『菜根譚』とは、洪自誠という人物が記したもので、近代社会において会社経営者や政治家たち、組織のトップが精神滋養として読まれている書物。
小池龍之介さんの心にしみる読み解きが、これまた気持ちいいのです!
「まさに今コレに悩んでいました!」
まさに、今私たちに必要な考え方がつまっていました。
ワタシがポイントだと思った言葉は以下の13個です。
1.己の道をまっとうする
2.周りに合わせすぎない
3.評価に依存しない
4.自分を特別視しない
5.主観から離れる
6.悪業を断つ
7.余裕を持つ
8.固定観念を捨てる
9.自分を高めも低めもしない
10.自分の分際を思い知る
11.自意識にとらわれない
12.時を待つ
13.柳に風と受け流す
1.己の道をまっとうする
真理をすみかとして守り抜くものは、一時的には不遇のときもあるものの、有力者や時流におもねりへつらう者は、長い目で見ると永遠に見捨てられて悲惨なことになるものだ。
そう菜根譚には書かれているそうです。
真理を体得している人は、この世の目で見えるものを超えたところを見、死後の生命のことを大切にする。
真理をすみかとして一時的に不遇の身になることはよしとする時もあるでしょう。
しかし、有力者や時流に迎合して永遠の悲惨に陥ることを選ぶことがないようにしたいものですね。
2.周りに合わせすぎない
処世にあたっては、世俗にそまってはならない。そう菜根譚には書かれています。
また同時に、世俗に反したり敵対してもならないのです。
何事か為すにあたっては、他人を不快にさせてはならない。
また同時に、他人にこびて喜ばせすぎてもならない。
それは、ワタシもとってもやりがちなこと。
大切なことかもしれませんね。
3.評価に依存しない
世間の人々は名声や地位を得ることの楽しみは知っています。
けれど、名声も地位もなんにも求めないということの楽しみこそ、最も真実の楽しみなのです。
世間の人々は上や寒さが憂いであることを知っています。
けれど、飢えることも寒さも知らずにすむ富んだ状態でやってくる憂いこそが、最も強烈。
確かに、そうした単純でない憂いこそ、死にたくなるような本質的なつらさですね〜。
4.自分を特別視しない
俗っぽさを脱却できているなら、非凡な人間だと菜根譚では言います。
けれどもわざと非凡をてらう者はといえば、非凡なのではなくただ目立つ人間にすぎない、と断言します。
世俗の汚れに染まらなければ、清らかな人間。
けれども世俗と敵対して、切り離すことで清らかさを求める者といえば、勘違い。
清らかなのではなくせっかちで極端な人間に過ぎないのです。
勘違いしないようにしたいと思います。
5.主観から離れる
世間の人々は、見栄や損得の心持に支配されていることが理由で、とにかくこの世を汚れた世界だとか苦しみに満ちた海のようだとか嘆いたりするものだ、と菜根譚では言っています。
今現在もそうですよね〜。
しかし、世界をもっとよく見てみることで、変わることができます。
雲は白く山は青々とし、皮はさらさら流れて岩はドンと立ち、花は咲きほこり鳥はさえずり、谷はこだまがしていてきこりが歌っている。
そんなありのままの世界の姿を、思い出してみたり眺めてみたりすれば、あなたもワタシももっと幸せでいられるはず。
この世界そのものは汚れてもいないのです。
海もまた苦しみに満ちてなどいないのですやね?
世間の人々は主観的なものの見方のせいで、心を汚れた世界や苦しみの海にしている。
ただ、それだけなのかもしれません。
6.悪業を断つ
横暴な仕打ちを受けたり困窮したりすることは、勇者を鍛えるための金属鍛錬炉である!と菜根譚は言っています。
勇者を鍛える鍛錬炉!!
あらゆるピンチは、勇者への道。
それによる鍛錬を受けることができれば、身にも心にも利益を受けることになります。
一方で、鍛錬を受けず逃げ出してしまっては、身も心も損をしてしまうのです。
7.余裕を持つ
「ネズミのためにいつもご飯を残しておき、蛾が日に飛び込んで死んでしまうのを憐れんで、灯火を点けないでおく」
古の人のこういった発想があったそうです。
私たちが生きていくうえで1つの欠かせないこことのはたらきとも言えます。
こうした優しい思いがなかったなら、
形だけの心のこもらない人になってしまいます。
8.固定観念を捨てる
一般に人の性質にこんなものがあります。
鶯が鳴く声を聞くと喜び、蛙が鳴く声を聞くと嫌がる。
花を見るとそれを喜ぶくせに、、雑草を見つけると抜き去りたいと思う。
これはどちらも事物を表面的な外形によって判断したにすぎない、と菜根譚では指摘しています。
ところがもしも、それらの本性を見抜いたならば、
鶯にせよ蛙にせよ、いたい点から賦与されたすばらしい音を鳴らさないものなど無いのですよね。
花にせよ蛙にせよ雑草にせよ、自然のエネルギー。
9.自分を高めも低めもしない
つまらない人物に接する際には、その人の欠点を見つけて厳しく接するのは簡単なことです。
その人の問題点に不愉快にならずにすむことこそ、難しく、やりがいのあることだと菜根譚は言います。
そうですね!確かに!!
立派な人物に接する際には、その人に対して尊敬をもって接するのは簡単なこと。
ですが、節度をわきまえた礼尽くすことです。
これこそ難しく、やりがいのあることかもしれません。
10.自分の分際を思い知る
つまらない人間をあいてにして恨みあったり憎みあったりするのはやめることを菜根譚は、勧めています。
うーん、反省!
反省しかありません!!
つまらない人間を相手にすると、こちらもつまらない人間になってしまう、と指摘しています。
そして同時に、すばらしい人間に媚びを売るのもまた、やめることも大切。
立派な人間であるのなら、
私的な贔屓などしないであろうから。
そうですよね。
11.自意識にとらわれない
恨みは、人徳をひけらかそうとすることによって生じてくる、と菜根譚は指摘します。
だから、他人に「自分って人徳があるでしょう」と感じさせようとするよりは、人徳も恨みも2つとも忘れてしまったほうがよい、としています。
仇は、相手に恩を売ることによって起こるもの、とも指摘します。
他人に恩を感じさせようとするよりも、恩も仇も一緒に滅してしまうほうがよいのです。
12.時を待つ
うまくゆかない時期の後には、そこから反転して、物事がうまく進むときがくるもの、と考えましょう。
だから!望みが叶わないからといって、安易に中途で諦め投げ出してしまうことのないようにしたいものです。
13.柳に風と受け流す
こざかしい知識を手放してはさらにいっそう手放して、花を植え竹を上るようにして日々を暮らしましょう。
すべてことごとく「無」へと還ってゆくもの。
余計なことはわすれてしまいましょう。
「もうこれ以上は忘れなきゃいけないものは残っていないぞ!」
という達成感すらあって良いのです。
香を焚きお茶を淹れたりして日々を暮らしましょう。
他人がどうしてくれるかくれないかそんなことは、まったく気にもかけないで生きていけば、幸せになれますね。
来週は、朝に出勤を早め、帰宅を早くして、睡眠時間を確保して、心を菜根譚のように整えていこうとおもっています。
今週もおつかれさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。