平昌オリンピックの後、羽生選手は3月に予定されていた世界選手権の欠場を発表しました。
そこで明らかにされたのは、人体や県を含めた右足損傷のため約2週間の安静と約3か月のリハビリが必要という体の状態でした。
やはりふつうなら出場もできな状況下でオリンピックを戦っていたのです。
オリンピックが終わり、東京で日本選手団の帰国報告会が行われるときに聞いた際も、「体じゅう、いたるところが痛かった」と言っていました。
足首は身体を支える重要なところなので、かばえばかばうほど、体のほかの部分に影響がおよんで痛みが出るのです。
本来なら完全に治してから練習に入るべきです。
しかし、オリンピックが目前に迫っていたため、彼自身すべてをわかったうえで、練習再開を決意したのでしょう。
平昌オリンピックで男子のフィギュアの試合が始まる前のインタビューで、じつは著者はためらいながらも「オリンピック出場を迷った時期もあったのでは?」と質問していました。
すると羽入選手は
「正直、無理かなと思う時期もありました」
と、迷いがあったことを正直に明かしてくれました。
「でも、大事なのは、いまオリンピックの場所にいて、いま滑れていること。
それがすべてだと思います。
苦しくて自分を疑った時期もあったかもしれないけれど、やりたいことが前向きにできているのであれば、過去の弱い自分を振りける必要はないと思うんです」
「過去の弱い自分を振り返る必要はない」という言葉は、「弱かった自分から目を背ける」というマイナスな意味ではありません。
「ネガティブになったこともあるけれど、いまの自分はそういう弱さによってつくりあげられたんだ」と自分自身を絶対肯定する、どこまでも前向きな言葉です。
ソチオリンピックで金メダルを獲った後の彼は、「フリーでのミスが多かった」「メンタルが弱かった」などと、弱い言葉をたくさん口にしていました。
だから著者は失礼と知りつつ、
「こんなに弱いチャンピオン、僕は見たことがありません」と言いました。
その時彼は、この言葉に大きくうなずきました。
著者の指摘に対し、「弱いからこそ、強くなっていくんだ」と超前向きにとらえていたんだと思います。
「弱さは強さ」
これは、羽生選手がとても好きな言葉です。
平昌では、右足首のけがという弱さを、強さに転換しました。
それが羽生結弦の弱さの捉え方だと著者は断言します。
マイナスに見えることも、自分のとらえ方しだいでプラスになり、自分の強さに繋がっていく。
羽生選手はそのことを私たちに身をもって教えてくれました。
羽生選手はこういう意識の転換の仕方が得意で、何度も繰り返すことで強くなってきました。
もともと強かったわけではなく、カゼもひけば、けがもします。
そういったマイナス要素を超える超人的な力を備えていたわけでもありません。
弱さのとらえ方がみんなと違う、というだけなのです。
羽生選手の技術や才能はマネできませんし、心の境地までいくことはむずかしいかもしれません。
でも、彼の弱さのとらえ方やそれを強さに変換する考え方は、マネできるんじゃないかな?と著者は言います。
とらえ方次第で、弱さを強さにしていける、という羽生さんの姿勢に学べることは大きいと著者は思うのです。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね!
では、また。