猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

人は非常事態のなかで才能を表すものだ~『ココ・シャネルの言葉』山口路子

今からではもう遅い、と思うことはありますか?

シャネルがモード界にカムバックしたのは71歳のときでした。

「退屈よりも大失敗を選んだの」

という言葉の通り、困難覚悟の決断でした。

それから87歳で亡くなるまで、最前線で働き続けたそうです。

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シャネルは「規格品の幸せを買うような人生」だけはいやだ、と思い続けた人でした。

自分の人生は自分で決める、と決意していた人でした。

そのために嫌われたり、孤立したり、傷ついたりしたけれど、そのスタイルを変えることはありませんでした。

 

生き方そのものを「永遠のシャネル・スタイル」として後世に残したひと。

「働く女の先駆者」ココ・シャネル。

彼女には、その生涯を通じて強い信条がありました。

 

かけがえのない人間になるためには、

人と違っていなければならない。

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「私はモードではなく、スタイルを作り出したのです」

ガブリエル・シャネル

ココの愛称で知られ、いまも多くの人達に支持されるこのファッションデザイナーは、「女の生き方革命」を成し遂げた、20世紀を代表する人物です。

 

辞書的な意味では「モード」も「スタイル」が同義ですが、シャネルのこの有名な言葉には「モード」というのは移り変わるものであり、「スタイル」というのは普遍的なものである、という強い区別があります。

 

それを証明するかのように、いま街を歩けば、あるいはファッション誌を開けば、自宅のクローゼットを眺めれば、いたるところにシャネルスタイルがあることがわかります。

シャネルブランドのバッグや服がそこにあるという意味ではありません。

 

たとえば、

黒のワンピース、

ジャージ素材の服、

ツィードの服、

マリンルック

パンタロン

プリーツスカート、

イミテーションジュエリー、

ショルダーバッグ、

誰もが持っているリップスティックなど、

すべてシャネルが生み出したものなんです。

 いつ読んでも、すばらしい創造性を持った女性だと感嘆します。

この人の持っているエネルギーってどこから湧いてきたのでしょう。

 

孤児院から人生を始め、自力で「シャネル帝国」と呼べれる一大ブランドを築き上げ、莫大な富と名声を手にしながら、超人的なバイタリティで87歳まで生き抜いたシャネル。

恋多き女性であり、それも一流の男たちとの恋愛があったとか。

その何人かとは結婚も考えながら、ときどきの理由で結局結婚はしませんでした。

 

本著では、シャネルの人生を貫くキーワードとして「嫌悪」があると考えます。

(ほかの本では「怒り」「復讐」「自由」などが挙げられますが)

シャネル本人も「私は確かな嫌悪の精神を持っている」と言っていますが、嫌悪、

これが彼女の人生の根幹。

 

彼女は19世紀的なものを葬り去ったことから「皆殺しの天使」と呼ばれました。

いったい何を葬ったかと考えれば、動きにくい服、思考を奪うような大きな帽子、財力を見せつけるための宝石、けばけばしい色彩のドレスなど、すべて自分が「嫌い」なものだったということがわかります。

強い。すてきすぎる。

時代そのものの流れを変えたエネルギーを持っていたんですね。

 

 シャネルの言葉は、自分にも他人にも厳しい人であったことから、「微妙」などのニュアンスを寄せ付けない強いものでもあります。

でも、今後忙しくなっていくであろう時代の中で、もうひと踏ん張りがんばりたい場面が私たちにはあるはず。

その瞬間に、シャネルの言葉は響くのかもしれません。

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欠点は魅力のひとつになるのに、みんな隠すことばかり考える。

欠点をうまく使いこなせばいい。

これさえうまくゆけば、なんだって可能になる。

若いころのシャネルは当時の「美の基準」からするとけっして「美しい女性」ではありませんでした。

シャネルが10代、20代のころ、美の基準は変化しつつあったものの、まだ19世紀を引きずっていたのです。

19世紀にもてはやされたのは豊満な肉体。

シャネルとは正反対でした。

自分の容姿が気になる年ごろですから、悩まなかったはずはありません。

けれどもシャネルは、19世紀的美の基準から見れば「欠点」である、やせてほっそりとした体つきを隠しませんでした。

シンプルな服を着て、小さな帽子をかぶって、スレンダーな身体を際立たせ、さらに髪を短く切り、長い首を露出させました。

結果、新しい、とびきりシックな女性が誕生し、多くの女性の憧れとなったのです。

 欠点を魅力のひとつに見せる。

もちろんそこに至るまでには、研究を重ねてきているんでしょうけれど。

確かに周りの人を考えた時、その人の魅力は本人が欠点だと思っている一面だったりします。

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女性は強さではなく 弱さを楽しまなくては

1920年代、シャネルが活躍し始めること、シャネルがそうしたように短く髪を切る女性が増えました。

また、シャネルのシンプルな服も流行したので、

「街から女性がいなくなった。

シャネルが作り出した少年しかいない」

などと言われました。

けれど、シャネルは男性のようになるつもりなど、ひとかけらもなかった。

「男性と対等であること」は大切、けれどそれはけっして「男性のようになること」ではないのです。

 

友人の詩人ジャン・コクトーが「シャネルは男性的な精神のもち主だ」と言ったときシャネルは怒り、挑戦的に頭に大きなリボンを飾りました。

ひょんなことから誕生した、この蝶結びのヘアバンドがのちに、シャネルの代表的なアイテムになるから面白いものです。

 

強く生きた人だから誤解されがちだけれど、シャネルは常に女性的で、男性に愛されることを欲していました。

「女性は強さではなく弱さを楽しまなくては。強さを隠すのが楽しいの。これ、駆け引きともいうわね」と言っていたくらいです。

どんなに仕事に熱中しても、どんなに自由であっても、女性らしさを失わずにいることを大切にしていたのです。

 

 強さを、隠す。

かっこいい・・・。

ついひけらかしてしまいたくなるのですが、最も強い女性は強さを隠していますね。

立場が上になっている女性ほど、スカートを身につけて女性らしさを醸し出していたりしますよね。

そして、その方がかえって、いざというときも頼れそうな強さを感じます。

女性らしさを失わないこと、日々大事にしたいもんです。

 

脂肪と戦うことだけを考えて、ぼんやり過ごしているわ

30代半ばのころ、親しい女性に送った手紙の一文です。

シャネルはもともとスリムでしたが、それでも体型を維持するために、あれこれと美容法を試して努力していました。

彼女の場合は服を作るだけでなく、自分自身が広告塔だったため、体形維持、美貌の維持はビジネスのうえでも大切なことでした。

 

友人の詩人ジャン・コクトーはシャネルに言いました。

「あなたがどんなふうに暮らしているか、みんなに言いふらすつもりはないけれど、あなたが毎朝7時に起きて、夜は9時にベッドに入るなんて誰も信じないだろうな」

 

 写真を見る限り、「努力」「根性」などとは無縁に見えるシャネル。

でも、ひそかにストイックな努力を重ねていたんですね。

ちょっと親近感がわいてしまいます。

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奇抜さはドレスではなく、女性のなかになくてはならない。

1959年、シャネルが76歳のとき、もっとも影響力のあるファッション誌『ウ”ォーグ』に次のような記事がありました。

「女性はドレスよりも重要であるべきという考えのもと、シャネルはデザインし続けてきた。

40年間ずっとこの考えは変わらなかった」

女性はドレス(服)に切られてしまうのはダメで、あくまでもドレスはその女性の背景であるべき。

シャネルのこの考えは生涯変わりませんでした。

 シャネルが一貫して貫いてきた、「服装よりも中身」。

だから、シックであり、女性を引き立てる服なんですね。

中身がダメだったら、着飾ってもダメよってことですよね。

どこまでも、自分を鍛えていかないと。

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醜さは許せるけど、だらしなさは絶対許せない

この場合「醜さ」は外見的なことを言っています。

・・・

「だらしなさ」は、その人の意識から生まれます。

だらしない服装、だらしない言葉、だらしない生活態度、だらしない口元、だらしない両の膝・・・。

すべてに共通するのは「緊張感ゼロ」ということ。

シャネルはこれが許せなかった。

努力してなんとかなる分野に努力しない人を彼女は、強く軽蔑していたのです。

 おおっと、このコロナの在宅ワークで反省しなくちゃな点をシャネルにびしっと指摘されてしまいました!

生まれ持っての美しさをどうこう言うのではなく、今の自分に緊張感をもって装うこと。

それから、言葉やしぐさを選ぶこと。

大事にしたいことです。

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人は非常事態の中で才能を表すものだ。

ひと言に「非常事態」といっても、さまざまな状況があります。

社会の問題、会社の問題、家庭の問題、自分自身の問題・・・。

シャネルにとっての非常事態のひとつに第一次世界大戦がありました。

まったく自分の力の及ばないところで勃発した戦争、まさに非常事態。

そのときさネルは高級リゾート地、ドーウ”ィルで新しい店を開店したばかり。

そのタイミングで戦争となり、パリから上流階級の女性たちが、ウ”ァカンスではなく疎開のためにこの地に押し寄せたのです。

この非常時こそ、自分が作り杯目ていた服装、おしゃれで動きやすい服の出番なのだと確信、集中してジャージー素材の服を量産し、成功への第一歩を踏み出したのです。

 

私たちも第一次大戦ほどではないかもしれないけれど、非常事態にありますね。

こんなとき、シャネルだったらどんなことをしたのでしょうか?

時代を反映した「スタイル」を新しく発表したのでしょうか?

それとも、世界のセレブ達の別荘地、日本なら軽井沢あたりに直営店を出したりするのでしょうか?

では、私たちなら何ができるのでしょう。

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人がなんて言おうと平気。

コレクションが終わったときは、自分が全力を尽くしたことで私は満足だから。

シーズンごとのコレクションは常に賞賛されるわけではなく、酷評もありました。

何かを発表するということは、自分のクリエイションをさらけ出すことであり、さまざまな反応を覚悟するということでもあります。

表現者でなくても、誰でも、生きていく上では、自分のしたことに対して、ほかの人から批判されたり、また逆に賞賛されたり、いやであっても、他人の評価は常に人生につきまとうもので、そして他人はたいてい無責任なものです。

言ったことに責任など感じず、言ったことすら忘れていることだってあります。

シャネルのこの言葉は晩年、カムバック後のものですが、本気で「平気」なわけはなく、引退を考えることもありました。

けれど、「自分が全力を出し尽くしたか否か」、ここに価値を見て、そしていつも「全力」で勝負していたのです。

一切の妥協を許さずに。

 全力で仕事をしても、その評価はイマイチだったりすることってあります。

シャネルならば、なおのことでしょう。

それでも、妥協なしで働き続ける。

そうした姿やスタイル、身につけたいです!

 

20歳の顔は自然がくれたもの。

30歳の顔は、あなたの生活によって刻まれる。

50歳の顔には、あなた自身の価値が表れる。

どのような生き方をしてきたか、どのような生き方をしているのか。

それは顔に表れる。

シャネルの有名な言葉のひとつです。

・・・

どんな施術をしても、あるいは写真で修整を加えても、「精神の老化」は隠せません。

50代半ばのシャネルの写真は、写真によっては修整が加えられているものも、あまり加えられていないものもあるけれど、いずれにしても「精神の老化」はみじんもありません。

厳しく険しく、迫力があります。

1937年、パリで開かれた万国博覧会の夜会でのシャネルはとても美しく、オーガンジーのドレスすらりとしたその姿に会場の人々は、シャネルとはわからなくても、その美しさに見惚れました。

自分の言葉を裏切らない54歳でした。

 この言葉、ほんと大好きです。

自分も子供のころから、母親世代の女性たちが生き方で顔のゆるみが出たり、きりっとしていたりする姿を見ていて感じていました。

男性もそうですよね。

どんな仕事をしてきたのか、50代に近づくにつれて顔がそうなってくる。

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非常事態な今だから、生き方やスタイルは一人ひとりがクリアになりますね。

何のために、どうありたいのか。

次の道や行動をどう選ぶのか。

それが自分の顔に表れてくるのですから、気が抜けませんね。

 

今日は、どんなことがありましたか?

今日も明日もあなたにとって、ステキな日になりますように!

では、また。

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