勝間和代さんの家は数年来もので一杯の汚部屋でした。
その理由は
「もう、47歳だし、おばさんだし、性的魅力もないし、この先、人生の中で大恋愛することもないし、再婚することもないから、部屋が穢くて構わないだろう」
と思っていたことでした。
あるテレビ番組でも、著者がなかなか家をかたづけられないという話をしたら
「それは、セックスしてないし、愛が満ち足りていないからよ。だから、ものに頼るし、ものが片づけられないの」
という指摘をカウンセラーさんから受け、あまりの的確な指摘に苦笑しながら、さすがに
「その通りです」
とは言えずに恐縮していたのだそうです。
汚い部屋で暮らすと、どんどん、自分の「自己効力感」(自己に対する信頼感や有能缶を表す心理学用語)が落ちてきます。
自分の価値が、特に恋愛市場で、全く無い気がしてきて、
・家が汚いから自信がない→自信がないから、恋愛に積極的になれない
という悪循環を起こすのです。
ところが著者に、こういった著者でもいいという人が現れ、デートに積極的に誘われました。
結局おつきあいには至らなかったのですが、著者の頭によぎったのは、
「まずい、この人と万が一つきあうことになっても、とてもじゃないけど、家に呼べない!!」
というものでした。
その時ちょうどアップルウォッチや睡眠の重要性を書いた本による気づきがあり、著者のなかで
「家を片付けないとどうしようもない」
という気持ちにまで高まり、せっせと片づけを始めることにしたのです。
その試行錯誤の中で、誰でもものが捨てられて、そして二度とリバウンドしないための方法を構築してきました。
そこにはやましたひでこさんが考案した「断捨離」の考え方が繰り返し出てきます。
それはやましたひでこさんが、ヨガで学んだ「断行」「捨行」「離行」をもとに作られた造語であり、ものの片づけを通して、自分を知り、心の混沌を整理して、人生を快適にする行動技術です。
現在「断捨離」は広く捨てるという意味で使われていますので、今回もそのような意味で使っているそうですが、実際捨ててみると、まさしく心の混沌が整理されることを著者自身が体験して、本当に驚いたのだとか。
「収納破産ポイント」を超えると一気に汚部屋になる
何度か自宅で取材を受けていたこともあった著者ですが、2011年からはずっと断っていました。
「人に見せられる状況ではなかったから」です。
棚も横積みの本でいっぱい。
家中がそんな状態だったそうです。
すると、
・どこに何があるか把握できない
・新しいものをかっても、古いものに埋もれてしまう
という状態に。
メディア出演の際は、専属スタイリストさんが最新の洋服を用意してくれますが、著者の普段着はひどかったそうです。
洋服はたくさんあるのに見つからず、なぜかいつも同じようなボロボロの服を着まわしていました。
本も、電子データにしたのに捨てていなかったり、買ったまま読んでいないものが、家のありとあらゆる場所に置いてありました。
ノリとか、カッターなどの日用品がなかなか見つからず、つい買って、ますますものが増える悪循環でした。
ここで問題だったのは、「ものの処理の先送り癖」でした。
・不要になった電化製品も、似合わなくなった服も「また使うかもしれない」ととりあえずとっておく
・いただきものは、とりあえず物置にしまう
そして、一定レベルを超えると、”片付けそのものを放棄する”タイミングがやってきます。
著者はこれを「収納破産ポイント」と呼んでいます。
お金なら、収入より支出が大きくなり、貯金が底をついた状態です。
収納が機能停止に陥るのです。
収納は本来、7~8割に抑えておかないと、ものが取り出せなくなるのですが、それが105%から110%になった瞬間に、収納の役割を果たさなくなり、家は加速度的に汚くなります。
不要なものにスペースを奪われた「汚部屋」の中で、ものをよけながら、小さくなって暮らしていくことになるのです。
きっかけはアップルウォッチ
著者はアップルウォッチを発売当初一応買ったものの、周りの評判やレビューがいまひとつだったことから、玄関側の廊下に半年近くも放置していました。
当時はそんな感じのものが家中にあったのだとか。
ところがある時、”座ることは喫煙よりも体に悪いが、1時間に数分でも動くとそれが緩和される”と言うことを本(『座らない!:成果を出し続ける人の健康習慣』トム・ラス著)を読み、「勝間塾」で話しました。
いかに動いていないかが「見える化」
それでアップルウオッチを実際に使い始めてみると、原稿書きやパソコンをしていると、あっという間に1時間がたち、時計がぶるぶる鳴って、「スタンド」と表示。
自分が動いている”つもり”になっているだけで、実際に動いていないことが「見える化」されました。
アップルウォッチをつけて初めて、自分のものぐさに「これじゃまずい!」と気づいたことが、こまめに動いて、家を片付けようと思い立つティッピングポイントになりました。
「ものぐさ」と「いいわけ」をやめる
日常で動く機会を増やした著者。
動くことについての考え方が変わりました。
たとえば、あるものを家の中に複数置いておくと、その場ですぐそれを使えて動かなくて済みますが、1つの場所においておけば、そこまで歩いていって取り出し、使って片づけるので、運動できてものも減らせます。
鉄道移動するときも、エレベーターや席の確保をしようと、ものぐさを追求し始めるから、鉄道そのものがめんどうになります。
全部立ちと歩きでいい、むしろその方が身体にいい、と考え方を切り替えました。
すると、タクシーを使わないで電車を使おう、エスカレーターやエレベーターでなく階段を使うと思えてきます。
運動していない言い訳にしていた、週1回のジムを退会。
家のスペースを食うだけだったフィットネス用品を、すべて処分。
その代わり、24時間365日営業している近所のトレーニングジムに入り直し、こまめに運動することに(さらにこのあと、こちらも断捨離。それはジムに行かなくても十分動けるようになったからです)
ものぐさコストを捨てる
フィットネス用品や「ここに入れば安心」というジムは、「これがあれば、何とかなるだろう」という「安心」「保険」を買っているようなものです。
それを生み出すのが、「ラクしてやせたい」「何もせずに安心したい」というものぐさ心です。
この、「ものぐさコスト」。
けっこう厄介なものなのです。
「まとめてクリーニングに出そう」と置いておけば、その服はしばらく着られなくなります。
だから知らずのうちに、クリーニングに出さないといけない服は、着なくなります。
もし「こまめにクリーニングに出しに行き、取りに行く」手間を惜しまなければ、一日ほどで簡単に解決する問題です。
さらに洗濯機のドライクリーニングモードで洗えば、翌日には着ることができるし、お金もかかりません。
このように「ものぐさコスト」を払ったために、結果としてものをため込んだり、時間を無駄にしているのです。
「バッチ処理」(まとめて片づけ)の罠
もうひとつの大きな罠は、私たちは掃除でも選択でも買い物でも、なんとなく「まとめてやるほうが、効率的で経済的だ」と思い込んでいるところ。
実は、これが大きな間違い。
著者は若いころコンピューターのプログラミングをしていて、そのときに
・逐次処理
を習いました。
バッチ処理は、何かをためて、一気にまとめて処理をするもの。
一方、逐次処理は、リアルタイム処理とも言い、その都度行う処理の仕方です。
昔は、コンピューターのCPUが低く、バッチ処理が主流でしたが、性能が上がるにつれて、リアルタイムでの逐次処理が主流になってきています。
これはシステム論でもいえることです。
逐次処理することで、フィードバックがたくさん得られ、リアルタイムで処理をすることで、PDCAサイクルを速く回すことができ、強いシステムになっていきます。
たとえば、IT企業はPDCAサイクルが速いので変化のスピードが速いですが、官僚の世界は年に1回しかPDCAサイクルが回らないので、変化のスピードも遅くなるのです。
つまり、バッチ処理は極めて旧世代的で、古い考え方であり、逐次処理(=リアルタイム処理)のほうがスピードの速い現代社会に即した考え方なのです。
実生活でも同じで、家電をとっても二槽式洗濯機や手洗いだったのが、今は全自動洗濯機と食洗器。
著者はメール返信や原稿書きなど仕事関係のことは、今までもスキマ時間でちょこちょこ逐次処理していたのですが、なぜか家事だけはバッチ処理になっていたので、これを変えました。
洗濯機も食洗器も、見つけたら少量でも回すと、時間もかからず、洗濯物を干すのもあっという間。
通販が届いたら、その場で開けて、段ボールをすぐにごみ置き場に持っていくという一連の流れを義務に。
食料のまとめ買いも、実は「使うかも」のものを買ってしまうために、経済的ではなかったりしますよね。
大量のストックが必要だったり、まとめて買うのが効率的だったのは、古い時代の話なのです。
この逐次処理を習慣にしてみたのですが、非常にいい感じです!
皿洗いも、逐次処理。
掃除もクイックルワイパーにして、逐次処理。
そうしていくと、処理がラクラク♪
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。