてなんとか現在と言う足場に踏みとどまるのです。
カードの裏側には救助隊の連絡先を書きます。
ごく親しい付き合いで、ありのままの自分を愛してくれる人をリストにしましょう。
自分というものを、まったくあたらしい角度からとらえなおすことは、簡単なことではないと著者は断言します。
でも、それをすれば、とても生きやすくなる、とも言っています。
そして、その症状のいちばんの特効薬は、同じように「自分はダメだ」となっている人を引き上げることです。
そんな人を見つけたら「大丈夫だよ」と声をかけること。
その行為で、あなた自身をも助けることになるのです。
今月は、クレジットの支払いは滞るわ、自己嫌悪の穴に陥って独り言が多くなって夫に指摘されるわ・・・。
ここんところ、やることリストもえらく長くなっていました・・・。
もっと、人生をいつくしみたいと思います。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。