わたしたちの仕事や生活がうまくいくか、そうでないかは、ほんの紙一重の差で生まれることが多くあります。
アイデア、打ち合わせ、タスク管理、スケジュール調整、プロジェクト進行、お金の管理・運用、人間関係、家庭円満・・・・
私たちが求めて止まないこれらのこと。
すべては、実は「ふせんノート」で思いのままにすることができます。
ノートは確かにすばらしい。
ワタシはノートも手帳も超大好きです。
思考を広げ、アイデアを忘れずメモでき、時系列に確実に情報を保持してくれますからね。
ノートなしに人生はあり得ません。
しかし、わたしたちは「本当に良いアイデア」をふとしたときに思いつくことが実は日常のなかでたくさんありますよね?
「あ、思い出してよかった!」と浮かんだ大事な用事。よくありませんか?
忘れてはならない思い出せてラッキーだった、その内容。
残念なことに、次の瞬間には見事に忘れてしまう。
忘れないでいるには、手に油性マジックでこっそりメモするしかありませんでした。
でも、手を洗う回数の多い最近は、手に書いた情報はたいてい消えているのが悲しい現状です、、、。
そのとき、いつもA4ノートを持ち歩いているか?と言ったら、それは現実的ではありません。
時に書類、はたまた段ボールを持っているワタシにとって、ノート片手に生きているおキレイなやり方ではうまくいかないのです。
でも、ポケットにいつもふせんが入っていたら、どうでしょう?
著者の半生は、仕事や人間関係に不自由し、お金や時間にも不自由する「不自由の見本市」のようだったと言います。
「時間が無い」「お金が無い」「自信が無い」。
ところが、「1枚の紙」で逆転させることができました。
著者は銀行員の世界で『半沢直樹』のドラマそのもの。
かなりもがいて生きてきたそうです。
銀行員の世界では、常識ではありえない経験がたくさんあったそうです。
プライベートでは、お金のプロとうぬぼれて、株式投資を始めましたが、意気込みと裏腹に破産寸前まで追い込まれるありさま。
そんな中で「ふせんの使い方」人生を逆転させました。
ふせんという「1枚の紙」で、「紙一重のチャンス」を手に入れることができるようになりました。
凡人であることを自負する著者。
忘れっぽくて、メモの文字が汚い自分。
それを威力のある「1枚の紙」でカバーできるようになることで、「時間の自由」「お金の自由」「自身の自由」を手に入れることができました。
不自由な人生を自由な人生に貼りかえることができたのです。
悩みが消えて夢がかなう不思議なふせんとは
威力のある「1枚の紙」とは何なのか?
それは、「粘着面の広い大きなふせん」です。
そして、これを「A4ノートに貼っていく」というだけ。
つまり「ふせんノート術」にとってノートとは、ふせんを貼るための「台紙」にすぎません。
あらゆるメモを大きなふせんに書き、それを台紙代わりのA4ノートに貼り付ける。
もしくは、手帳に貼り付ける。
そのことで、あなたがいままで使ってきたノート術や手帳術、メモ術のテクニックの威力も倍増します。
どんな人でも覚えられる記憶の量や正確さには限りがあります。
そして悲しいかな、覚えたことの大半をわたしたちは思い出すことはできません。
頭の中の引き出しにどんな形で眠っているかさえ分からなくなります。
思い出せたとしても、たくさんの記憶をいっぺんに活用しながら考えるなんて、実際はできませんよね。
そんな限界があるから、わたしたちはメモを活用することがどうしても必要になります。
このようにメモに頼らずにあらゆる悩み事を自分の頭のなかだけで解決するのは、無理です。
実際エジソンのような天才でさえも、膨大な量のメモを残しています。
わたしたちは、メモを活用しない生き方はありえません。
だからこそ、私たちはノートや手帳にメモを残します。
それらのメモは私たちの財産で、わたしたちの潜在能力を何倍にも膨らませるものです。
グズグズな著者を整えてくれたのは、「ふせんノート」
今でこそ「ふせんノート」でラクをしている著者ですが、もともとは字が下手で整理整頓ができずにいました。
ずぼらな著者がノートや手帳を使いこなすなんて、ワニに腕立て伏せをさせるようなものだと著者は言います。
ところが、粘着面が広いドイツ由来のふせん「ジーノート・ハチジュウ」(プリントインフォームジャパン)に出会ったことがきっかけで、根本的な解決法に気づくことができました。
たとえば、仕事において、現場から離れた本部の発想で議論すると、抽象論を展開する「空中戦」になり、「原因を理路整然と美しくまとめ上げる」という罠に陥りがち。
しかし、本当の原因は理屈で推し量れない現場での暗黙知に隠されていて、営業現場で感じた気付きをメモすることで、初めてその事実に気づくことができます。
一例をあげると、成績が悪い営業マンは商品知識が少なく、コンプライアンスやルール事務ルールに明るくないために、数字が伸びずに事故が多いと捉えられがちでした。
ところが現実は、単に顧客との信頼関係を築けていないから成績が伸びず、トラブルが絶えなかっただけ。
実際には、成績の良い社員の知識レベルも同程度で、単にそれを信頼関係でカムフラージュしていたにすぎないことがわかったのです。
現場での暗黙知的な気づきを拾うこと。
それを「つなぎあわせられるふせん」があること。
これで根っこにある隠れていた問題に気づくことができたのです。
メモにとって1番大切な役割とは?
①気づきやひらめき、そして大切な情報を、一瞬で簡単にメモできること
②メモしたことを、後から一発で簡単に探し出せること
③メモを自由自在に有効活用できること
こうして書き出すと、当たり前のことで、ノートでも簡単にできそうに思います。
しかし、新年や新年度が近づくと、多くのユーザーがノートジプシー、手帳ジプシーになります。
ワタシも嬉々として新しいノートを新年には手に取り、新しい手帳を吟味している一人です。
新しい年には、シーズン到来を待ちかねたように、膨大な種類の手帳やノートが文具店や本屋さんにあふれます。
そして、私たちは種類が増えるほど、ますます自分好みの手帳を探すことが難しくなります。
そもそも、ノートジプシー、手帳ジプシーになっている、ということは、ノートや手帳のフォーマットがあなたに合っていない、という証拠なのです。
そう、手帳は特にコンパクトであるがゆえに「こう使いなさい」というルールが明確です。
細やかなルールや自己啓発性があると、続かない
著者は世界一有名な手帳の講習会に参加したことがありました。
あまりにもハイレベルな内容にあっけにとられ、しばらく呆然とたたずみました。
ベンジャミン・フランクリンのような超人、有名な起業家や名の通ったコンサルタント。
彼らの作った手帳術は、唖然とするくらいよく出来ています。
しかし、細かいルールで縛られてしまうそのルールは、あくまでも彼ら天才たちのためのルール。
わたしたち普通の整理整頓が苦手な人間にとっては、どうでしょう?
厳格なルールやひらめきを妨げます。
そこには、自由な発想ができる、ごくシンプルなツールこそ必要なのです。
ふせんを持ち歩くには
では、実際にふせんをメモとして使うには、どうすればいいのでしょう。
著者は、こうして毎日使うふせんをどこに収納しているのでしょうか。
著者の場合、ほとんど中心で使っているふせんは手帳型のスマホケースのカバー部分の内側に貼っているようです。
革製の手帳カバーを用いることも本書では推奨しています。
また、カードサイズのものだとカード入れに収納することもできます。
あなたが愛用している手帳があるなら、それを活用。
その手帳にふせんもいれて、ふせんカバーとしてグレードアップさせるのもお勧めのやり方。
たとえば、手帳のメモ欄をちぎってしまい、そこにふせんをはさむというのも、手帳を分厚くさせないためのよい方法です。
そして、ノートは「お留守番」。
家の日記帳でも、仕事用デスクダイアリーでも、その情報を置いておきたい場所へ貼ります。
ただ、メモするのは「ふせん」一択にするのがポイントだそうです。
あなたのリミッターをはずそう
ノートは「この枠に書きなさい」とあなたの思考に枠組みをねじ込んできます。
しかし、ふせんは際限なく広がるあなたの思考に寄り添います。
1枚のふせんで収まらないあなたのアイデアは、次の1枚に書き込めばいいのです。
書いたふせんは、そのふせんの束やケースの中に収納します。
そして、デスクにもどったとき、仕事のノートなり、プライベートの手帳なりに貼っておけば終了です。
ときにあなたの思考は自由に飛び回るがゆえに、順序を逆転させたり、あらぬ方向へアイデアが浮かんだりすることでしょう。
でも、ふせんは貼り替えることができます。
ランチタイムに食事を待つ合間にノートの上でふせんを貼り替えながら、あなたは思い浮かんだ思考や、現場で見た事実を簡単に整理しなおすことができます。
そこであなたは、あらゆる経験とアイデアを結び付け直す作業をじっくり行うことができます。
これは、スマホのメモ機能にはできません。
ノートに書いた文字でもできません。
あなたの愛用の手帳やノートをふせんノートにしましょう。
今週もお疲れさまでした。
さあ、GWもすぎていよいよ本格的に始動の時期。
山のような情報量と、さまざまな話し合い、あらゆるチャンスが押し寄せてくる時期に入ります。
これらを生かすも殺すもあなた次第。
しかし、これから服装が軽くなるので、分厚いメモ帳は現実的じゃない。
となれば、ふせん。
ここ一番のあなたの味方になってくれるツールかもしれません。
ワタシはとりあえず明日から手帳とノートに大きなふせんをいれます!
今週もお疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。