夕方になると、疲れがたまってきます。
「疲れた・・・。休みたい・・・。でも、もうひと踏ん張り頑張れる!」
と言い聞かせて無理する時間。
しかしそんな時間は、結局ミスが多くなります。
それは、自分の感情を理解していないから。
自分の感情を理解することについて、今日は勉強します。
著者が言うには、アリストテレスの有名な無矛盾法則(ある事物について同じ観点でかつ同時に、それを肯定しながら否定することはできない)ことから、論理的に「同一性の法則」を導き出しています。
同一性の法則とは、「あるものはそのもの自体であり、それ以外のものではない」というものです。
たとえば、「人は人である、人以外のものではない」「猫は猫」「感情は感情」と認めること。
物事はそのものとしてあるがままに存在し、誰かが、または世界の全人口が望んだとしても、それを別のものに変えることはできない、という事実があります。
同一性の法則は、一見当たり前のことのようですが、私たちの生き方にも関係があります。
「あるものはそのもの自体である」と認めずに行動すれば、悲惨な結果を招きます。
例えば、有毒のシアン化合物を食べ物のように扱えば、師の基幹性に瀕するでしょう。
トラックを花だとでも認識すれば、ひかれてしまうかもしれません。
多くの人がトラックや独と言った物理的なものに関しては同一性の法則を尊重する一方で、感情面においては(とくにつらい感情である場合)、この法則を尊重すること難しいと感じます。
その感情を見つめることが自尊心を傷つけるからです。
勇敢であることが大切な場合、恐れを感じていることをなかなか認められません。
心が広いと思いたい場合、妬みの感情を認めるのは難しい。
しかし、精神的に健康でありたいなら、何よりもまず、いま自分が感じていることを、感じているように受け入れなくてはなりません。
現実の尊重が大事なのです。
あなたや他の人が、現実を尊重s出来ず、同一性の法則を無視した経験を考えてみてください。
結果はどうでしたか?
アクション:「あるがまま」を感じる
西洋世界に禅の思想と実践をもたらした哲学者アラン・ワッツは、こう言っています。
「禅の達人とふつうの人との違いは、普通の人はいろんな意味において、自分の人間らしさと戦うことだ」。
禅の達人は、自分の持って生まれた性質にあらがわず、「人間であること」を自分に許します。
この禅の思想は、日常生活に同一性の法則を適用したものです。
同一性の法則を心に留めながら(「あらゆるものはそのもの自体である」ということを認めること)こんな瞑想をしてみませんか。
椅子に楽な姿勢で座ります。
横になってもいいでしょう。
座るなら、リラックスして床に足がつくように。
目を閉じ、呼吸に集中します。
お腹いっぱいに空気を送り込むよう深く息を吸い、そして吐きます。
優しく、静かに、ゆっくり呼吸を続けます。
感情に感覚を集中します。
平穏、幸せ、不安、混乱、退屈・・・。
あなたが今、どう感じているかにかかわらず、おなかの中まで届く深い呼吸を続けつつ、気持ちに集中して、自分の感情を観察。
ゆっくりと2、3回、呼吸を続けます。
感情がどんなものであれ、ただそのままにして、自然い自分の中を流れていくようにします。
人間である自分を許し、あるがままに解き放たれる時間を持ちます。
そして、想像の中で、あなたが今座っている場所から離れ、通りに出たり、仕事に行ったり、または別の場所へ行ってみたりしてください。
自分が歩いている姿を心の目で眺めながら、人間である自分を許して、恐れや不安、喜びや幸福感と言ったいろんな感情を自由に持つようにしてください。
自然の性質を打ち負かそうとするのではなく、それを受け入れ、自分が何者かを認めるとき、人生はずっと軽やかに、ずっと単純になります。
自分の中に流れるあらゆる感情を認めながら、呼吸に集中を戻します。
息を吐きながらゆっくりと静かに目を開けます。
「自分が人間であることを認める」ということは、本著で繰り返し説かれていることです。
始めは「当たり前じゃん」と思いましたが、よくよく考えてみると、何かと自分に「スーパーマン」であることを要求していることに気づきました。
いかんですね。
無理に決まってるし。
今日も1日、お疲れさまでした。
せめて夜は、ゆっくり過ごしてくださいね。
では、また。