猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

親子の愛のタスク(課題)~『嫌われる勇気』

べったりした愛情って、しんどいですよね。

相手を思って、その人の幸せを本気で願うのが本物だそうですね。

自分は、ちゃんとできているかな~。

 

 

 

こんばんは、ラブです。

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他者と自分の課題を分離することを生活の中でも意識してみました。

ちょっと意識するだけでしたが、苦しかった対人関係がとてもシンプルになり、すっきりしました!

しかし、アドラー先生によると

「課題の分離は対人関係の最終目標ではなく、むしろ入口」

とのこと。

もっと勉強して、ラクになりたいものです♪

 

understandlove.hatenablog.com

 親子関係って難しくないですかね

親子関係は、本当に難しい課題ですよね。あ、普通の家は難しくないのか。

本著でも、「近すぎても遠すぎてもいけません」と言っていますが。

べったりした父親を持っていました。

日曜日からすごい朝食を早朝から作り、それを家族がいる・いらないにかかわらず提供。

そして、そのあと「自分の話」をたっぷり聞くことを娘に強要していました。

母はそんな父がめんどくさかったのでしょう。

さっさと逃げてしまいます。

何かと干渉してくるし、本当に嫌でした。

 

でも、嫌だと言ったらすごくすねます。

子どもっぽい父なので、何だか捨てられそうで、拒否できなかったのです。

就職は遠くでして、実家を出ました。 

 

理想的な親子関係とは?

アドラー先生が言うには、差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない距離。

そんな適度な距離を保つことが親子の愛情関係には大切だそうです。

 

そんな親子関係ですが、そこで「課題の分離」を取り入れると、一見すると相手の好意を踏みにじっているようにも見えます。

親が子に踏み込んではいけない、という発想は一見冷たそうにも見えます。

 

しかしそれは、「見返り」に縛られた発想なのだそうです。

他者が何かをしてくれたら、それをたとえ自分が望んでいなくても、返さなければならない、と。

これは好意に応えているというよりも、見返りに縛られているだけです。

 

相手がどんな働きかけをしてこようとも、自分のやるべきことを決めるのは、自分だからです。

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「こんなにしてあげたのだから、あなたもこれだけ返してくれ」。

よくあるパターンではありますが、本当にやられた方は心底たまらない手段です。

 親が子どもの課題に介入すること

たとえば、仕事に忙しい母親が出かけ際に時間が無くて、子どもの靴紐を結んでしまうこと。

子どもから大事な課題を取り上げてしまっているのです。

ワタシ自身がやってしまったことです。

当然子どもは、そうした介入を繰り返されるうちに、学ばなくなり、人生のタスクに立ち向かう勇気がくじかれてしまいます。

どんなに疲れていようが、時間が無かろうが、子どもの課題に介入することはならないことでした。

 

他者の課題に踏み込まない、自分の課題に踏み込ませない。

親子であってもその線を侵害していれば、子どもにとってこれ以上の不幸はありません。

もう一度目線を引いてみて、子どもの課題に介入していないか、考えてみたいと思います。

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誰からも嫌われたくない

他者の期待や、誰かの引いたレールの上を走ることは、実にラクなことです。

不満は置きますが、道に迷うことがありません。

もしもそこから外れて自分のやりたいように生きるなら、当然迷いが出てきます。

他者の視線を気にして、他者の顔色をうかがいながら生きること。

他者の望みを叶えるように生きること。

確かにわかりやすい道しるべになります。

しかし、とても不自由な生き方です。

 

「誰からも嫌われたくない」。

その感情にとらわれると、大変な不自由がありますね。

 

ワタシ自身もその傾向を強く持っていたので、心臓を締め付けられるようなその苦痛

がわかります。

本著でも、

「嫌われたくないという一心から、周りに10人の他者がいたら、その10人全員に忠誠を誓うことだ」

としています。

そして、できないことまで「できる」と発言し、取れな責任まで引き受ける。

その嘘はほどなく発覚し、信用を失い、自らの人生をより苦しいものにするのです。

嘘をつき続けるストレスも、想像を絶するものです。

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つまり、他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を人任せにすること。

それは、自分に嘘をつき、周囲の人々にも嘘をつき続ける生き方なのです

 

自分の課題を分離して考えること。

それは、自己中心的に生きることではありません。

むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的ではないでしょうか。

親が子どもに勉強を強要し、進路や結婚相手まで口を出す。

は自己中心的な発想以外の何物でもないのです。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。

これは、自らの不自由な生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。

自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉はでませんし、むしろ自由であることを応援しようとするでしょう。

 

他者からの評価を気にかけないこと

他者からの承認を求めないこと

他者から嫌われることを恐れないこと

 

そのコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

自由には生きられないのです。

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対人カードは常に自分が持っている

子どものころ、高圧的で子どもの人生の課題に踏み込んでばかりだった親と対決するとき。

その「トラウマ」に縛られ、どうにも言いたいことを言えなかった日々がありました。

 

ワタシの父なりの愛情表現でもあった「子どもに踏み込みまくる」子育て。

「うっとおしい」「やめてくれ」

と言って、父に嫌われることが怖くて、ただ逃げ出してしまったワタシです。

 

しかしワタシに子どもが生まれました。

産院の病室で父に

「俺は、どんな風にこの子に接すればいいだろう?」

と訊かれました。

「可愛がってくれればいいよ」

と言ったら、複雑な顔をして笑っていたのを覚えています。

愛情の加減を知らない不器用な人だったのだと、初めて気づきました。

子どもを「目に入れても痛くない」を地で行く可愛がりようでした。

それを見て、ワタシがうっとおしくてしんどかったかかわりも、父なりの不器用な愛情であったのだと気づかされました。

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自分がもっと父親に対して線引きを冷静に求めることができれば、もっとわかり合い、語り合えたのではないかとも思います。

しかし、そのあとしばらくして他界した父とは、もう話すこともできません。

 

今いる家族と、どう接していくか。そこに課題があるんだと思います。

子どもの課題に踏み込まずに、しかも離れすぎずに、いるためにはどうしたらいいのでしょうか。

親になると、心の拠り所が子どもになりやすくなります。

時間も労力もかなの部分を割いているうちに、癒着していくのです。

そして子離れの時期を迎えている今、長期にわたり「子ども中心」に考えも時間も労力もシフトしていた習慣が、なかなか取れないのです。

 

意識して考え方を再構築し、自分の楽しみは自分で発見すること、でしょうか。

子育てで後回しにしていた、自分との対決をやり直しです。

 

「嫌われる勇気」を持つこと。

少しずつですが、実践していこうと思います。

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関東では、土曜日は晴れてお花見日和なようです。

5分咲きを過ぎたので、夜桜が最高に美しくなりました。

すてきな季節ですね!

 

明日もあなたにとって、最高の1日になりますように!

では、また。