褒めることは、とても難しいことです。
たとえば、一番に出勤してきて、窓を開けて空気の入れ替えをしてくれている人が仕事先にいたとします。
あなたが
「毎朝の〇〇さんの気遣いのおかげで、いつもみんな笑顔で気持ちよく仕事ができます。
私もそうなりたいな」
と声をかけてあげたとします。
その人にとってまさにツボにはまったさいこうのほめ言葉だったのでしょうか。
あなたの言葉は、極上のその人の笑顔を引き出しました。
そういうほめ方ができるのは、あなたが相手に気持ちを向けたからです。
興味を持ってあげたからです。
けなすことは、あっけないくらい簡単です。
工夫なんかいりません。
どんなに頭が悪い人でも、他人をけなすことなら簡単にできます。
誹謗中傷とクリエいティビリティ
あなたが不愉快な思いをしたり、傷ついたりするような誹謗中傷をする人がいたとします。
その言葉を目にしたとき、あなたはひどくショックを受けることでしょう。
その言葉の中に少しは真実があるかもしれません。
でも、あなたを思っての苦言であれば、同じ内容でも、それほど傷つきはしないはずです。
あなたを傷つけるのは、その内容ではなくその言葉に込められた「悪意」ではないでしょうか。
かっこいい白い服は、ほかの色の服に比べて汚れが目立ちます。。
同じように、あなたのような優しい人は、誰かたったひとりから悪意を向けられただけでも、まるで世界中から自分が憎まれているような錯覚に陥って、大きなショックを受けてしまうのです。
だから、心ない中傷に純粋なあなたが傷つくのは、無理からぬこと。
韓国の有名女優がネットで中傷されたことを苦にして自殺したこともありました。
そんな時代だから、私たちは、心ない悪意から自分の心を守る方法を知っていなければなりません。
誹謗中傷好きな人とは
人をほめるのには、創造力や観察力や頭の良さが求められます。
しかし、人をけなすのにはセンスも何もいりません。
その人は、鬼の首をとったかのようにあなたのことを批判し、あなたを傷つける言葉を得意げにばらまきますが、それらは、その人が発想した言葉ではないのです。
どこからかもってきた言葉なのです。
誰かの真似で合ったり、何かで読んだセリフなのです。
なぜなら、誹謗中傷が好きな人と言うのは、自分でオリジナルの言葉を考える創造力、クリエイティビティがないからです。
本当にクリエイティブな人は、人を批判するような言葉をほとんど口にしません。
なぜなら、「けなす言葉には創造性がない」ということを良く知っているからです。
だから、けなす言葉はどこか似たり寄ったりしています。
最初こそショックを受けますが、繰り返されるうちに免疫がついてきます。
そして、こちらが黙っていたり、ネットでの中傷を見ないようにしていると、そのうち相手の方が息が切れてきます。
言葉を創造することができないので、ネタが尽きてしまうのです。
悪口を言う人の心の正体
実は、一番人間がつらいのは、無視されることです。
子どもでも、親の注意を自分に向けるために、わざとトラブルを起こしたりすることがあります。
恋人同士ても、相手の気持ちに対して不安になったとき、あえて悪態をついて嫌われることをしたり。
それほど、人から相手にされないことは辛いのです。
この「ほめてもらえないなら、せめて悪口を言われたい」という心理をひっくり返して考えてみると、他人を中傷する人の心の正体が見えてきます。
人をほめるだけのクリエイティビティが自分にないことを知っているから、せめてどぎつい悪口で他人を不愉快にすることで、自分の存在を主張したいのです。
悪口に独創性はなく、本当は「疑似クリエイティビティ」ですが、誹謗中傷を口にしているときは、あたかも自分が想像力のある人間だと錯覚できます。
だから、他人を批判ばかりしている人も、心の深いところでは、「自分もクリエイティブでありたい」と望んでいるのです。
しかし、他人の欠点を責める態度の中には、創造性は決して宿りません。
自分への悪口は、心が騒ぐものです。
しかし、自分に対する誹謗中傷には耳を貸さないという覚悟を決めることです。
そして、そのぶん人をけなすよりずっと難しい「人をほめる」ということにあなたのエネルギーを注いでください。
それがあなたのクリエイティビティを高めてくれます。
それは、向けられた悪意を、自分の中で善意に変容させることになります。
つまり、受け取った悪意を、悪意のまま別の人へと連鎖させていくのではなくて、悪意(中傷)をあなたのなかでいわば「浄化」し、善意の言葉に変えて、人に広めていくということ。
これ以上にクリエイティブな心の在り方があるでしょうか。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。