実は、仕事でけっこうな窮地に立っております。
あまりよろしくない同僚と組まなければならず、仕事の遅れと自分の体調に不安があるのです・・・。
でも、ぐじぐじしても人生は後退するだけ!元気になる為に読みました。
自分の内的言語をもっとアサーティブ(主張的)にしていくことで、人生を変えていきましょう。
私たちは常に自分自身と対話している、と著者は言います。
私たちの脳の中では思考がループして、小さな声が「おまえは怠けてばかりいる」「バカだな」「どうしようもないね」とささやきかけてくるのです。
実は私たちの一番の話し相手は自分自身と著者は言います。
人間は、頭の中に浮かんでくる思考にはほとんど無反応ですが、自分が重視している思考には過剰反応してしまうものなのです。
自分にどんな言葉をかけるかで人生が変わる
自分と何を話すかが人生の質を決定的に左右するということが、神経科学や心理学の研究で証明されてきている。
アラバマ大学のウィル・ハート教授は、被験者に楽しかった出来事とつらい出来事、そのどちらでもない中間的な出来事を思い出してもらう実験を行った。
すると、何かの出来事をまるで今それが起こっているかのように語る人は、中間的な出来事を楽しい思い出のように、つらい出来事を実際よりもっとつらいように感じているのがわかったという。
つまり、どう表現するかで自分が置かれた状況のとらえ方が感じ方は変わってくるし、人生の過ごし方やさまざまな問題への対応の仕方もずいぶん変わってくるということだ。
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自分とポジティブな会話を行えば、気分がよくなり、自信が増し、生産性が高まるという好影響が出ることが次々と解明されている。
ハート教授の研究からわかるように、言葉は幸せな人生を送るためのカギになる。
ところがその逆もまたしかりで、自分とのネガティブな会話は気持ちを落ち込ませ、絶望を抱く。
ささいな問題を大問題のように見せ、ありもしない問題をつくり出す。
話し方によっては、想像を絶する苦しみを味わいかねない。
そうした点を踏まえた上で、1つはっきりさせておこう。
この本は正しい言葉を使って人生を上向かせる方法を解説したものだが、私は今すぐポジティブな思考を持てとか、自分を愛そうとか言うつもりはない。
ポジティブな思考を意識すると、自然と姿勢が良くなったり、目線が上向きになることで問題解決が速くなったりします。
しかし、無理してポジティブ思考よりさらに、本著ではアサーティブ(主張型)の言葉を持つ必要性を説いています。
ネガティブな言葉がネガティブな感情を呼ぶ
人間の感情の大部分が思考から生み出されているなら、感情をコントロールするには思考をコントロールすればいい。
もっと言うなら、心の中で思い描く文章、つまり自分との会話に使う言葉を変えればいい。そもそも感情はそこから生まれているのだから。
これは、現代心理学の父の1人と呼ばれるアルバート・エリスの言葉だ。
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さらにエリスは、人間は極めて非合理的な考え方をする生き物だということも発見した。
私たちは、毎日のように心の中でこう思う。
「自分はなんてバカなんだ」
「いつも失敗ばかりして」
「もう人生おしまいだ」と。
何か悪いことが起これば「最悪だ」と考える。
あとから振り返れば全然大したことのない問題を、大げさに騒ぎ立ててしまった経験があなたにもあるはずだ。
あらためて考えると、そうした過剰反応が起こる直前には、ネガティブな心の響き、そのせいで理性ていな自分がどこかへ行ってしまったことに気づくだろう。
人間は常に理性的なことを言ったり、やったりできるわけではないのに、私たちはみな、自分がいつも理性的だと思い込んでいる。
ちょっとしたネガティブな会話からも悪影響をこうむって、ネガティブな感情が呼び覚まされていることに気づいていない。
心の声はいつもはっきり聞こえてくるわけではなく、抑え目のときもあるが、マイナスの作用は変わらない。
何かに取り組んでいて、「すごく大変。間に合わなかったらどうしよう?」と思ったことはないだろうか。
あるいは「しくじった場合」が気になって、不安や不安を感じたことは?
こうしたネガティブな声は人生の大敵だ。
「大変だ」と自分に言うほど、本当に大変な気がしてくる。
残念ながら、私たちはそうした自動思考を常に耳にし、ネガティブな声が頭の中で鳴るのになれている。
そうした思考の影響に気づかないまま、頭の命じるがままに行動している。
あなたにとっての現実は、あなたの頭でつくり出せる
話し方が影響するのは、その瞬間だけではない。
話し方はその人の無意識に入りこみ、身体の一部となって、のちのちも思考や行動を変えていく。
生活への影響で言うなら、話し方は人生観を形づくり、そして人生観は行動を変える。
それを無視するのは危険だし、人生観なんてないと自分をごまかすのはもっと危険だ。
「人生は不公平だ」と不平を言いながら生きている人は、その見方に沿った行動をとるようになり、やがては被害妄想を抱く。
ある研究によれば、そんな不平をよく言う人は仕事がおざなりになるという。
「がんばったって意味がない」と最初から決めつけているからだ。
不公平だという見方は、こうしてあっという間にその人の現実になっていく。
逆に、「成功はどこにでも転がっている」という見方の人は、仕事に打ち込めるのはもちろん、エネルギッシュで生き生きとした人生を送ることができる。
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問題をどうとらえ、どう表現するかは、すべて自分次第だ。
それは足かせにもなれば、前へ進むための踏み台にもなる。
人生を沈ませることもあれば、浮かび上がらせることもある。
アウレリウス帝のようなストア派の哲学者は、外科医の物事に影響される必要はまったくないと考えていた。
自分にとっての現実は、自分の頭でつくり出すことができると考えていた。
答えを見つける必要なんてない。あなたが答えなのだから。
脳を少しずつ鍛えなおそう
最初の第一歩は、自分のためにならないしゃべりかたはやめて、ためになるしゃべり方を意識することだ。
正しい言葉を使い、問題を別の角度からとらえなおすことで、ものの見方、世界とのかかわり方は劇的に変わる。
「自分なりの現実をつくる」という言葉をきいたことがあるだろうか。
自分なりの現実はつくれる。
たくさんの人が実践している!
何より、ただつくれるでけでなく、そこで行動し、その中で生きられるのだ。
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たとえば私は「問題」をチャンスととらえ直すのを習慣にしている。
すると問題はすぐに、自分を成長させる材料になる。
落ち込み、イライラしたくなるのをぐっとこらえて、問題に興味を持ち、積極的に関わるようにするわけだ!
セルフトークをアサーティブ(主張型)に変える
自分の現実をつくりだすには、セルフトークを会話型から主張型に変えることだ。
セルフトークを「流れていく会話」(自分自身や他人の人生について、意見を言ったり、判断したりする会話)にするのではなく、「主張の場」ととらえるのだ。
放っておいたらまぎれ込んでくる「雑音」を振り払い、今この瞬間に、自分の力を注ぐ必要がある。
気を付けていないと犯してしまいがちなミスがある。
「~する予定だ」とか「~するつもり」といった言葉は使ってはいけない。
さらに「~すべき」や「~したい」なんてもってのほかだ!
そんなことをすれば、無意識は「それなら今やらなくてもいいか」と思い込んでしまうからだ。
新年の誓いを守れる人がいないのは、そこに「~したい」などの表現を使うからだ。
人は普通、自分がやりたくないことを誓いに書き、「絶対に達成するぞ」とやる気をみなぎらせる。
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アサーティブなセルフトークが真価を発揮するのはこうした瞬間だ。
「自分は~だ」
「~を歓迎する」
「受け入れる」
「主張する」
といった現在形の力強い断定的な言葉を使い、
「~するつもりだ」とか
「~が目標だ」といった言葉は避けよう。
今という瞬間にかかわるアサーティブな言葉を使うことは、人間の心と身体に大きな影響を与えるだけでなく、今の現実を変える力も持っている。
「がむしゃらになる」と「がむしゃらにやるつもりだ」は、まったく違う。
前者は現時点の人生に切り込むもので、後者は今後の可能性を表すものだからだ。
あなたも日々の暮らしでアサーティブな言葉遣いを心がけ、お茶を濁すようなしゃべり方になっていないか注意してほしい。
あなたには意志がある。 アサーティブな言葉
あなたはついている
あなたは、がまんして生きる人生を自ら望んでいる。
よくかんがえてほしい。
本当なら輝かしいものであるはずの人生を覆っている問題、あなたの人生から温かさを奪い取っている、憎むべき暗い影とは、いったい何なのか。
仕事が最悪?
人間関係がうまくいかない?
体の調子が悪い?なら新しい仕事を探せばいいい。
その人間関係を断てばいい。
食生活を変えて、運動したり、自分にあったジムを見つけたりすればいい。
簡単なことだ。
愛する人の死や失業といった一見どうしようもない出来事に出くわしたとしても、そのあとどんな人生を送るかは自分でいくらでも決められる。
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状況は人をつくったりはしない。
状況は自分を映す鏡でしかない
エビクテトス(ギリシャの哲学者)
ツキのなさを嘆くのはやめよう。
ほかの人のせいにするのはやめよう。
外的要因や、状況のせいにするのはやめよう。
子ども時代や、育った環境のせいにするのはやめよう。
これが本著の基本的考え方です。
辛い状況におかれることはあります。
それでも、できることはあります。
つらい!けれど、3月までつらい状況を乗り切れたら、自分の財産になる!と思ってアサーティブな言葉を心の中でくりかえしてみます。
自分が中心となった人生をとりもどして、今年もすてきな年にしてやりましょうね!
では、また。