〈The World's ”poorest" president〉。
2012年のインターネット上のBBCマガジンに、このような見出しが出ました。
リオ会議から5か月、”もっとも衝撃的なスピーチ”は広く知られていましたが、
そのスピーチの主は、まだあまり知られていませんでした。
こんばんは、ラブです。
ホセ・ムヒカ大統領の言葉が日本人に響くわけ
著者の打村明氏は、チリ人の母と日本人の父を持つパラグアイ在住です。
「日経ユースネットワーク」という団体を運営して、日本と世界を結ぶ活動をしていました。
リオでのスピーチに大きく感銘を受けるも、日本で翻訳されておらず、ニュースにもなっていないことを知りショックを受けます。
そこで3日かけて翻訳し、ブログにアップ。
反響は予想以上で、一夜のうちにサイトが3回落ちるほどの訪問者が殺到しました。
大震災1年後の日本で、原発問題の解決策が見えない中、ムヒカ大統領の言葉が響いたというコメントが多く寄せられました。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
この言葉に日本人が一番心を打たれたのではないか、と著者は言います。
近年の日本が追いかけてきた経済成長と、一個人が満たそうとするさまざまな欲を満たす経済発展に対して衝撃的な言葉であったと分析しています。
日本語には「足ることを知る」という言葉がある通り、多くの日本人が文化的・社会的に親近感を持てる言葉がたくさん含まれているのだと著者は考えます。
ホセ・ムヒカ大統領 自由ないでたち
BBCのニュースマガジンには、世界で最も貧しい大統領、という衝撃的な見出しがありました。
そのあとには、一枚の写真です。
草の生い茂った場所に立つ一人の男が立っていました。
ジャージのような上着に裾を折り曲げただぼだぼジーンズ、ポケットに手を入れて、遠くを見つめている写真がついています。
写真の男はムヒカ本人。
その風貌には多くの人が驚きました。
さらにもっと驚いたのは、その内容でした。
そのライフスタイルは、私たちが想像する大統領のそれと大きくかけ離れていたからです。
そのライフスタイル
ホセ・ムヒカが大統領としてつとめた任期は、2010年から2015年でした。
その間、大統領官邸に住むことを拒み、妻が所有する小さな農場で暮らしていました。
大統領の職を終えた今も同じ住まいにいるそうです。
大統領の住まいはニュースマガジンに言わせると〈倒れそうな農場〉。
家は常緑樹に半分覆われた小さな平屋で、部屋は3つだけです。
家の外には、ロープに干された洗濯物です。
庭には植木鉢として使われている、古い塗装缶。
プラスチックボトルのキャップでできたガーデンベンチは、刑務所の精神病棟にいる受刑者によってつくられたものだとか。
ほこりまみれのガレージには、1987年製のフォルクスワーゲン・ビートル。
移動に大統領専用者は使わず、自らハンドルを握ってどこへでも出かけていきます。
地球上でもっとも大統領の犬らしくない犬
家族は、上院議員の妻。
何匹かの愛犬の中でも、有名なのは足が3本しかないメスの雑種犬マヌエラ。
足は事故で無くしたそうです。
”地球上もっとも大統領の犬らしくない犬”と報じられた愛犬について、「この子は私の最大の友であり、一番信頼できるマヌエラです」と答えている。
「人の名前ですね」
と記者が言うと、
「はい。でも、この名前はこの子にとって失礼かも。
なぜなら、人間よりずっと賢いからね」
と答えています。
質素なライフスタイル、多くない資産
この”大統領官邸”の警備はマヌエラをはじめとする愛犬たちと、警官がふたりだけです。
執事や家政婦も雇っていません。このことに対して
「そのようなものは、まったく必要ありません」
とホセ・ムヒカは答えています。
大統領の給料、日本円にして131万円のうち90%を慈善事業と所属する政党に寄付し、残りを貯金にあてていました。
貯金の目的は、将来自分の農場に貧しい子どもたちを受けいれる農業学校をつくることです。
妻が上院議員をしている収入で生活していたのだそうです。
資産は妻の資産である土地と言えとトラクターの半分で日本円にして2600万円。
それでも副大統領の資産の3分の2です。
前任の大統領の3分の1ほど。
一般的に、政治家、とくに大統領となると、多くの資産をもって贅沢な暮らしをしているのが当たり前だと思います。
アメリカの場合、議員たちの中央値は1億2000万円。
しかし、ムヒカは、ことあるごとに「私は自分が貧乏だと思っていない」と語っています。
この言葉の裏に、人生哲学が隠されているのです。
欲に振り回されていないか
「いつも貧乏な大統領と報道されて嫌になりませんか」
チリのテレビ局で記者から質問されたとき、
「私は貧乏ではありません」と断ったうえで、
「貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです」
と言いました。
ここでムヒカは、セネカ(ユリウス・クラウディウス朝時代ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人)ら昔の賢人に触れ、このようなことを強調したそうです。
私たちは、欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である、という価値観の中で生きてきたのではないだろうか。
一生懸命に働き、働いた分だけお金が入り、そのお金でほしい物を買う。
収入が増えると、それだけたくさんの物や、より高価なものが買えるようにになり、それが「豊かになる」ことを信じて来たし、実際、それを張り合いにして働いてきたようなところもあるのではないか。
もっといい物が欲しい、もっと高級な車に乗りたい、もっと大きな家に住みたい・・・。
もっと、もっと。
欲望はエスカレートしていくが、それは生活のレベルが上がった証と思ってきたような・・・。
しかし、それこそがムヒカの言うところの「貧乏な人」です。
「私たちは、まるで消費するためだけに生まれてきたかのようです。
それができないとき、不満を持ち、貧しく、そして、自己疎外感を抱きます」
(2013年 第68回国連総会でのスピーチより)
必要なもの、そうでないもの
わたしたちの生活の中で何が必要で、何が必要ではないのでしょうか。
足の不自由な犬に敬意をもって一緒に生きているホセ・ムヒカ元大統領。
どう見てもバラックに見えるような自宅で満足して生きる姿に、考えるところが沢山ありました。
ぜいたくをしなくたって、本当の幸せはもっと違うところにあるんですね。
そんなことについて、このゴールデンウィークに考えてみようと思います。
気温差が大きい1週間ですね。
ゆっくり休んで、身体を大切にしてください。
では、また。