猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

『超訳 ブッダの言葉』小池龍之介~いつも本当のあなたでいるためのシンプルな考え方

年末にかけて、忙しくなるこの季節は、寒さも重なってちょっと気持ちいらだちがちです。

そんなお局様、とんでもないですね。

社会悪でしかありません。

せわしない時期こそ、落ち着いて優しく、冷静でありたいもの。

ベテランが雰囲気を穏やかにしてこそ、部署内の平和は保たれるのですから。

若いころ、疲れるとイライラを人にぶつける年配者に内心

「ここは職場だよ?怖い。本当にやめて」

と思ったもの。

 

繁忙期には、失敗があるものですよ。

それをどうとらえるか?

たとえ若いあなたでも、そこで余裕を見せられたら超かっこいいです。

いやはや、株が爆上がりでしょう。

 

みんなが仕事がいっぱいいっぱいになり、いら立ちやすいこれからの季節。

「あなた自身」が本来持っていた健やかな考え方を取り戻せるか。

ちょっとしたヒントになるものが、ひとつでもあったら、とてもうれしいです。

 

日本にはもとから神道があり、さらにもう少し新しくは仏教が入ってきましたね。

仏教は細かい宗派によって厳しい戒律と一部の敬虔な信者のためのものであるイメージもありますね。

でも、小池龍之介さんたちが紹介する「ブッダが話した言葉」たちは、「哲学」にちかいとよく言われました。

以前たくさん書籍などで紹介されましたね。

 

ワタシも「ブッダの言葉」たちは、「哲学」として生活に考え方をとりいれるのが、好きです。

アドラー心理学にさえ通じるように思える(ワタシが不勉強だからそう感じるだけだとは思うのですが)、「ブッダの言葉」。

 

本書は以前大ベストセラーになった1冊です。

「心を穏やかに保つ」ことをキーワード。

たくさんの人が共感した「ブッダの考え方」をこの機会に一緒に読み直してみませんか?

もし誰かにいやな目に遭わされたら

誰かにあなたがいやな目に遭わされて、鬱になって落ち込んだりすれば、相手は

「わーい、ざまーみろ」

と笑って喜ぶでしょう。

 

ゆえに「真の損得」を知る人は、どんんあいやな目に遭わされようとも、嘆かず平常心を保ちます。

前と変わらない穏やかなままの、あなたの優しい表情を見た敵は

「ちぇっ、がっかりだ」

と落胆します。

皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は、あなたが怒らず朗らかにしている、たったそれだけのことです。

 

我が家では恥ずかしいことに、夫が家中どこでも大きな声でくしゃみをし、おならをどこでもしています。

ワタシは以前は「やめてよ」とくりかえし注意していました。

が、日ごろ会話の無い夫婦なためでしょう、よけいに回数がとても増えました。

叱られて喜んでいる節さえありました。

(今思い出しても、腹が立ちます)

 

そこで、リビングの横の物置部屋を大改装。

自室を作りました。

そしてドアをしっかり閉めることにしました。

これでもう、一緒に好きでもないテレビを見なくてもいい。

夜のいびきにもさいなまれません(物置部屋で寝ることにしたから)。

おならなんか好き勝手やってもらっていい♡

いちいち注意をしてあげることもなくなったところ、おならは最低限になったようです。

見ない、かまってあげない。

そして、できれば空間を別にする。

本当に良い手段です。(家庭内別居の始まりかもしれませんがwww)

もし誰かの怒りを買ってしまったら

以前ワタシは顧客のひどい怒りを買い、「裁判にする」とまで言われて、鬱がひどくなりました。

そんなに怒らなくてもいい案件なのに。

でも、本当に裁判が怖くて苦しくなりました。

 

著者はブッダの言葉として、こんな言葉を紹介しています。

 

怒っているいやな人にたいして

「ちぇっ、そんなにおこらなくてもいいのに」

とムカムカ怒りを感じるのなら、あなたはその怒りによってまさに悪をなしたことになります。

怒っている人の怒りに対して怒りを感じずにすませられることこそ、難敵と戦ってなんとか勝利することとなります。

他人の怒りを前にしたとき、あなたがいち早く気づくべきは、あなた自身の心まで怒りに染まりそうになっていることです。

それに気づいて、落ち着くようにする。

そうすれば、あなたにとっても相手にとっても、心の治療を施すことになります。

 

あなたが相手の怒りをそっと穏やかに受け止めるとき、互いの怒りはやがて静まり、癒されていくでしょう。

 

本当に、その通りです。

ワタシのところに表れた難癖をつける顧客も、時間がたてば怒りをおさめていました。

悪口を言われない人はいない

この世の中のどんな人でも、必ずどこかで誰かの怒りを買っています。

誰かに悪口を言われるのが、当たり前。

昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのです。

悪口なんて涼しく聞き流すのがよいでしょう。

怒りという手料理は食べずに帰る

あなたが友人をディナーに招待して、手によりをかけた料理でもてなそうとしたと想像してみましょう。

けれどあいにく、彼らには用事があり、すぐにそそくさと帰ってしまった。

するとあなたの家のテーブルには、手つかずで盛り付けられた料理がどっさり。

あなたは、独り寂しく食べる羽目になるでしょう。

 

ちょうどそのように、誰かがあなたに怒りをぶつけて攻撃してきたとするなら。

それは相手があなたを怒りという毒を盛り付けたディナーに招待しているようなもの。

もしもあなたが冷静さを保ち、怒らずに済むなら、怒りという名の手料理を受け取らずに帰れるのです。

すると怒っている人の心には、あなたに受け取ってもらえなかった毒料理が手つかずのまま、どっさり残る。

そのひとはたった独りで怒りの毒料理を食べて、自滅してくれるでしょう。

攻撃には「肩透かし」をもって返す

他人から攻撃されたとき、あなたもまた攻撃をもって返すなら、あなたの中の恨みも相手からの恨みも静まることなく増幅しあい、無限に連鎖してゆくことになります。

 

攻撃を受けても、「まぁ、いっか。恨まないよ」という肩透かしを投げ返せるなら、互いの恨みは静まり休まります。

これは、永遠の普遍的心理です。

あなたも相手も、やがては死んでここから消える

誰かと敵対して争いが生じそうになったら、しっかり意識しましょう。

あなたも相手もやがては死んで、ここから消える、ということを。

あなた以外の人々は、「自分もやがて死ぬ」ということを忘却しているけれど、あなたがこの真理をはっきり意識していれば、怒りも争いも静まることでしょう。

 

「どのみち、君もやがてここからいなくなる。

どのみち、私もやがてここからいなくなる。

じゃあ、ま・・・・、いっか」

と怒りを捨てて、平静さを取り戻しましょう。

相手の悪(あやまち)ではなく、自分の内面を見よ

他人の「悪(あやまち)」に気づいても、あなたがイライラする必要はないのです。

他人がやらかしてしまったこと。

他人がすっぽかしてしまったこと。

そんなものをジロジロ見なくていいのです。

 

そのかわり、視線をクルッとあなたの内面へ反転させて、じっくり見つめてみるといいのです。

「自分は何をやらかしてきて、何をすっぽかしてきたのかな」と。

不快な状況下でも穏やかでいられるか?

こんな昔の話があります。

 

その昔、ウ”ェーデーヒカーという名のお金持ちの女性がいました。

彼女には「温和で優しく冷静な人」という良い評判がありました。

彼女は、カーリーという名のメイドさんを雇っていました。

カーリーはふと、こんなことを思いました。

「私のご主人様は優しいって評判だけど、心の奥には怒りがあっても、表面には見せないだけなのか、心のどこにも怒りがない清らかな方なのか。

どちらなのかしら。

試してみましょう」

 

そこでカーリーは、わざと遅い時間に起きて、たいへん遅刻して出仕しました。

 

すると

「遅刻するとは、どういうことですか!」とウ”ェーデーヒカーは怒りをむき出しにしました。

そこで

「なんでもございません、ご主人様」

とカーリーが答えたところ、

「遅刻しておきながら、なんでもないなんて、生意気な」

とさらに怒り、鉄棒でカーリーの頭を打ち据えました。

カーリーの頭からは血がだらだらと流れました

 

この実験の結果、ウ”ェーデーヒカーは不快な状況や不快な言葉遣いに遭わず快適でいられるときだけ優しく指定していられただけだと判明しました。

 

あなたがもし、不快な状況下でも怒らずにすむなら、まことに「温和で優しく冷静な人」と呼ばれるのにふさわしいのです。

 

この話のメイドさん、命を張りますね。

本当はご主人を嫌いだったのかなwww

 

かくいうワタシも反省です。

昨年、失礼な後輩の言葉が許せず思い切り怒ったことがありました。

いや、だって仕事もしない若造がこっちに立場を譲れとか、あり得ないから。

1日も下調べもしてないのに、3日も準備していたワタシの部署に日程を譲れ、とは何事か。

「あなた、ワタシ並みに仕事の下準備をしてから言いなさい!!」

と会議の終了後にみんなの前で言ってしまった。

現場は凍り付き、「やっぱりあの人怖え」。

 

 

・・・・・ちくしょう!

数年かけて穏やかなベテランを装ってきたのに(多分、怖いのはばれてるけどねwww)

あのバカがあほな発言するから、ワタシがつまらん本音をさらすことに・・・・

 

いやいや、違う違う!

不快な状況下こそ、心を落ち着けられるよう、訓練が必要。

ウ”ェーデーヒカーの事例を思い出してがんばろう。

自分が驕っているから、怒るのだ。

自分の修行が足りなかっただけ。

次は、もうしでかさない。

ワタシはベテラン。

若手を指導してなんぼなのに、みっともないわ。

もっと冷静にがっつり給湯室で1対1で、もしくは会議のど真ん中で指導すればよかっただけ。(多分、余計怖いわ♡うふ)

怒りをコントロールできないお局、なんて恐怖の大魔王なみですからねwww

 

体調をコントロールして、睡眠をコントロールして、怒りはコントロール

その瞬間怒るのは目だけにしよう(ちょっぴり怖いかもね)。

論争の誘いに乗らない

あなたの近くに自分の考え方にしがみついている人がいたとします。

その人が

「俺様の考えだけが真理であり、貴様は間違っている」

と論争をしかけてきたとします。

それならあなたは、

「なるほど、そういう考え方もあるのですねぇ。

あなたがそう考えたくなる気持ちもわかるような気がします」

と言って、ヒョイっとかわしてやるとよいのです。

 

相手が敵対しようとからんできても、

「あいにく、ここには、自分の考えにしがみついてあなたに敵対するなんていう面倒なことをしたい人はおりませんので」

とばかり、肩透かしをくらわしてみるといいのです。

このように、自分の考えへの執着を捨てるなら、論争にもとづく苦しみは消滅します。

 

成果に執着しない

あなたへ。

私(ブッダ)は成果に執着しない。

ゆえに、

「田んぼに種をまいたのに、今年は不作で、ちょっぴりしか収穫できない。あ~あ」

というストレスも生じない。

あるいは、がんばった仕事を評価されなくても

「あーあ、世の中の人たちは見る目がないな」

なんて、ひがむ苦しみは決して生じない。

 

だから、私はしあわせ。

食べ物に執着しない

あなたへ。

私(ブッダ)は食べ物に執着しない。

だから、食料のストックがなくなっても、

「どうしよう、早く買いに行かなくちゃ」

と急き立てられる苦痛はない。

食料がたくさんあるときでも、適量で食べ終わるから、

「しまった、ストレスで過食してしまってお腹が苦しいよ」

という苦痛は決して生じない。

 

だから、私はしあわせ。

わが子に執着しない

あなたへ。

私(ブッダ)には、ラーフラという名の息子はいるけれど、その子への執着はない。

子供に勉強を教えてやった分だけ

「できるようにならないと気が済まない」

なんていう、カリカリした気持ちはさらさらない。

 

子供を育てるのにたくさんのお金を使ったからといって

「恩返ししてくれなきゃ気が済まない」

と借金取りのような思考でいらだつことはあり得ない。

 

だから、私はしあわせ。

パートナーに執着しない

あなたへ。

私(ブッダ)はパートナーに執着しない。

ゆえに、パートナーが朝から自分に興味のないものをつけようとも、

「私がこの音楽を好きではないことを知っているくせに、なんでこんな音楽をかけるんだよ」

とイラつく朝を迎える心配はない。

 

だから、私はしあわせ。

 

ぐぬうぅ・・・・。

 

夫のおならごときで腹を立てる自分。

夫に執着しているからいけなかったのか。

執着なんか、するものか。

自然のことですもん。

よし、夫に執着を一切手放そう。

あんなひと、知らない。(それは違うかも?)

自分ではないのだし、どうせお互いいつか死ぬのだし。

それに、もともと他人だし。

気持ちもわからないし。

自分のモノじゃない。

世の中のすべては自分のモノじゃない、借り物ですもんね。

自分のモノも、成果も。

悟りの道は遠い~

かなり遠い。

でも、道に進んでいこうと思います。

人の誹謗中傷だとか、悪口だとか、戦いを挑んでくるだとか、そんなことも「受け流す」。

そして、いうべきことは穏やかに伝える。

 

この年末は