新品の靴は、気持ちいいのですが、あなたの足にフィットするのにしばらく時間がかかります。
でも、もし新しい靴にあなたのほうが合わせなくちゃいけないとしたらどうでしょう?重心のかけ方や歩き方の癖を変えなくてはならなくなります。
立場が逆になってしまうのです。
これが目に見えない心の問題になると、話はちょっと微妙になります。
あなたは、知らず知らずのうちに、あたかも靴に自分の足を合わせようとして苦しんでいるような、そんな生き方をしてしまってはいないでしょうか?
逃げるのは、悪いこと?
著者の知り合いに、こんな人がいます。
「いまの仕事が嫌いで、辛くて、苦しくてしかたがない。
同僚も、客も、イヤな奴ばかり。
仕事内容も、法律ぎりぎりの詐欺まがいで、誇りを持てない。」
と言います。
「だったら、辞めたらいいじゃない?」
と著者が言うと、
「それは、逃げるようで嫌だ」
と答え、いまでもまだ同じ仕事をしています。
大嫌いで、軽蔑して、心から憎んでいるその職場に、その人は、自分を合わせようとしているのです。
どう考えても足に合わない靴をがんばって履いて足をいじめている。
足が血だらけになったり、骨がゆがんだりしても、別の靴に履き替えることは逃げることのようで嫌だと言っている。
いつか自分の足の形が変わって、靴に足がフィットするようになるに違いないと思っているのです。
ここで悪いのは、昨今の雰囲気だけの「ポジティブ思考」だと著者は思うのです。
ポジティブ病の弊害
ろくに考えもしないで「諦めるな!」「がんばれ!」などと言う人が多いのです。
言っている人は、その子の場によっているので始末に負えないのです。
大切なのは、「がんばることそのもの」ではなく、「何のためにがんばるか」ということではないでしょうか。
「甲子園出場」のためにがんばっているなら、練習がつらいほど、がんばることは喜びになるかもしれません。
「愛する人の笑顔」のためにがんばっているなら、苦しい時もその笑顔を思い出してがんばれる。
しかし、「なんのために」がひとつもなかったら、がんばることになんの価値があるのでしょうか?
ポジティブ病の人は、「何を目指してがんばるか」ということを考えず、やみくもにただ、諦めるなと言います。
「靴が合わなくても、がんばって履いていれば、そのうち足が麻痺していたくなくなるから」とでも思っているのでしょう。
わたしたちは「がんばり方」を小さいころから教わってきました。
ですが、どうやって逃げたらいいかを教わっていません。
だから、追い詰められて、いよいよダメだというときに、自殺することしか思い浮かばない人たちが増えているのです。
だから大事なのは、正しい「逃げ方」です。
環境を作るということ
他人は、あなたに合った環境を用意してくれません。
あなたには、あなたの環境を自分で作り上げていく責任があるのです。
環境が悪いなら、自分から積極的に働きかけて、環境を少しでもいいものにしていく努力をしなければなりません。
そのためには、ときとして、辛い決断をしなければならないこともあります。
付き合っている友達があなたをダメにするなら、あなたはその友達から去らなくてはならない。
職場が、あなたをダメにするなrあ、あなたはその職場を捨てなくてはならない。
寂しいことです。
苦しいことです。
でも、自分の環境を作ることは、楽しいことばかりではありません。
区別しなければならないのは、「わがままで逃げるのと、自分の環境を作るために逃げるのとは違う」ということ。
「怠けて逃げるのと、自分の環境を作るために逃げるのとは違う」のです。
遠慮なく逃げていい。
ただし、ただ嫌だから逃げるというのはダメです。
「何に向かって逃げるのか」ということを、あなた自身の中ではっきりさせておっくことが大事です。
「何から逃げるのか」ではないのです。
「何に向かって逃げるのか」ということです。
「この友達とは気が合わないから逃げよう」というのではなく、たとえば「もっと明るい希望のある友達関係に向かって逃げよう」と考えてみる。
「いまの職場が退屈だから逃げよう」と考えるのではなく、「もっと将来につながる仕事ができる職場に向かって逃げよう」と考えてみる。
できればもっと具体的に「司法書士の資格をとりたいから、そういう資格のとれる職場に向かって逃げよう」というように考えられたらなおいい。
「いじめられるから学校から逃げよう」ではなく、「自分の尊厳を守ってくれる学校に向かって逃げよう」と考えてみる。
環境を作っていくには、もちろん我慢も必要です。
でも、我慢のための我慢では、意味がない。
仕事でお、あなたはやりがいを感じられる仕事をすべきです。
好きな仕事をすべきです。
でも、それができるためには、環境を他人任せにしていてはいけないのです。
好きな仕事ができる環境は自分自身が作っていくのだという覚悟をしなくてはなりません。
「そんな、自分の好きなことをやって生活できるはずがない」と言う人がいます。
でも、好きなことをやって生活が成り立たないのに、なぜ嫌いなことをやって生活が成り立つと思うのでしょうか?
そういうことを言う人たちは、「足にフィットした気持ちいい靴なんかを履いて、まともに歩けるはずがない」と、きっと思っているに違いないと著者は思うのです。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆるりと素敵な夜を。
では、また。