人間は誰しも「わたし」という物語の編纂者です。
その過去は「いまのわたし」を正当化すべく自由自在に書き換えられています。
ワタシやあなたに不幸に彩られた過去があるなら、それは「いまのわたし」が悲劇という安酒を呑んで現状から逃げようとしているサインかもしれません。
こんばんは、ラブです。
他者に寄り添うために「共感」という技術を持つ
昨日は、「人間への尊敬」について勉強しました。
たとえば学校教育でも、子どもたちのありのままを認めて、その人らしく成長することを目的とすること。
そうした子どもたちに対する尊敬をもって接すること。
それによって子どもたちも「尊敬」を知ることができます。
権力で服従させて言うことを聞かせることが尊敬ではありません。
それには、「他者の関心事」に関心を寄せる必要があります。
「もしも自分が彼と同じ心を持ち、同じ人生を持っていたら?」
と考える。
これこそが「共感」であり、他者に寄り添う時の技術です。
技術なので、ワタシもあなたも身につけることができます。
勇気も尊敬も伝染する
共感し、尊敬するという力は伝染します。
そして、尊敬から発生する勇気も伝染します。
教育に限らず、あらゆる対人関係の第一歩がそこにあるのです。
教える側だからと尊敬を強要し、上から目線で指導したって、それは本当の信頼関係を築くことはできませんよね。
教える側にもしも立つならばまず、共感し相手を尊敬することから始めてみることが大事です。
アドラー先生はこう言っています。
「臆病は伝染する。そして勇気も伝染する」
「尊敬」をもって接することで相手に「勇気」を与えることができます。
そして、それは伝染していきます。
その周りの人たちにも、次々と勇気を与えていくことができるのです。
周りの環境が変わり、雰囲気が変わっていくことでしょう。
人の言動を見定めるためにそこに隠れた「目的」を考える
アドラー心理学のキホンとなる考え方です。
人間は、過去の「原因」に突き動かさせる存在ではありません。
現在の「目的」に沿って生きています。
たとえば、
「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」
語る人がいたとします。
これは、「人生の嘘」であるとアドラー心理学では断言します。
ほんとうは、
「他者のと関わることで、傷つきたくない」
という目的が先にあり、その目的を叶えるために、誰ともかかわらない「暗い性格」を選択しているのです。
そして、自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出しています。
われわれは、過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定しているのです。
アドラー先生の思想は、
「人間はいつでも自己を決定できる存在である」
という人間が持つ可能性への強い信念に基づいています。
それでも、なぜ人は変われないのか?
わたしたちは、今日からでもあたらしい自分を選択することができる存在です。
それでも、なかなか変えられない。
変えたいと強く願いながらも、変えられない。
その理由は、変化することは「死」そのものだからです。
今のあなたをかえることは、「それまでのあなた」を墓石の下に葬り去ることを意味しているとアドラー先生は言います。
だから人は変わろうとしないのです。
「死」を選ぶことができるのか。
底の見えない闇に身を投げることができるのか。
それは、簡単な話ではありません。
だから人は、変わろうとしないし、どんなに苦しくても「このままでいいんだ」
と思いたい。
そうして現状を肯定するために「このままでいい」材料を探しながら生きてしまうのです。
「いろいろあったけど、これで良かったのだ」
「いまの自分」を積極的に肯定しようとするとき、その人の過去のトーンは、「いろいろあったけれど、これでよかったのだ」と総括するようになります。
「いま」を肯定するために、不幸だった「過去」も肯定するのです。
また、不幸だった過去を肯定できないならば、「いまの自分」に満足していないと言えます。
もっと違う過去であれば、自分だってこうじゃなかったのに、という可能性の中に生きようとしているのです。
われわれの世界に過去は存在していません。
十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけなのです。
取り戻すことができないモノではなく、純粋に存在していないモノなのです。
あなたの「いま」が過去を決める
たとえばある国でクーデターが起きました。
鎮圧され、失敗すれば彼らは逆賊として歴史に汚名を残します。
しかし、成功し政権が打倒されたなら、彼らは圧政に立ち向かった英雄として歴史に名を残します。
われわれ個人も同じ。
人間誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。
人は、過去に起こった膨大な出来事の中から、いまの「目的」に合致sる出来事だけを選択し、意味づけをほどこし、自らの記憶としているのです。
そして、いまの「目的」に反する出来事は消去されます。
ライフスタイルを再選択していると過去のエピソードが変わってきませんか?
ワタシ自身は、アドラー先生の話を読んでほんの少しずつ考え方に変化が出てくる中で、過去の父との軋轢についても解釈が自然と変化してきているのを感じました。
うっとおしさ200%で、そのくせ自分の考えを押し付けてきた嫌な父親であったと昔は思っていました。
しかし、いま思い出すのは、休みの日にあちこちに連れて行ってくれた笑顔の父です。
どうやら「父親のせいで人間不信な性格になった」というライフスタイルから、「とりあえず今の自分を受けいれた」という段階に来たようです。
さあ、これから「自分のライフスタイルを変える」の段階にステップアップです。
過去はびっくりするくらい変わります。気づかないうちに変化しています。
この調子なら「いまの自分」も変えられるようです。
フロイト的に「変えられっこない」と思い込んでいたころは、変化せず悲劇の自分に酔って足踏み状態でした。
しかし、「変えられる!」と信じれば結構変わります。
アドラー先生、ありがとうございます。
今日もおつかれさまでした。
ちょっと寒かったかもしれませんね。
暖かくして、ゆっくり休んでくださいね。
では、また。