どんな挫折にもくじけずそれを肥やしにして前に進み続けた税所篤快さん。
その「失敗から何度でも立ち上がる方法」について、今日は読みたいと思います。
挫折の認識を変えること。
そんな「何度でも失敗から立ち上がる」税所さんのと中竹さんの考え方です。
昨日は税所篤快さんが、
高校3年の秋に数学2点で「二浪したって大学に入れない」と言われて一念発起し、
大教室で学生を無視するかのような授業に燃え尽き、
「最年少足立区長」を目指して参議院議員のカバン持ちをするも挫折、
社会起業家として「ただ(無料)塾」を足立区でプレゼンするも挫折、
アフリカで「ヒルズチョコレート」を生産して現地で正当な賃金で人材を雇用しようとしてリーマンショックで挫折、
彼女にも振られ、
バングラデシュのグラミン銀行(貧困層向けに事業資金の無担保融資をする銀行)のコーディネーターになるもルールを破り出入り禁止になり、
バングラデシュでの映像授業を実現させて国立大学の合格者を出して評価された、
という話を読みました。
今日は、その数限りない「挫折」からの立ち上がり方。
1 挫折の認識を変えることから始めよう
失敗直後の挫折感たっぷりの人に、「挫折したら、しただけのことはあるんだ!」
と言っても、そんな気持ちにはなりません。
「挫折も悪くない」と思えるには、誰もが持っている認知の歪みを直す必要があります。
同じコップの水を見ても、「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うか、というアレです。
ここでなのは、根性論ではなく、
1 自分がどんな認知の歪みを持っているかを知ること
2 その歪みが今、まえにっすむのに適していないとするならば、あるいは自分の成長を阻んでいるのならば、それを変える努力をすること
この2点が重要。
×失敗は恥ずかしい→〇失敗を恐れて挑戦しないことが恥ずかしい
一度でも失敗した人が足踏みするのは、「また失敗したらどうしよう」と不安になるから。
ただ、「失敗したらどうしよう」の「どうしよう」を深く突き詰めて考えたことがあるだろうか。
「どうしよう」とは、どういうことだろう。
雪山登山ならば、最悪な場合死の危険がある。
けれど、もう少し身近な挑戦、たとえばスポーツでより高い記録に挑戦する、何かのコンクールに応募する、先生に「無理」と言われる学校を受験する、人気企業の就職試験にエントリーする・・・などの場合、「どうしよう」は、どんな意味を持つか考えてみよう。
失敗したら、記録は低いかもしれない。
コンクールで賞が取れない、あるいは試験で失敗して思いはかなわないかも。
でも、挑戦しなければ、目標にたどり着くことはない。
挑戦して失敗しても、挑戦しなくても、得られる結果が変わらないならば、挑戦することは人生において、なんら不利になるものではない。
だったら、「どうしよう」とは何か。
突き詰めれば、「失敗したことを人に知られたら恥ずかしい」くらいのことに過ぎない。
「失敗したら恥ずかしい」というマインドセットこそ、失敗を恐れて挑戦しないことの大きな壁ということになります。
まずは、あなたがそのマインドセットを変えること。
というか、日本社会全体が、本来的には「失敗を恐れて挑戦しないことの方が恥ずかしい」という風土に変わっていく必要があるでしょう。
×失敗とは、成功しないことである→〇失敗とは、成功を目的化することである
なぜ、みんな失敗を「恥ずかしい」というのか。
失敗の反対語である成功こそ、ほめたたえられるべきことだという暗黙の了解があるからです。
確かに、成功はたたえられるべきことだし、素晴らしい。
でも、どうでしょう。
成功を目的化すると、成功するために低く目標設定するということが起きます。
高校受験や大学受験で言えば、不合格になることを恐れてランクを一つ低く設定したりする。
担任の先生や親がよかれとおもって「浪人するよりは、このへんのランクの大学にしておいたら」などと勧める。
起業で言うなら、「目標管理制度」というシステムが日本で一般的になり、同じようなことが起こりました。
本人が上司と目標を定め、その達成度によって、1年とか半年で一定の評価が決まり、最終的に給与やボーナスに影響する、という仕組みです。
この制度は本人と上司で目標を決めるから、「やらされ感」が少なくなる効果があります。
でも、目標を達成すること(=成功)だけが素晴らしいとする価値観の中にあると、多くの人が、必ず手が届く目標を設定しがちになる。
おおっぱに言えば、全員がこういう目標設定をすると、企業全体の業績はたいして上がらない。
これはさすがに問題だと考えた企業も多く、だんだん制度の在り方を再検討する流れになった。
仕事は、一度きりの目標達成のためだけにあるのではない。
極論を言うなら、人生を豊かにするためのものだ。
だとしたら、それほど頑張らなくても達成できる目標を最初から目指すのと、まずは手が届かなくても目標を高く設定するのでは、どちらが自分の知識、経験、人生が豊かになるだろうか。
「成功(成果ともいえる)」と「成長」の定義を分けて考えてみると言い、と著者は言います。
成功とは、ある目的を成し遂げること。
確かに成功した瞬間はうれしいけれど、達成したら過去のものになる。
もしもランクを落としての目標達成ならば、そのプロセスで得る学びは少ない。
成長とは、意識や能力が変化すること。
過去の自分と比較して、より強くなったり、より深く理解したり、新しい何かを習得したりすること。
要するに未来に向かっていること。
たとえ未達成でも、必死に頑張り、活動量を増やしたならば、その経験は次の仕事に確実に生きる。
身に就いた知識は、自分のなかに価値として残る。
×失敗とは、成功しないことである→〇失敗を失敗と認めないことが最大の失敗だ
また、「失敗=成功しないこと」ととらえている人には、こんな考え方の転換も必要。
失敗は、失敗を失敗だと認めないこと。
例えば、大学受験に失敗したとき、どうとらえるか。
単なるポジティブシンキングなら、「これでよかったんだ。落ちて、こっちの閉眼校に行く方がよかったんだ。これが自分の道だ」。
そうとらえることも人生を明るく生きるには必要かもしれない。
でも、それを単に「素晴らしいこと」と納得してしまったら、学びがそこにはない。
もう一人の著者、中竹竜二さんは、大学受験で”失敗”しました。
高校3年で、同志社大学の推薦枠をもらっていました。
その最終試験の日程は、中竹さんが首相を務めるラグビー部の県予選の準決勝の日でした。
中竹さんは「辞退します」と即答。
まだ準決勝に進めるかどうかはわかっていませんでした。
担任と親は「一生を左右することを、簡単に決めない方がいい」と、最終試験を受けることを全力で進めましたが、男として自分のために準決勝を欠場して試験を受けることが選べませんでした。
結局、チームは決勝の前に敗退。
推薦枠を断り、準決勝に臨むはずの中竹さんは、その日ぽつんと自分の部屋にいました。
その選択の失敗と挫折感を心行くまで味わいました。
自分はなぜ、こんなことになったのだろうか、と。
そのあと中竹さんは受験して福岡大学に入学。
そこでは、自分の生きる道とは思えませんでした。
やはり、大学でラグビーがやりたい。
そう思ったのは、自分の失敗を認めたからでした。
選択そのものを間違ったとは思いませんでした。
もう一度岐路に立っても、最終試験より試合を優先するだろう。
ただ、反省もしました。
もう一度高校生活をやり直すならば、普通に受験しても志望校に合格できるように、普段から必死で勉強しようということ。
だから、しばらく引きこもって、ひたすら考えて、中竹さんがやり直したことは受験勉強でした。
福岡大学で学生生活を送りながらの、仮面浪人。
地元大学でシュミ程度にラグビーを楽しむのがいいんだ、と自己肯定するだけでは何も学ばなかったでしょう。
それなりの挫折感を味わって、自分の失敗を認めたからこそ、中竹さんは早稲田大学に入り、ラグビー蹴球部に入部して、現在まで続く道を歩んでいます。
失敗は、失敗です。
それを認めて、初めて学びが生まれます。
×失敗したら、ゲームオーバー→〇失敗は、もう一度始めるチャンスだ
こう考えると、失敗したらすべて終わり、ではないのです。
人生が終わるわけではなく、自分の気持ちとは裏腹に時は刻まれていきます。
そのとき、時に置いてきぼりにされるのか、それとも一緒に進んでいくのか。
受験に失敗したとき、中竹さんも自分の時間を一瞬止めて、時に置いてきぼりにされるのに任せました。
ただ、そのあとまず始めたことは、「考えること」でした。
何が失敗の原因だったのか。
なぜこんなにも挫折感を抱くのか。
なぜ自分は、同志社大学の推薦枠を放棄したのか。
そんなことをぐるぐる考えました。
失敗は、ゲームオーバーではなく、その瞬間が、自分や自分の経験、将来について考える「起点」です。
経験を生かそうと思ったら、「どこで失敗したんだっけ?」と考えることで、次のステージへの道が開けます。
そう思えば、人生は終わりなきゲーム。
飽きたとしても終わらせることができないゲームです。
ほかにも、
落ち込んだら弱音を吐くと味方が現れること、
「やらなきゃ!」を捨てて、自分の好きなことに夢中になること、
引きこもりたい時期は、引きこもっておくこと、
自分が真剣に向き合った人に会いに行くこと、
他人の期待を捨ててしまうこと、
そんなことが”挫折”のプロフェッショナルになるには、大切だと書いています。
挫折のプロになりたい、そう思いました。
今日も1日、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。