アドラー先生の本はとてもたくさん出ていますが、この小倉広さんの解釈は「使う心理学」として生活に生かすことができ、かつ勇気がもらえると思いました。
著者小倉さんは自信がうつ病を患う中で、アドラー心理学に光を見出し、立ち直ってきました。
自分の間違った価値観と向き合い、人生を軌道修正することは可能である、と断言するアドラー心理学に勇気をもらったといいます。
4月を迎える今、新しい環境の中で、勇気をもって私たちの新しい1年を切り拓いていくために、アドラー先生の言葉を読み直してみようと思います。
勇気がある人は、成功をおさめる。勇気がない人は、身を滅ぼす。
アドラー派がよく利用する小話です。
ある男がパーティで話の輪に入ったところ、美術の話題になりました。
男はまったく話についていけず、恥をかきました。
さて、この男は翌日どのような行動をとるでしょうか?
アドラー派はこう考えます。
その男に勇気があれば、翌日図書館へ行くであろう、と。
恥をかいたことをチャンスととらえ、逃げずに正面から立ち向かうのです。
一方で、その男が勇気をくじかれていたとしたら、おそらく言い訳をするだろうと考えます。
「美術なんてくだらない。一文の得にもならない。金持ちの道楽だ」。
相手を貶め、自分は何の努力もせず優越感を味わうのです。
アドラー心理学では、これを合理化もしくは価値低減傾向と呼びます。
どちらの男が幸せになり、どちらが不幸になるでしょう。
勇気がある人は、自分の課題を解決する。そして他者に貢献する。
他者に依存したり、支配したりしない。
勇気がある人は、自分の課題を解決し、他者に協力し貢献します。
勇気がない人は、自分の課題解決を他者に押し付けて取り組みません。
自分には「能力があり価値がある」と思えないし、「課題を解決できない」と思うから、失敗を避けるためにコンプレックスに逃げるのです。
アドラーは、勇気がある人を「普通の人」「正常な人」と呼びました。
「正常な人は、人生の課題と困難がやってきたときに、それに対応するに十分なエネルギーと勇気を持っている」。
そして、勇気がない人は「課題から逃れるために他者の協力ー友情、労働、愛を(中略)搾取しようとしている」と。
しかし、著者は勇気の量は常に変動するとも言っています。
筆者はこれまでの人生で勇気があるときも、なかった時もあったといいます。
一時的に不足してコンプレックスに逃げてしまうときは、補充するのです。
その方法は後述があるそうです。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また