ニーチェは『ツァトゥストラはかく語りき』の中で、「君は舞踏しているか」と呼び掛けています。
踊るような、ダンスをするような、この一瞬を燃焼させる生き方こそ「心地よい疲れ」をもたらすもの。
踊っていたり、カラオケを長時間しても、あまり疲れないのは、からだを動かすとともに、からだを「解放」しているからなのかもしれません。
今回のキーワードは「遊び感覚」。
こんばんは、ラブです。
踊っている感覚で生きる
身体を動かしながら、からだを「解放」してくれる踊り。
こうした「踊っている感覚」をうまく仕事や生活に活かすことができれば、「疲れない身体」を実現できるでしょう。
からだを解放する踊りのイメージは、振り付けのない踊り。
自分自身のからだから、次々と湧き起こってくる「こう動いたら気持ちいい」という衝動につきうごかされるがままに手足を動かすことです。
いわゆる「寝相」のようなもの。
寝ているアイアにからだが欲するままに動く寝相が、いろいろは偏りやこりをほぐすことで、からだが調整されるという考え方もあります。
日本人は昔から日常を「ケ」、非日常を「ハレ」と称してきました。
そうした表現でいえば、日々の労働は「ケ」、踊りは「ハレ」です。
普通の労働でからだを使うと疲れますが、休みの日やお祭りの日に踊っても、動いたのにほとんど疲れません。
これはハレの日の「踊り」が身体を整える作用を持っているからなのです。
ですから「疲れない身体」を手に入れるためには、ケである日常の仕事であるにもかかわらず、その動き自体が舞踏(ハレのからだ=動きに無駄が無くて疲れない)になっているということなのです。
日常の中での舞踏感覚
著者は大学で「今までの仕事をしている中で、または生活している中で、舞踏感覚を味わったことがあるか?」という問いを学生にすることがあります。
すると、次のような答えが返ってきました。
「バイトをしていて妙にチームワークがうまくいく日があるんです。
そういうときは、すっごく忙しくてお客さんがどんどん来ても、スタッフがぶつかったりミスをしたりということもほとんどなくて、何もかもスムーズにいくんですよ。
ああいうときは、ほとんど踊っているような感覚ですね」
チームがうまく機能した時に感じる高揚感、それがまさにチームとして踊っているという感覚だったというのです。
あなたも経験したことがあるのではないでしょうか。
また、仕事で「踊っているような感覚」というのは、「遊び感覚」と言い換えることができるかもしれません。
仕事はしているのですが、あまりに何もかもうまくいって、トラブルも上手く切り抜けたりして、仲間とハイタッチをしたくなるような感覚です。
こうした感覚には、リズムが伴います。
「今日は息が合った仕事ができたな」
「流れがよかったな」
というような、リズムやテンポの良さをチームで共有したという感覚を持ったことはあると思います。
それが「舞踏感覚」です。
ポイントは、躍動感や高揚感、リズムや流れというものを感じること。
動いた後にはほとんど疲れていない、ということ。
アイディアが湧き、リズムが内側から生まれ、こんな動きもしよう、こんな動きがしたいと、自由に思いを解放しているのに、そのすべてがリズムに会っている、という感覚です。
仕事で踊るには「テンポ」が大事
仕事で踊るときに大切なのは、「テンポ」です。
一緒に仕事をする人とテンポが食い違うと、せっかくのいい流れが、そこで止まります。
テンポよく流れていれば疲れませんが、一度止まると、一気に疲れてしまいます。
運動と一緒なのです。
たとえば、自分ひとりのペースで走っているときは、それほど疲れませんが、ペースの合わない誰かと走ると疲れますね。
仕事であれ、勉強であれ、テンポの合う人と一緒にするのが、最も効率がよく疲れません。
一緒に仕事や勉強などさまざまなことに取り組む相手との相性は大事です。
職場でも、担当が決まっているからこの二人でやるというのではなく、「この二人は相性がいいから」と、まずバディを先に組ませることも効率的な方法かもしれません。
このように「疲れない身体」というのは、一人でつくるだけのものではなく、コンビネーションでつくっていくという方法もあるのです。
踊りは一人で踊るのもよし、ペアで踊るのもよし、チームで群舞のようにおどってもいい、ということです。
反復を積むと、力の抜き方が見えてくる
著者は小さいころから長嶋茂雄さんの大ファンでした。
どこが好きだったか、今思い出すと、長嶋さんは野球をしながらも踊っているかのように見えたことだと言います。
義務感で野球をしているのではなく、踊るように球を捕り、踊るように球を投げていました。
持ち場はサードなのに、ショートの球まで取ってしまって走りながらファーストに投げるのですが、その投げた手が最後までひらひらひらと波打つように動いていました。
長嶋さんの名言は数多くありますね。
中でも面白いのが「千本ノックを受けると調子がよくなる」です。
普通は千本ノックなんて受けたら、疲れてヘロヘロになります。
しかし長嶋さんの場合、疲れるとからだからムダな力が抜けて、必要最小限の力で動くようになるので、自分のテンポが出てきて調子がよくなる、というのです。
疲れた時に初めて出てくる「自分の調子」をつかむために、千本も1万本もノックを受けていたのです。
本も1万冊くらい読むと、1万1冊目にはものすごい高速で読めるようになります。
1万冊も読む人は多くはないかもしれませんが、少なくとも1000冊読んだ人には、1001冊目というのは、明らかに違いが感じられるはずです。
この1001冊目の速さが、長嶋茂雄さんの言う「自分のテンポ」です。
長嶋さんはこの自分のテンポを千本ノックでつかむと、守備でムダな力が抜けるのはもちろん、バッティングでもムダな力が抜けた言いスイングができると言います。
限界を突破するような反復を積むと、人は力の抜き方を覚えることができるのです。
大量の読書でも、大量の仕事でも、とにかく限界を超えるような「大量」経験してみるということが、「疲れない身体」をつくり、それをさらにステージアップさせるために必要なのかもしれません。
もちろん仕事では、ある程度セーフティネットでバックアップ体制がある中で行うことが必要です。
ただこれは、「ムチャ振り」にがんばって応えることができたときに似ています。
ムチャ振りは、キャパシティーを超えた要求です。
こうした無理に要求に必死に応えるようにしていると、知らない間に能力がアップしますよね。
そして通常の業務に戻ると嘘のようにラクに感じます。
この余裕が、
「何をやっていてもあまり疲れない」
「ほとんどのことが遊んでいるように楽しめる」
という感覚につながっていきます。
つまり、大量のことをこなすということは、自分がラクに動けるテンポをつかみ、いざという時にパニックにならずに静かな自分を保つ精神力の強さも同時に養ってくれる、最強のトレーニングなのです。
確かにムチャ振りに応えたりしたあとは、力がついているもの。
「量をこなす」ということは、かなりうんざりしてしまい、回避したくなるものですが、そこにこそ自分が伸びるチャンスがあるんですね。
暑い一日でしたね。
水分をしっかり取って、ゆっくり休んでください。
では、また。