『「ありがとう」の神様』から言葉を紹介するのもラストになりました!
調和して生きる方法を端的に示してくれる小林正観さんの言葉です。
こんばんは、ラブです。
神様を味方にする
「そこから先は、神様の領域だから」
「嬉しい、楽しい、幸せ」を口癖にしたり、キレイ(心とか、掃除とか)な人、謙虚な人、素直な人、誠実な人という目指すべき5つの人格。
私たちはそれを目指すことはできます。
でも、そうなった後の未来は、「そこからさきは、神の領域」だと著者は言います。
もし、ガンになった人が、「ガンと闘うぞ」と決めたとしても、それは神の領域です。
どうにもならないことと闘うから、つらい。
「あと3,4か月の寿命です」と言われたら、
「そこから先は、神の領域」と腹をくくるという考え方もあるのです。
そう思うとラクになれるそうです。
「手の届く範囲の身の回りをキレイにする」「謙虚にモノを考える」「誠実に生きる」
そうしたことは、自分ですることができます。
でも、
「そこから、何が生まれるのか」「そこから先、自分の人生はどうなるのか」
については、
「そこから先は神の領域」で、「人間がコントロールできる領域を超えたところ」
・・・なのかもしれません。
それでも、「これはどんな意味があるの?」といちいち問いかけませんでした。
「そこから先は神の領域」という思想があったから、心穏やかに生きていくことができたのだと著者は言います。
思い通りにならないのは、「思い」があるから。
「思い」をなくして、「自分が頼まれてやる羽目になったこと」を淡々と「はい、わかりました」とやっていけばいい。
そう思っている人は、ストレスを貯めませんね。
ストレスを貯めないから、ラクに生きられると著者は言います。
「四諦」の実践で悩みや苦しみとサヨナラする
お釈迦さまの悟った道のりはいくつもあります。
その中のひとつに「四諦」という考えがあります。
「4つの諦め」「4つの悟り」ということです。
「諦」というのは、ある種の心の落ち着きや悟りを意味するそうです。
①第1の悟り「苦諦」
「人生は苦悩に満ちている」という悟り
②第2の悟り「集諦」
「執着が、悩み・苦しみの元である」という悟り
③第3の悟り「滅諦」
「執着によって、悩み・苦しみが存在しているのだから、執着をなくせば、悩み・苦しみはなくなる」という悟り
④第4の悟り「道諦」
「悩み・苦しみは、こうでなければならない、という『とらわれ』や『こだわり』が自分自身を縛り付けている状況。
だから、滅する(執着を捨てる)ことを、日常生活でやっていけばいい」という悟り
この4つを実践することで、お釈迦さまは悩み・苦しみから解放され、「解脱」(悩み迷いから解き放たれて、自由の境地に達すること)ができたそうです。
ただ、「こだわらなくていい」ということを逆手にとって、常識的ではないことをずっとし続けることも、逆にこだわりではないかとも著者は言っています。
ひとつひとつの「こだわり」や「とらわれ」がなくなったら、人間は本当にラクになれるのでしょうね。
人生は、「自分が書いてきたシナリオ」どおり
私たちは、自分の意思で進む方向を決めていると思っていますが、選ぶ道はどうやら「生前に書いたシナリオどおり」らしい、と著者は言います。
あなたの過去で考えてみましょう。
「過去」の選択を見るとほとんどのことが、「あの時は、ああするしかなかった」という選択の余地がない状態だったのではないでしょうか?
あなたは、ただ流され、動かされてきたのです。
少なくても著者の人生は、
「私の人生に、選択肢はなかった。
それしか選べなかったし、必ずそうなるようになっていた」。
「未来」も初めから決まっていて、そのとおりの出来事が起こるらしい。
あなたが「どのような使命を背負って生まれるのか」も「どのように死ぬのか」も、あなたが決めてきたらしいというのが、著者の結論です。
それならば、「頼まれたこと」を感謝して、誠実に、楽しんで、淡々とやっていく。
努力したら、あとは「神の領域」に任せて、笑顔で毎日をすごす。
そんなことなのかもしれません。
ワタシ自身も「こだわり」が捨てられなくて自縄自縛になっていました。
そんなものを捨てて、「頼まれたこと」をやっていけたら、もっと自由に生きられたのだと思います。
これから、ちょっと心にとめて挑戦したい考え方です。
71のちょっといい言葉と習慣を集めた著書でした。
あなたの明日からの1週間が、またすてきな日々でありますように!
では、また。