他人のどんな言動にも、私たちは傷つく可能性があります。
それならば、傷つくのは私たち自身の責任であるともいえます。
なぜなら、傷ついたと感じるかどうかは、他人の行為よりも、むしろ自分自身の心もちに左右されるからです。
傷つくか傷つかないかは、あなた次第
私たちはただ受け身の状態で他人から傷つけられるものではありません。
他人の言動を侮辱と受け取ることで、自分で自分の心を傷つけます。
先に述べた上司の批判の例と同じで、他人の言動は、自分がそれを抵抗や侮辱とみなすことで、否定的なものに変化します。
私たちを意図的に傷つけようとする人はほとんどいません。
相手は知らない間に私たちを傷つけていることがほとんどです。
相手に悪気はありません。
私たちの方が、相手のちょっとした言動がきっかけで勝手に傷つき、ささいなことで心を痛めているのです。
人は傷つくとさまざまな反応を周囲に示します。
これがより問題を複雑にします。
一人の人間が傷つけられる過程を見ていくと、傷ついた責任は、やはり傷つけられた本人にもあることが分かっています。
相手の言動を侮辱ととらえるか、捉えないかは、結局は本人次第なのです。
著者は、あからさまな攻撃や侮辱、批判にさらされて傷つけられたあなたに「すべての責任がある」と言っているのではありません。
たとえ相手に悪意があったとしても、その出来事に傷ついた原因は本人にもあります。
傷つくかどうかは、結局本人がその出来事をどのように受け取るかにかかっているからです。
あなたも、誰かからの断りの返事をもらって、あるときは傷つき、あるときは残念だと思い、また別のときはどうでもいいと思った経験がるはずです。
傷つきやすいということは、多くの物事を自分の責任だと受け取ること、つまり自分自身と関係づけ、そこに否定的な意味を付け加えることだと言えます。
とすると、他人の言動を自分自身と関係づけないようにすれば、自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったりしなくて済むことになります。
私たちは「あなたが私を傷つけた」という言い方を変えていく必要があるのです。
「私はあなたの言動に、侮辱され、心を痛め、自尊心を傷つけられたと感じている」と言っていることと同じだからです。
本当は「あなたの言動がきっかけで傷ついたと感じている」が正しいでしょう。
自分の心が痛むのは自分のせいだと自覚すれば、相手を責め、なじる必要がなくなります。
相手に責任を押し付けてばかりいても争いを激化させるだけで、問題を解決できません。
ましてや、あなた自身の精神状態のために悪影響しかありません。
南ドイツ新聞社が発行する雑誌に、黒人俳優のモーガン・フリーマンのインタビュー記事がありました。
記者:もし私があなたに向かって「黒人野郎」と言ったらどうしますか?
フリーマン:別に何もしませんね。
記者:どうして何もしないのですか?
フリーマン:もし私があなたを「ドイツ人のバカ野郎」と読んだら、どうしますか?
記者:何もしませんね。
フリーマン:それはなぜですか?
記者:自分には関係がないからです。
フリーマン:そうでしょ。私だって同じです。
記者:つまり、自分自身と関係づけないということが傷つかない方法なのでしょうか?
フリーマン:もしあなたが私を「黒人野郎」と呼べば、それは私に問題があるのではなく、間違った言葉を使うあなたに問題があります。
私はあなたの悪口を自分とは関係ないものとして扱うことで、あなた一人に責任を負わせるのです。
ですがこの方法は暴力には通用しません。あなたがてをあげたら、もちろん私だって抵抗しますよ。
多くの場合、相手の侮辱を受け入れるか、はねつけるかは、私たち自身の判断にゆだねられています。
私たちは、自分に向けられたすべての言動を受け入れる必要はありません。
つまり、自分の心を傷つけるものを、自分自身で選んで排除することができるのです。
今週もお疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。