断捨離をしていて気づかされることのひとつ。
「ありがとう」の前に必要なのは「ごめんなさい」ではないかということを、著者は述べています。
生き方を説くあらゆる本にも「感謝の心を持とう」「ポジティブシンキング」があります。
しかし、そうした感謝の心を携えるためには、まず「自分の非を認める」「自省する」ことも必要です。
それがなかなかできなくて、日々苦戦中のワタシです。
断捨離と言うのは、モノを通じてあなた自身と向き合う行為です。
これまでの買い物の失敗の数々、無意識・無自覚にモノを増やした結果、圧迫された空間を目の当たりにするのは、大変つらいことです。
しかし、そこに「不快」や「罪悪感」を感じない限りは、「快」を感じられないのです。
私たちは不快を感じたくないあまり、感覚を麻痺させてしまいがちです。
が、実は不快と快は鏡合わせのような存在です。
「不快」「罪悪感」もありがたいシステム
モノと情報が多い社会で、私たちは快がわからなくなってきています。
だからなおさら、不快や罪悪感はありがたいシステムです。
それらを感じぬき、勇気をもって引き受けることで、私たちは自分にとっての快をわかるようになってきます。
ですから、不快を感じたらよろこんでもいいくらいなのです!
だって、快に向かうスタートなのですから。
喜びだけを感じようとすると、どうしても無理が生じてしまうものです。
片づけに着手し始めるころ、自分の失敗の数々を裏付ける「物的証拠」を数々目にするわけですから、落ち込むことが多くなります。
「自分に対して腹立ちまぎれに捨てました」と言う人の声も著者は聴きました。
「自分の性格も省みず買い込んで、使いこなせず、申し訳ありませんでした!」と。
ことの時はまだ「ありがとう」と、モノに感謝できるような段階ではありません。
ところがだんだんモノが絞り込まれてくるうちに、「ありがとう」という感謝の念があなたの内側から湧いてきます。
とても自然に。
実に人は、いったんモノと向き合えるようになれば、自分の感情に素直に沿うようになるのだ、と著者は断言します。
「ごめんなさい」と「ありがとう」の順番。
片づけにおいてだけでなく、あらゆることに言えるのかもしれません。
ただひたすらに「ありがとう」から入ろうとするよりも、「ごめんなさい」と罪悪感を素直に受け入れた方が、ストレスなくいられます。
失敗したら、「ごめんなさい」。
先週それができずに、自分に言い訳を重ねてしまい、余計にこじれてしまいました!
自分の非を認めるには、勇気が必要です~。
勇気にはけっこう心に体力が必要です。
先週欠けていた自分にご褒美や休憩をあげて心の体力をキープし、さっさと非を認めてしまいます!
今日も、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね~。
美味しいものを食べて、心も体も元気にしてくださいね。
では、素敵な夢を。
また。