「オリンピックには魔物がいる」とよく言われます。
アスリートにとっては4年に1度の特別な大会です。
極度の緊張やプレッシャーという”魔物”に飲み込まれてしまい、ふだんできていることがまったくできなくなったりしてしまうのです。
実は、ソチオリンピックのときの羽生選手は、金メダルを獲ったにもかかわらず、「魔物に負けた」と振り返っています。
「これはオリンピックだ」と思いすぎたため、自分で自分にものすごいプレッシャーをかけて極度に緊張し、フリーで自分の思い描いていたベストの演技ができなかったからです。
ところが平昌では、「魔物に助けられた」と言うのです。
魔物に「勝った」ではなく、「助けられた」?
あまりにも不思議な言葉に驚いて、詳しく聞くと羽生選手独特の言葉が返ってきました。
「フリーの6分間練習でなかなかジャンプが決まらなかったとき、”魔物”から『これはオリンピックだぞ。もっと緊張しろ!』って、背中をポンと押されたんです。それで緊張感がよみがえってきました」
6分間練習でジャンプが決まらなかったのは、あまりに落ち着きすぎて、どこか集中しきれていないところがあったから。
そうした心の隙につけこんで”魔物”がやってきたというわけです。
ふつうなら、それで縁起がおかしくなってしまうところです。
けれど、羽生選手は、ジャンプが決まらないことを”魔物”から気合を入れられたんだ、というとらえ方をして、いい意味での緊張感をとりもどしたのだと表現します。
つまり、”魔物”さえ味方につけ、それを力に変えたのです。
「なんという選手なんだ!」と著者はまたまた驚いてしまいました。
こうして迎えたフリー本番。
GOE(出来栄え点)で満点を取るために、より質の高いジャンプをすることに徹しました。
そのためには、心がブレないことが最も重要です。
試合前の彼のインタビューへの答え方や練習の仕方は、傍で見ていてもとても落ち着いていました。
しゃべる内容は「戦いモード」でも心は落ち着いている状態を、意識的に作っているようにも著者には見えました。
そこに、「もっと集中しろよ!」という”魔物”の言葉”をうまくプラスしたことで、会場を支配するようなあのすばらしい演技ができたのでしょう。
羽生選手はけがをする前から「平昌ではどんなことがあっても勝つ」と言っていました。
けがをしてからも、その意志が揺らぐことはありませんでした。
彼は、「苦しい中で、よくやったね」という言葉が大嫌いな人だと著者は言います。
フリーの演技の時は、世界で一番と言っていいくらい自分にプレッシャーをかけ、とことん自分をおいつめたはず。
だからこそ、それまでの競技人生の中で最も心がブレることなく、最後まで質の高いジャンプができたのだと思います。
後半のジャンプで一瞬バランスを崩しながら立て直すことができたのも、それゆえでしょう。
そして、金メダルを手にした羽生選手。
「これ以上、満足するものはない」と言い切りました。
317.85点という点数は、330.43点のパーソナルベストからは差がある数字です。
しかし後悔するような言葉はいっさいありません。
すべて出し切った、という気持ちだったのでしょう。
それほど足首の痛みはひどく、とんでもない無理をして演技をしていたのです。
「けがをする前はこんなこともできたのに」「本来の自分ならもっと点が取れるのに」とは思わず、「現時点の羽生結弦ができること」に集中しきっていました。
調子のいい時の自分とくらべなかったことが、彼の一番の勝因だったと著者は思うのです。
メンタルの作り方がすごいですね。
自分の弱い部分を思い知らされたとき、たた打ちひしがれてしまった時期が自分はあります。
凡人なので、ただただ「自分ってダメだ・・・」と落ち込んでいました。
次にそんな機会があったら、それを「引き出し」に変え、やり方を変えていくきっかけにしていけたら、と思います。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。