5人に1人がそうであるとも言われているHSP。
わりとみんな持ち合わせている性質であると同時に、なかなかやっかいな特性なので暮らしにくさがあるのではないでしょうか?
ワタシは、ほんの少しだけですがHSP気質がわかる箇所があります。
「物語の主人公にネガティブな状況だと見たくない。苦しい」とか、「人に言われた言葉に、必要以上にくよくよ考えてしまう」とか、「人の気持ちに自分の気持ちが同調して、わかる」など。
特に「あの上司はきっと自分をきれいになったに違いない」などと感じてしまい、今年の職場では微妙にガードを固めてしまい、職場でいまいち心が開けていないので、緊張が続いて疲れます。
これが、本当に「相手の気持ちが自分に流れ込んで圧倒する」とか「他人が叱られているシーンを眺めるだけで目に涙がたまる」などの本格的につらい人は、本当にしんどいでしょうね。
著者はHSP専門のカウンセラー。
本書に書いてあることは、HSPの先人たちの発見です。
人にはいろんな特性があるのが当たり前です。
しかし、世の中は「普通の人」が生活するためにカスタマイズされているから、ちょっとした特性によって、つらい思いをすることがあります。
そして、HSPの特性は、まだ世の中で理解されていないことも多いですね。
だから、自分自身で自分を「幸せ」にしていかなければならないのです。
幸せを感じるには、「自分」と「世界」の両方が必要
著者は、たくさんのHSPの人たちとのかかわりの中で、HSPが幸せに生きるための2つの要素を見つけました。
ひとつめは、自分が幸せを感じられる状態にあること。
ふたつめは、自分にとっての「いいもの」がまわりにあること。
文字にすれば当たり前のことですが、「幸せには自分と世界の両方が必要!」というのが大事なポイントです。
相談業をしていると、心次第で現実が動くことをしばしば目の当たりにするそうです。
上司と相性が合わず悩んでいた方が、プライベートでやりたいことを始めたら、上司のやり方を「まぁいいか」と思えるようになったり。
「仕事を辞めたいけれど。辞められない」と何年も悩んでいた方が、「自分は自分でいいんだ」と思えたことで、転職を決断できたり。
ただ、「心ひとつでどうにかなる」は、あくまでひとつのケースにすぎません。
合わない人といればつらいし、素敵な空間にいれば心躍るし、荒れた部屋では落ち着かない。
環境からの影響は確実にあります。
心ひとつで「ひどい環境でも」何とかなる、は、理想です。
我々はブッダではないから。
だから、心のありようとともに、身の回りに「いいもの」があることは、大切です。
たとえb、こんな出来事。
小さなことだけど、このあいだ、ふかふかの靴下を購入。
冬に向けて、雪のように真っ白で、ふっくら編まれた靴下。
これまでは、3足まとめていくらの靴下を買っていたのですが、「いい靴下っていいな」と思ったのです。
部屋で1歩踏み出すたびに、そこだけお布団のように、ふかふかと受け止められる。
つま先から大切にされている感じがする。
繊細さを持ち合わせることは、同時に環境のここと良さも人の10倍受け取ります。
こんな日々の小さなことから、気持ちがおだやかになることができる、というメリットがあります。
これがHSPの人の好さであり、豊かな感受性のたまもの。
幸せになるために、モノに助けてもらう。そんなことを、もっと集めてもいいのです。
手仕事をする
著者は以前は夕飯をカロリーメイトで毎日済ますほど合理的でした。
しかし、フリーランスになりご主人と一緒に暮らすようになり、はじめは「作るのは大変なのに食べるのは一瞬!」とタイムパフォーマンスの悪さを憎んでいた料理も楽しむようになりました。
ハサミでフキを収穫し、1本1本筋をとる作業はお気に入りの時間に。
パソコンにずっと向かていると、身体の輪郭が薄れる感覚があるというか、自分がバーチャルな存在に感じることってありませんか?
そんなときにも、単純作業をすると、五感が戻ります。
一心にお風呂掃除をしたり、床の水拭きをしたり。
繊細さんの中には、「経費伝票をダダダッとひたすら入力していくのが好き」「案内状を封筒に詰めていくのが好き」と言う人も多いのです。
「ゾーン」や「フロー」と呼ばれる深い集中の時間は、人間が幸せを感じる時間のひとつです。
人の気持ちはわからない。それはとても自由なこと
相談業をしていて著者がわかったことは、「人の気持ちはわからない」ということ。
繊細さん向けのカウンセリングを始めたころ、よく「人の気持ちがわかるからしんどい」という相談をもらうことがありました。
「上司の気持ちがわかるから、意見を言いづらい」
「友達がこう思っているとわかるから、しんどい」
など。
確かに、繊細さんは相手の表情やトーンで、些細な変化をキャッチします。
でも、その「わかる」はどこまで当たっているのでしょうか?
たとえば、「同僚が目立ちたがり屋で、なにかにつけ注目してほしいと思っているのが分かる」という相談があるとします。
ふむふむなるほど・・・と話を聞いていると、実は相談者さん自身が「注目してほしい」と思っている、ということがあるのです。
これは投影と呼ばれるもので、本当は自分が思っていることなのに、まるで相手がそう思っていると感じられる現象。
ある日著者の繊細な友人が、「あの人こう思っているなってわかるから、しんどい」と言い出しました。
「友人よ、お前もか」と内心ツッコミ。
「実際にどこまでわかるんだろう?」と、こっそり著者は実験しました。
ランチでおしゃべりしながら、頭の中で思い切り友人の悪口を言ってみたのです。
ところが、当の友人は楽しそうに目の前で話し続けています。
「相手の気持ちがわかるというけれど、頭の中身は読めないんだ!」
画期的な発見でした。
著者自身も「相手の気持ちがなんとなくwかる」と思って生きていたからです。
「相手の気持ちがなんとなくわかる」と思い込んでいるからこそ、「きっとこう思っている」と予測で動いてばかりで、「ね、実際はどう思っているの?」と相手に確かめてこなかった。
自分の「わかる」を検証してこなかったのです。
ほかの繊細さんにも相手の気持ちについて「本当は」どれくらいわかったか検証してもらったところ、10年一緒にいるパートナーの考えていることも「8割くらいしか当たらない。怒っているかと思ったら眠いだけだった」だったり。
また、自分もパートナーも繊細さんの参加者さんからは、「察してよと思っているときはうまくいかなかった。言葉で伝えるようになってからうまくいくようになった」というお話がありました。
確かめるほど、「相手の気持ちは正確にわからない」ということが分かりました。
怒りや喜びの感情までは読めるけっれど、「なにを考えているのか」「なぜ今怒っているのか」といった頭の中身まではわからない。
そう知ることで、とても自由になれました。
人間は、自分と相手をどこか同じものとして認識しているのです。
ゆるむことで存在からの愛を受け止められる
著者はブログや原稿という形で8年ほど文章を書いていますが、「心とつながって書く」ことを意識し始めてから、いかに「ゆるめるか」に注目しています。
心と体を整えて、湖の底に目をこらすように、内面にじっと意識をむける。
頭で考えてひねり出すのではなく、心の深いところにつながって、本当に思っていることや感じていることを汲み出す。
そうして書くことで、手触りのある言葉が生まれ、読み手が「そうだよね」と静かにうなずくようなコミュニケーションができるような気がするのです。
でも、まだ著者も訓練中なので、余裕のなさが出ることも。
「メールに変身しなきゃ」「夜11時までにブログをアップしたい」などと慌てていると、体が緊張し、意識が外をむき、内面とつながれなくなるのです。
こりゃまずい、ゆるめなくては!とヨガに行ってきました。
緑の見えるスタジオで、先生の声掛けにならって、じっくりゆっくり体をストレッチ。
背骨をねじったり、ぐーっとわき腹を伸ばしたりすると、呼吸がだんだん深まります。
40分ほどかけて体をほぐし、最後のクールダウンの時間。
BGMがクラッシックに変わり、ピアノが一音「トーン」とスタジオに響きました。
ひとり宇宙に漂うかのような音色に、すーっと涙が出てきました。
ヨガを初めて9年ですが、涙が出るなんて初めてだったそうです。
心と体が緩んだ状態で、共鳴するものに出会うと、まっすぐに届く。
ゆるむことで受け取れるのです。
今週もお疲れさまでした。
たくさんあなたを癒してあげてくださいね。
では、また。