人生は旅と同じ。目的地に到達することよりも、そこに至る道を楽しむこと。
そして、この一瞬である「刹那」をダンスを、踊るかのように真剣に楽しむことこそ醍醐味。
そのダンスの連続が人生そのものなのです。
こんばんは、ラブです。
「普通」である勇気
昨日は、「他者からの承認」を求めることで「普通」であることを否定することについて勉強しました。
そうすることで「特別な存在」になろうとする、安直な優位性の追求をしていては、結局「他者の目」に焦点がありますから、自由には生きられません。
「普通」であることは「無能」なことではありません。
「普通であることの勇気」を持つことで、わざわざ自らの優位性を誇示する必要がなくなり、世界の見え方は一変します。
「普通」であることを否定したいわたしたちの気持ち。
そこには、漠然とした「『人生における目標』を持たなければならない!」という思いがあるからなのです。
人生は登山の途上ではない
「普通である」ことを否定するのは、「人は人生において高邁(こうまい)な目標を持たなければならない」という思いがあるからです。
しかし、アドラー心理学では、それを否定します。
人生が山頂にたどりつくための登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。
つまり、山を踏破したところから「本当の人生」が始まるのであって、その道のりは「仮のわたし」と「仮の人生」となってしまいます。
もしも、山頂にたどり着けなかったら?
人生のハプニングや事故や病気もあるかもしれません。
登山そのものが失敗になることもあり得ますよね。
そうしたら、わたしの人生はなんなのでしょうか?
人生は線ではなく、点の連続
フロイト的に考えるならば、人生は線です。
様々なカーブを描きながら、頂点に達し、やがて死を迎えて終わる。
しかし、こうした発想は、人生の大半を「途上」としてしまいます。
それならば、人生を点の連続と考えてみましょう。
線のように見えるものは、実はよく見ると点の連続です。
人生は連続する刹那(1秒よりもさらに短い一瞬の時間)の連続です。
「いま、ここ」という場所にしか私たちは生きることができません。
過去も未来も、すべては存在しないものだからです。
登りの一歩一歩も、楽しむ
努力を否定している、というわけではありません。
バイオリニストになることを夢見ている人は、いつも目の前の楽曲だけを見て、この1曲、この1小節、この音に集中して演奏してきます。
そして、「いま、この音」に集中し続けているうちに、ふと周りを見渡してみると「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。
日本に来た外国の登山客が、日本人の登山の楽しみ方について、不思議がっていました。
「日本人は、わき目もふらずに山頂を目指して登り、山頂で写真を撮ると『時間だから』とすぐに降りていく。
登山の途中の風景や花、鳥の声を楽しんでいるのだろうか?」と。
アドラー先生に言わせると、
「人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続の刹那」
なのです。
バイオリンというダンスを踊ってきた人の中には、そのままプロになった人もいるでしょう。
司法試験というダンスを踊ってきた人の中には、そのまま弁護士になっている人もいるでしょう。
執筆というだんすを踊り、作家になった人もいるでしょう。
そしてそれ以外の別の場所に行き着くこともあります。
でも、行き着く先が別の場所であったとしても、いずれも生の「途上」に終わったのではありませんよね。
最も大事なことは、
ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していること。
目的地に到達することではなく、「いま」を生きることにフォーカス
わたしたちの人生のスポットライトは、「いま、ここ」に強烈な光を当てて生きるべきものなのです。
うすらぼんやりと、「過去」や「未来」にも当てようとする必要はありません。
「過去」に「こうすればよかった」なんて考えたり、「未来」にどうなるか、くよくよあれこれ心配する。
そんなことは、あなたが「いま、ここ」で考えるべきことではないのです。
真剣に「いま」を強烈に生きる!
人生の物語を夢見ている暇はない
人生を物語に見立てて、夢見ているのはラクチンで楽しいことです。
自分の過去を思い出して「悲劇の人」になってみたり。
今現在に努力もしないで、これからをぼんやりと夢見てみたり。
そして、わたしの環境はこうだったから、そのとおりになる。悪いのはわたしではない、と言い訳ができます。
しかし、これは明らかに「人生の嘘」ですよね?
結果ではないのです
たとえば、大学に進学したいと思いながら、勉強していなかったとします。
それは、「いま、ここ」を真剣に生きていないからです。
受験はずっと先であり、見通しもうまくいくかもわからない。
でも、毎日少しでも単語を覚え、数式をちょっとでも解く。
そこには必ず「今日できたこと」がありますよね?
仕事で今日できる小さな仕事をコツコツと取り組むこと。
毎日子どもと向き合って、必死に子育てする毎日。
しかし、
がんばってきた受験勉強が、試験で結果を出せるのか。
コツコツとやってきた仕事が、評価されるのか。
必死にやってきた子育てで、立派な子どもに成長するのか。
そんなの、まったくわかりませんね?
「いま」を真剣に生きる
「いま」を真剣に生きること。
ここで大事なのは「深刻」ではないということです。
たとえ、今この瞬間に人生を終えたとしても、不幸と呼ぶべきものではありません。
いつもこの瞬間、人生は完結しているのです。
「いま、ここ」に集中して生きることで、どの瞬間も幸福な生なのです。
スポットライトをうすらぼんやりと当てて、人生の嘘に頼って過去や未来を見たつもりにならない。
今を生きる『勇気』を持つことです。
未来の不安は、幻でしかないのです
新年度のこの季節、正直不安に押しつぶされそうになる時があります。
しかし、その「押しつぶしてくる不安」はワタシ自身が作った幻だとアドラー先生は教えてくれました。
どんな目的地に着くか、とか
この先に何があるのか、とか
今まで失敗したこと、とか
そんなことにまでスポットライトを当てれば、「いま」がぼんやりします。
そうすれば、「今の自分」にがんばらなくていいものだから、ついありもしない未来やもう存在しない過去に気持ちが傾きます。
でも、ありもしないことに妄想しているのは、もったいない!
「いま」を踊るように楽しんでいきましょう!
桜の花もそろそろ見納めになりますね。
冬鳥も飛び立っていきました。
鳥たちは
「去年は飛来の途中で仲間がたくさん死んだ」とか
「シベリアまで飛べなかったら、どうしよう」とか
考えないで、今を生きてますよね・・・・。すごいな。
余計な脳みそを持たずシンプルに生きる鳥たちだから、空が飛べるのでしょうか。
見習わなければ、と思うのです。
今夜もゆっくり過ごして
良い夢を見てくださいね。
では、また。