桜のころ、受験で失敗し人生の落伍者だと落ち込んでいました。
しかし、競争と勝ち負けを超えて自分の成長にフォーカスすることができるようになると、本当の自由を感じられるようになりました。
争いに負けた瞬間。
それは大失敗に見えて、人生最大級の成長のチャンスを神様が与えてくれた瞬間でした。
こんばんは、ラブです。
あなたも受験期やノルマが課せられる時期などに、周囲と微妙に「競争モード」に入っていたときがあるのではないでしょうか?
本当は「その場にいる身近な人が競争相手ではなく、自己最高記録を更新するべき」だとは人に言われてわかった気ではいました。
でも、手っ取り早く目の前にいる人を仮想敵国にして、エネルギーを生み出していくことがその後の人生でも習慣になってしまいました。
それによって、いかに青春と子育て期を無駄遣いしてきたかは後でちょっとだけグチらせていただくことにして、まずはアドラー先生の考え方から・・・。
人生は他者との競争ではない
人は、より優れた存在であろうとする「優越性の追求」があるとアドラーも認めています。
ただ、「優越性の追求」というと、人々を押しのけながら階段を上っていくイメージがあります。
アドラーはそのようなことを肯定しているのではありません。
「同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる」
そんなイメージで人はそれぞれのスピードで歩いているのです。
「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思です。
他者よりも上をめざさんとする競争の意思である必要はないのです。
健全な劣等感
健全な劣等感とは、そうした「理想の自分」との比較で生まれるものなのです。
そして、私たちは誰もが違っています。
性別、年齢、知識、経験、外見。全く同じ人間はどこにもいません。
他者との違いは積極的に認めることをアドラーは勧めています。
そして、われわれは「同じではないけれど、対等」であるのです。
その「違い」を善悪や優劣と絡めてはならないのです。
どんな違いがあっても、われわれは対等なのです。
劣等感はそこに持つべきではない。「理想の自分」との間に持つべきなのです。
私たちに大切なことは、今の自分よりも前に進もうとすること。そこに価値があるのです。
対人関係の軸に「競争」が入り込むとき
誰のそばにも必ず忍び寄る「競争」。
自分の仕事の達成率や学歴。
ワタシもそれなりの街に出ると、否応なくこの街にふさわしいレベルでオシャレかどうか、気になります。
カッコいいパートナーを持ちたいというのも、不特定多数のすれ違う人との「競争」と言えるでしょう。
リフォーム会社のCMでも「この町で一番素敵に暮らしたい♪」とあります。
敷地面積から築年数、予算さえみんな違う「家」でさえ「うちの壁もそろそろ張り替えないとみっともないわ」なんて、結構お互いに比べ合っているもの。
この気づかないうちにのっとりに来る「競争」という感情。
強くなってくると、他の人の幸福を「わたしの負け」に感じられる瞬間が来ます。
これが強烈なクセモノですね。
競争レースは人間不信を作る
競争は、すぐに結果が出るために分かりやすいけれど、当然「敗者になりたくない」という考えがベースになります。
ですから、「常に勝ち続けなければならない」ということになります。
それはひいては、「他者を信じることができない」ことになります。
社会的成功をおさめていながら幸せを実感できない人が多いのは、彼らが競争に生きているからだとアドラーは言います。
彼らにとって世界が、敵で満ち溢れた危険な場所になってしまうからです。
しかし、実際はどうでしょう?
世界中の人が、あなたに対して虎視眈々と相手を隙あらば攻撃してやろうと思っていますか?
あなたの失敗を待ち望んでいるのでしょうか?
ワタシ自身はこの競争レースに乗りまくった人生でした。
体調を崩して仕事のペースを落としたり、出産や育児で出世レースから脱落した時に
「同期に負けた」という強い劣等感を持ちました。
しかし、子育ては自分育て。
どんなに努力したって、その子はその子なりの成長をしていきます。
「子どものありのままを愛していく」ことを勉強させてもらううちに、「自分のありのままを愛せるのではないか?」と少しずつ思えるようになりました。
ワタシも青春のほとんどを競争レースの発想で生きてしまいました。
その名残か、いまだに「他の人はワタシの不幸を望んでいるのではないだろうか?」というよくわからない妄想に取りつかれることもあります。
でも、少しずつ「自分のペースで生きる」ということを意識するようになると、「人々はわたしの仲間なのだ」と思えるようになりました。
自分がときに「競争」に流されていることを自覚するだけでも、世の中はかなり光に満ちたものであることに気づくことができました。
権力闘争から離脱する方法
競争の図式から離れることができれば、「負けるかもしれない」という恐怖から逃れることができるようになります。
人を負かすことで自分の力を誇示しようと、競争や戦いを挑んでくるタイプの人もたまにいますね?
そんな訳のわからない頭が悪そうな戦いは降りてしまうことをアドラーは勧めています。
「でも、わたしが正しい!」と思う気持ちが湧いてしまうことも、日々あります。
しかし、「わたしが正しいのだ」と確信した瞬間に、すでに権力争いに足を踏み入れているとアドラーは言います。
主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。
あなたが正しいと思うなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話だそうです。
勝ち負けに執着してしまうと、負けたくないとの一心から、自分の誤りを認めず結果的に間違った道を選んでしまうことがあるのです。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これはいずれも「負け」ではないのです。
「優越性の追求」は、決して他者との競争の中で行うものではないのです。
具体的に何をすれば?
引き寄せとか潜在意識の操作、瞑想などで「自分にフォーカスする」スキルがたくさんありますね。
自分を受けいれるスキルをつける、なども有効です。
こちらのブログでは、そんなことばっかりを際限なく追いかけて半年も書いてきました。
さいごに少しだけご紹介させてください。
長い時間をかけて作ってきた「自分の考え方」です。
これを変えるには一朝一夕ではできません。
沢山の方法をあれこれ試して、自分の生活リズムや気分に合うものを少しずつ習慣化することが一番の近道のようですね。
どうにもこうにも、24時間体制で競争原理の働きやすい日本ですが、負けずに自分軸で生きていきましょう!
ワタシもまだまだなので、がんばります!
受験に失敗した時、やさぐれた感情で在学の半分を過ごしてしまいました。
青春の無駄遣いです。
今にして思えば、そこで失敗したことは、やたら本気で勉強する気になったり、就活に早めに取り組むようになって成功したりと、人生の最大級のギフトであったと思います。
どんな出来事も「どうしようもない最低な出来事」だとか「もう死んでしまいたいくらいの大失敗」なんて意味づけしているのは、自分だけ。
自分の勝手に作った意味づけにココロのエネルギーを無駄遣いせずに、今咲いている目の前のサクラを楽しんで、「いま、この瞬間」にできる1歩を進んでいくことですね~♪
この春を一緒に楽しんでいきましょう~。
では、また。
やったみて面白かった引き寄せのご紹介
潜在意識を利用してシアワセになるスキル
自分を丸ごと受け入れる 感謝のスキル