わたしたちは、誰か他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。
愛することによってのみ、自立を成しえます。
そして、愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。
こんばんは、ラブです。
パートナーを選ぶ基準
わたしたちは、生涯のパートナーを選択するときに、どんな基準をもっているのでしょうか?
収入や地位などでしょうか?
結局のところ、「この人を大切にしたい」というキモチではないでしょうか?
「この人を愛したならば、自分はもっと幸せになれる」
という、「わたし」を超えた「わたしたち」の幸せが基準なのではないかと思います。
「ラクになりたい」「幸せになりたい」
パートナーに対して、収入や地位などの条件をつけるならば、その関係の目的は「ラクになりたい」ですよね。
「花が好きだ」と言いながらも、枯らしてしまう人と同じです。
ワタシも若いころ、花が好きだといって買ってきては、たくさん枯らしてきました。
水やりをまめに行ったり、日当たりや湿度を考えてあげることもしないで、ただ見栄えの良い場所に置いておきたがっていたのです。
花屋さんで鉢植えを買う時には、「これを大事にするんだ」と強く思っているのですが、そう思い続ける力がまだなかったのです。
今は、たくさん花を育てられるようになりました。
そこには、毎日水やりを忘れないためのちょっとした工夫だとか、失敗を繰り返しながら作り上げた習慣づけがあります。
パートナーに条件をつけたがるのも、一時期の情熱しか持たない、享楽的な愛情であると本著も指摘しています。
一緒に幸せになっていくならば、そこには信念や継続力が必要です。
映画のストーリーとしての結婚までの道のりは、確かにロマンチック。
しかし結婚生活は、毎日のリアルな現実と向き合う日々の努力とがんばりと忍耐のカタマリですもんね。
愛情は、心の底を軽くする
よく観葉植物を枯らしていた若いころは、自分が「自分のことばっかり考えている」のが嫌で仕方ありませんでした。
人に献身する仕事のはずが、気づくと自分の評価ばかりを気にしていて、それを当然見透かされて結果を出せずにいたのです。
自分を犠牲にして努力しているつもりでいても、結果が出せません。
何となく、「自分の愛情不足」を自覚しているのですが、どうにもならないのです。
しかし、仕事柄大切にしたい人たちと出会うことで、救われました。
「この人たちと、良い環境を作り上げたい」と思えるようになったのです。
「自分の幸せ」に固執しているときには、心の底で低く苦しい欠乏感を感じていましたが、それが払拭されました。
たまに無自覚でいると、まだ自己中心性にからめとられます。
でも、誰かを愛して「そのひとのためになりたい」という基準でものを考える時、自分の利益を超えながらしかもより高いテンションを持って目的に進むことができますね。
「だれかのために」を目標にしてからは、肩の力が上手に抜けて、自分をひどく犠牲にしながら無茶をすることもなくなりました。
そして、相手をしっかり見ることができるようになり、自然と集団のために結果を出せるようになったのです。
最良の別れを目指した不断の努力
人生は有限です。
そして時間が有限である以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。
現実としてわたしたちは、別れるために出会います。
だとすれば、わたしたちは「最良の別れ」に向けた不断の努力を重ねることだけが、たったひとつのできることです。
いつか別れる日がやってきたときに、「この人とであり、この人と共に過ごした時間は、間違いじゃなかった」と納得できるように努力を重ねることです。
いま、ここであなたが家族や仕事場の知り合いとの関りが終わってしまうとしたら、あなたはそれを「最良の別れ」として受け入れることができるでしょうか?
もし、そう思えないならば、そう思える関係をこれから築いていくしかありません。
「いま、ここを真剣に生きる」とはそういうことです。
寿命を迎える前日にも人は変わることができる
ライフスタイルを変えるには、「それまで生きてきた人生の、半分の時間がかかる」とアドラー心理学の研究者は見解を出しています。
しかし、アドラー先生はまったく違う言葉を残しています。
「人間が変わるのに、タイムリミットはあるか?」
という質問に対して
「たしかにタイムリミットはある」
と答えました。
そしていたずらっぽく微笑んで
「寿命を迎える、その前日までだ」
と付け加えたと言います。
歩き続ける勇気
世界はシンプルであり、人生もまた同じである
とアドラー先生は言います。
しかしまた、
「シンプルであり続けることは難しい」
とも言っています。
アドラー心理学を受けいれるだけでは、人生は変わりません。
「最初の一歩」を踏み出すことが、大切なのです。
実践するにはとても勇気が必要なアドラー心理学です。
時に「これは、無理!」と思うことも多くあるのが当然です。
愛することに疲れて、ワタシもしょっちゅう愛される人生を求めたくなります。
しかし、ほんとうに試されるのは歩み続ける勇気なのです。
一緒にがんばりましょう!
『幸せになる勇気』は、『嫌われる勇気』よりも現実にぶつかる中での葛藤を描いていますね。
しかし、その葛藤はどこまでも自分の課題として自分で乗り越えることを求められていました。
そして、その実践が簡単ではないこともアドラー先生が繰り返し述べています。
現代のコモンセンスとして見えない形で定着しているアドラー心理学。
その基礎となる考え方は、非常に厳しいものですが、だからこそ人としての在り方の底の部分を固める重要な要石になると思いました。
アドラー先生は、実践を重要視します。
毎日の普通の生活の中でどこまで生かしていけるのか、が重要です。
「最初の一歩」を踏み出し、壁にぶつかりながらも継続していくこと。
「いま、ここを真剣に生きる」こと。
人生の最後の日を達成感をもって迎らえるように、一緒にがんばって生きていきましょう。
週の初めの1日目、おつかれさまでした。
今日は、どんなことがありましたか?
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。