ふつうに生活していれば、「感情」に関する悩みは避けられませんよね。
ストレスがたまる、怒りで何も手につかなくなる、仕事で失敗して落ち込む、大事なものを失くして悲しむ、将来が不安になる・・・・。そんなことばっかりです!
「感情をコントロールできたら!」という誰でも持つ願いに、ブッダは「感情で損をしない智慧」を提案しています。
今回のキーワードは、「心を前と後ろに分ける」です。
こんばんは、ラブです。
まず、悩みを整理する
仏教では、「感情に対する悩み」を2つに分類します。
①不快な感情が生まれるのを防ぐ。湧いてしまったら、早めにリセットする。
②相手とどう関わるか、を考える。
①は「感情」の問題で、②は「関わり」の問題です。
きわめて重要と著者は言いますが、この2つはしっかり分けて考えることが必要です。
実は、ほとんどの人がこの2つをごっちゃにしてしまうとか。
ワタシも目下の悩みは①②のごっちゃ混ぜになったものです。
「腹が立った」(怒りという感情が湧いた)ときには、もう即座に相手への対応である「あの人はこう言った、こうしてきた」という思いでいっぱいになります。
あとは怒りの感情と「自分は正しい」「相手はこうすべき」という判断をぶつけ合い、終わりのないバトル(悩み)に突入です。
「人間関係が悩みの種」とアドラー先生さえも言っています。
も、その言い方はブッダの考えに照らすと、「感情に悩まされている」と「相手とどう関わればいいのか」という2つの問題に分類すべきものです。
「感情」という自分サイドの問題と、「相手との関わり方」に分けて考えていきましょう。
反応しないことが最高の勝利
非難の言葉をあなたがぶつけられたとします。
もしもあなたが言い返せば、あなたも同じ反応をしたことになります。
それを「無反応」で返すことができたら、どうでしょうか?
ブッダも怒りをぶつけられたことがあります。
ある日、ブッダに対してとあるバラモンが、カーストを逆転させた弟子入りを認めたことに怒りました。
バラモンは、大勢の前で言葉の限りを尽くして誹謗中傷を浴びせました。
それに対してブッダは、
「わたしはあなたの差し出すものを受け取らない。
あなたの言葉はあなただけのものになる。
そのまま持って帰るがよい」
と、非難の言葉を「受け取らない」、つまり「反応しない」「無反応」ということで、返しました。
「苦しみのない心」を人生の目的とする以上「反応して心を乱されることは無意味である」と、はっきり知っていたからです。
ブッダの合理的態度から学べることは、「反応しないことが最高の勝利者である」という理解です。
仏教において勝利とは、相手に勝つことではありません。
「相手に反応して心を失わない」ことを意味するのです。
「相手にゆだねる」が人間関係の基本
もう一つ、ブッダのエピソードから学べることがあります。
それは「相手の反応は相手にゆだねる」ことです。
このバラモンには、「自分の方がカーストが上だ」という傲慢や嫉妬、敵意があったはずです。
ふつうならば、それに対して言い返したくなるところですよね。
人間同士のけんかは、常に慢と慢とのぶつかりあいでは、どちらも正しいという言い分があるものですよね。
その言い分を押し通すことで、自分の正しさを確認したくなるのが人間の心理です。
しかし、ブッダは「正しさ」は、人によってそれぞれ違うものだと理解します。
たしか、アインシュタインもそんなこと言ってましたね。
だからブッダは、「わたしのほうが正しいのだ、わかったか」と説得したりしません。
「あなたにとっては、それが正しいのですね」と理解するだけです。
「そうは言っても白黒つけなきゃいけないときもある」と思うでしょうけれど、それは「相手との関わり方」の問題なのです。
それは、後で書きます。
とりあえず、反応しない心をしっかり作ってしまいましょう。
そもそも人は、持っている脳も経験も違うものです。
だから「相手も自分と同じ考えのはず(同じ考えを持てるはず)」という期待・思い込みが「妄想」でしかありません。
そのうえ「自分は正しい」という”慢”もつねに働くものです。
こうした精神状態は「非合理な発想」にとらわれた状態。
リセットして「正しい理解」に立つことを意識することが大事なのです。
「相手の反応と、自分の反応とは、まったくの別物なのだ」ということ。
相手と自分の反応を分けて考え、相手の反応は相手にゆだねる・・・これが、人間関係で悩まないための基本なのです。
悩みを半分にする方法
相手の反応を相手にゆだねることで、「悩み」は半分になります。
あとは、「反応しない」ように努めれば、感情で悩むことは無くなっていくかもしれません。
とはいっても、「どうしても反応してしまう」ことが多いものです。
つい言い返したくなる時に使える、「反応しないコツ」があります。
それは「心の半分を前に、もう半分を後ろに使う」です。
まず、心を「前と後ろ」に分けてください。
目を閉じてみて、①前の方を向く心と②心の内側(奥・後ろ)を見る心をイメージしてみるのです。
前を見る心は、そのまま相手を見ることに使います。
反応はしません。
「ただ理解する」という立場に立ちます。
「あの人が言っていることがまったくわからない!」ということもあるでしょう。
その分からなさは、自分が理解を拒んでいるのかもしれません。
「自分が正しい」という思いや、「こうしてほしい」という期待・欲求、「前にも同じことを言われた」という過去の妄想によって、見ることができないのかもしれません。
「わかりたくない!」という相手もいるでしょう。
ただ、そういう相手に対してこそ、「反応しない」というクールな前提に立ち、「言うことはわかります」「どうしたいのでしょうか」という客観的な状態に立つのです。
このとき、後ろ側にある心で、自分の「反応」を見るのです。
怒りを感じているか、過去を振り返っていないか、緊張、相手への疑いや妄想・・・。
そういう反応があること自体はふつうです。
ただ、心の態度・心がけとして、つねに「心の後ろ半分は自分の心を見る」ことに使うのです。
わずかでも、後ろ半分の「気づきの心」がぐらつくと、相手への「反応」に一気に流されてしまいます。
あとは、怒りや緊張、恐怖、妄想・・・といった煩悩の波にのまれてしまい、泣くか恨むか、というおなじみの反応の嵐に巻き込まれてしまうのです。
だから、深いな感情が湧かないように、反応しないように努めていくのです。
心がけていくことで、だんだん「反応しない心」が育っていきます。
今日も暑かったですね。おつかれさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。