断捨離セミナーに参加したあるご婦人。
「捨てられないモノ」という共通の悩みを抱えた仲間が集まるセミナーの中のことです。
著者はその人の表情から、その悩みは相当深いことが分かりました。
「亡くなった息子の遺品を捨てられなくて苦しいのです」。
大きなモノは少し処分できたけれど、どうにもそこから進めないご自分を責めている様子です。
「ありのまま」を見て、意図的に生きる
「どうしてそんなにも処分を急ごうとしているのでしょう?」
「残っているといつまでも悲しさがこみあげてくるから、早く処分して、悲しさも断ち切りたいのです」。
でも、どこか違和感が・・・。
それってご自分の気持ちですか?と尋ねると、その方は小さく首を横に振ります。
つまり、そんなことを思い、言っているのは周囲の人たち。
自分の本当の気持ちは、まだまだそのモノと一緒にいたいという気持ち。
まだまだ、悲しみや辛さを断ち切るには時間がかかる。
つまり、苦しいのは、捨てようとしているのに捨てられないからでなく、自分の感情に許可を出していないから。
さっさと悲しみを断ち切った方がいいよ、という周囲の他人軸の一見善意からくる観念に無意識に同意しようと試みている。
しかしそうすることで自分の軸のブレてしまい、その苦しさでいっぱいなのです。
どうか、あなたも自分の感情に許可を出してほしいのです。
ありのままのあなたを、ただただ認めてあげることこそ大事だと著者は言います。
断捨離とは、モノを捨てることが目的ではありません。
モノに問いかけながら、あなたの素直な思考と感情を取り戻していくプロセスです。
そうやって、あなた自身を癒してあげるプロセスでもあります。
人は、ともすると自分の軸を見失いがちです。
特に、このような辛い出来事があったとき、自分で選択・決断する力をも手放しそうになります。
でも、常に忘れないでほしいと著者が強調するのは、あなたが何にコミット(関係)していたいか、です。
他者の観念、社会の観念、時代の観念・・・なんでもいいのですが、そういった外側の観念を取り込むことにも意図的でありたいのです。
もちろん、このブログに対しても、この本に対しても、断捨離というメソッドに対しても、あなた自身が取り込むかやめておくかを意図的に決めてほしい。
そして、それを提供する側に必要なこととして著者が書いているのは、「本人の意図が介在することが大前提である」ということ。
どんな身近な人物であったとしても、間違っても人に自分の観念を押し付けるような姿勢をとるべきではないのです。
それは最低限の人間としてのマナーでもありますよね。
言われた方は、たまったものではないですもんね。
ありのままを見つけることは、「気づき」に繋がる
誰でも、悲しみ、怒り、嫉妬などの負の感情が抑えきれないことは、いくらでもあるでしょう。
そんなときは、その感情をどうにかしようと対処するより、ありのままを見ることの方がずっとラクです。
負の感情をなくそうとしたり、コントロールしたりすること自体、無理が生じます。
不快を感じた時に「嫉妬はダメ!!!」よりも「嫉妬からきているな」と認識するだけでもいいのだと著者は言います。
もう一人のあなたが、あなたの現状を見てあげるような感覚でしょうか。
これは他人との関係性も同じです。
貧乏ゆすりをしている人に対して、「貧乏ゆすりはダメ!」と攻め立てるよりも、「貧乏ゆすりをしているね」と状況を認識させてあげるだけでいいのです。
肝心なのは「気づき」です。
この「気づき」があってこそ、次の段階に行けます。
ひとっ飛びに物事を解決・対処しようというよくが、かえって無駄な争いやエネルギー漏れを引き起こしてしまいます。
ありのままに見てみることが俯瞰の第一歩。
俯瞰できれば「気づき」が得られ、対処する力に繋がります。
春は、気候はぽかぽかしていますが、体力を使う季節。
せめて今夜は、ゆっくり過ごしてください。
素敵な夢を。
では、また。