明日の自分を思い描くとき、ついやってしまうこと。
今の疲れた自分よりも元気で、エネルギーにあふれている。
嫌になりがちな仕事も勉強も、後回しにもしないで、テキパキこなしている。
おやつになんか1日手を出さなくてへっちゃらで、お店でも当然一番ヘルシーメニューを選ぶ。
そんな自分を想像しがちです。
これは不可解ながらいかにも人間らしい、ありがちな思い違いです。
私たちは未来の自分のことをまるで別人のようにとらえてしまいます。
すっかり理想化してしまい、いまの自分には手に負えないことも、未来の自分ならできるはずだと高をくくります。
そうして現在の自分が決めたことで、未来の自分に重荷を背負わせ、あとでつらい思いをすることもあります。
未来の自分もいまの自分と同じようなことを考えたり感じたりするだろうとは、実は思っていません。
つまり人は、未来の自分を同じ自分だと思えないのです。
プリンストン大学の心理学者エミリー・プローニンは、このように先のことを的確に予想できないせいで、私たちは未来の自分のことを他人のように考えてしまうことを証明しました。
実験で、学生たちは自己コントロールに関する選択を行うように指示を受けました。
一部の学生たちは「今日やろうと思っていること」を、別の学生たちは「後でやろうと思っていること」を選びなさい、と指示されました。
また、そのそのほかの学生たちは「他の学生(実験に参加する次の学生)がやるべきだと思うこと」を選ぶように指示されました。
この場合、現在の自分が未来の自分のために、何らかの配慮をしてもよさそうなものですが、私たちは現在の自分のことはストレスの多い状況から救おうとするのに、未来の自分に対しては、まるで他人のように重荷を押し付けることがわかりました。
また、ある実験では、学生たちにケチャップと醤油を混ぜたとんでもない液体を飲ませることにしました。
科学の発展に寄与するためにどのくらいの量なら飲めるのか、という課題です。
学生たちは自分で決めなければなりません。
一部の学生たちは、数分後に飲んでくださいと言われました。
いっぽう、別の学生には、実際にこれを飲んでもらうのは「次の学期」ですと説明されました。
つまり、現在の自分はお役を免れ、まぜこぜドリンクを飲まされるのは未来の自分です。
さあ、あなたならどうしますか?
未来のあなたなら、どうでしょう?
学生たちは、この胸が悪くなりそうな飲み物をすぐに飲むよう言われたら、スプーン2杯なら何とか飲めると答えました。
しかし、未来の自分や次の参加者の飲めると思う量については、約半カップと答えました。
さらに別の実験では学生たちに対し、いま少額のお金をもらうのとあとで多額のお金をもらうのでは、どちらがよいかと質問しました。
現在の希望について聞かれた場合、学生たちはすぐにもらえる方を選びました。
ところが、未来の自分やほかの学生たちについて聞かれた場合は、「後で多額のお金をもらうだろう」と、つまり「欲求の充足を遅らせるだろう」と期待したのです。
未来の自分が立派にふるまうことがほんとうにあてにできるなら、未来の自分に高望みをしていくこともよいことです。
でも、たいていはその未来が実際に訪れると、いつもの自分が決断を迫られることになります。
いま、自己コントロールの問題でさんざん悩んでいるのに、どういうわけか未来の自分も同じことで悩んでいるとは考えないものなのです。
したがって、未来の自分に期待していたものはそのまま、その先の自分に先送りされます。
まるで、現在の情けない自分を救ってくれる神様みたいな存在が、土壇場になればひょっこり現れてくれると思っているかのようです。
このように先延ばしにするのは、問題をあっさり片づけてくれる誰かさんが登場するのを期待しているからなのです。
マイクロスコープ:「万能の自分」を持っていませんか?
いまより意志力の強い未来の自分が現れて、大きな変化を起こしたり、重要なことをやってくれるのを待っていませんか?
もう少しあとになれば、あれもやれる、これもやれると思って、やるべきことを無茶なほど増やしすぎてはいませんか?
きっと明日になったらやる気が出ると思って、今日やるべきことを先延ばしにしていませんか?
この本では最初に「あなたにも耳の痛い話もあるはず」という注意書きがありましたが、今回ちょっと耳が痛かったです。
未来に夢を見るのが大好きなのですが、度が過ぎてしまい、体力の限界を度外視して「これからやりたいことリスト」を非現実的なほどに膨らませてしまうことがあります。
また、「明日になればできる!」と先延ばしにしてしまうことも、しょっちゅうです。
明日は、そんなときに「将来と自分のつながり」を強め、将来の自分を身近に感じることで、意志力を強めることについて勉強します。
すてきな夢を。
では、また。