プレッシャーにかからない唯一の方法があります。
期待を一切かけられないことです。
信用されることを、求めないこと。
でも、そんな生き方では存在意義がわからないくなってしまいます。
モチベーションをキープすることの天才の著者による、「キツいプレッシャー」や「落ち込み」の対処方法です。
プレッシャーは「絞り機」のようなもの
「私は、プレッシャーに弱いんです」という人はとても多いもの。
だから、なかなかコミットできない、と著者は言います。
「〇〇を達成します」と言うと周囲の期待を背負ってしまい、さらなるプレッシャーにつぶされそうになるのが怖いのです。
でも、政治家だって国民に終始コミットしていますが、なかなか達成できないのですから、私たちだってコミットしても達成できないことはあって当然です。
ただ、「期待というプレッシャーに負ける」のはカッコ悪い。
どんどん成長して成果を出していけば、当然ながら周囲はあなたを評価するし、期待します。
すると目の前の目標がもはやあなた一人のものではなく、周囲の人のものであり、しかもそれを追うのは自分一人ということにもなり、ますますきつくなります。
また、私たちの生きている現代社会には、他にもさまざまなプレッシャーがあります。
売り上げ目標、タイトな納期、家庭を持つこと、上司であること、受験、試合など・・・。
だからこそ、私たちがそれらのプレッシャーにどれくらい強くなれるかで、やる気の維持も、実際の結果も、勝敗も決まってきます。
ですから著者は、プレッシャーに強くなってくださいといつも言います。
本当に一生プレッシャーから逃げる方法は、「期待を一切受けないこと」です。
一見ラクそうですが、この方法は、実は周囲からあきらめられてしまうということです。
自分の存在意義も見えなくなってしまうと、ますますやる気などは無くなっていましますよね。
営業成績が上がったりすると、自分の能力以上の期待をされてプレッシャーを抱えることがあります。
最初は苦しくて、「やればやるほど、重りを自分につけているような気分」を感じたり。
けれど、やっぱり期待されないよりは期待された方が楽しいですね。
著者は子どものころ、何でもできる姉といつも比較されて育って劣等感の塊でした。
営業を通じて初めて周囲に期待されました。
期待されることは、自分の自尊心を育てます。
期待されるということは、本当に人を輝かせるのです。
プレッシャーはバーのカウンターにあるフルーツのプレスマシーンのようなものだと考えてみるのも1つの方法です。
絞って出てくるフレッシュなフルーツジュース。あなた自身。
そうイメージするのも、プレッシャーを良い方向に使う方法のひとつです。
つまりプレスの圧力は「期待」であり、プレッシャーをかけられて出てくるのは、「本当のあなた」。
絞られた本物の自分ならば、強くありたいものですね。
踏ん張れる自分であるために!
たとえその出てきたものが、期待に添えないことがあるかもしれません。
それでも、自分を責めないで、プレッシャーと仲良くしたいもの。
その方法を本著は、他にもいろいろ紹介しています。
成功失敗の判断を急がない
著者には宮司さんの知り合いがいるそうです。
最近は、宮司さんに祈祷を頼んでから1年もしない間に「効き目がなかった」とクレームを言う人が、増えてきているそうです。
たしかに今の時代、結果を早く求めがちな人が増えているかも。
しかしそれは、結果を焦りすぎているかもしれません。
必要ないことならば、やめてしまう勇気も必要です。
しかし、あまりにも「ちょっとやってみてすぐに結果を急ぎすぎる」のも、もったいないことではあります。
ずっと長い間関わってしつこくがんばることが必要な場合も、そうでない場合も確かにあります。
「諦めポイント」を見極めることも大事です。
でも、「はやくはやく」とせっかちになると、気持ばかりがせいて身体がついていかないのです。
あなた自身を成長させるためにかかる時間も大事にとっておきましょう。
短いスパンで見たら失敗でも、長い目で見たら、成長過程の1ステップになります。
過去は変えられるから後悔しない
「僕は学生の頃、授業さぼって留年し、それで就職活動も熱心にしなかったんです。
そのせいで、なんとなく営業に。
友達がみんな有名企業に入社したのに、自分の人生を振り返ると、あのときもっと勉強していたら、大きな会社で海外勤務とかしていたかと思うと、悔やまれます」
と言う人がいました。
悔やんでも終わったことだから仕方ないのに、なんで何年も前のことを未だに悔やんでいるのだろう、もったいないと著者は思いました。
著者自身は、もっと就活で失敗しています。
大学受験でも推薦で行けると高をくくっていてあっけなく落ち、慌てて女子大に進学して周りも自分もびっくりしたり。
入社した会社もなくなってしまったり。
でも、悔やまないと著者は言います。
相談してきた彼は、現在そこそこ友人も彼女もいて楽しくやっているのに、なぜ?
「じゃあ、過去に戻れたとして、ちゃんと勉強して、留年しなくて、有名企業に就職して・・・それはいいことだけど、留年しなかったら、今の友達や彼女と仕事がすっかりなくなっちゃってもいいの?」
と著者が聞くと
「はい・・・いえ、よくないです」の返事です。
失敗のおかげで、今の人生がありますよね。
それを悔やむことは、後の人生を全部否定することになります。
そのあとの出会った人も、経験も全部否定してしまうのです。
でも、今のそれを大切と感じるならば、悔やむ必要はないのです。
「あれは人生の大きな失敗で、後悔のしこりのようになっていて、ずっと悔やんでいるんですけど。
失敗じゃないんですか?」
と質問する彼は言いました。
その時は失敗に見えても、それは単なる分岐点だったと著者は言います。
レールをはずれたことによって、旅先や道が変わっていっただけ。
でも、それは悪い結果ではなく、もっと深くていろいろなことを学べる道だったのです。
その過去と今はつながっているから、それを否定すれば、今を否定していることになります。
今のもの、すべて。
ですから、失敗ではないのです。
今の人生も最高なのです。
大きな失敗をしでかしてしまうと、失敗の瞬間から現在まで続いていた「失敗の連続」という認識を持ち続けてしまうことがあります。
しかし、その失敗はただの「分岐点」です。
過去の出来事は視点を変えることによって、書き換えることができます。
しでかした出来事に対して、煮詰まったまま落ち込んでいたら、「やりがい」も「やる気」も「感謝」も生まれません。
過去の失敗は見方を変えることで、あなたを解放させることが必要です。
「仕事でのの大きい失敗があるから、今こんななんだよな」とか
「結婚相手のチョイスが微妙だったから、我慢ならないことが多いな」とか
そんなことをワタシも考えがちですが、だからこそある「今」は、よく考えればとてもハッピーです。
「失敗」ではなく「分岐点」だと思うと、目の前に明るいレールが見えてきた気がしました。
今日も1日、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。