猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

『どうせ死ぬんだから~好きなことだけやって寿命を使いきる』和田秀樹

精神科医であり、現在高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科を経て、現在ルネクリニック東京医院長である著者。

たくさんの高齢者の終末医療に長年携わるなかで、たくさんのお年寄りたちの終わりの時間に寄り添う中で、人生の終わりの実際について臨床的に語っています。

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著者自身もがんの、しかももっとも予後の悪いがんの1つである膵臓がんの可能性を指摘されました。

このとき、2年後の死を覚悟しました。

そして下手な治療をすると残りの人生がぼろぼろになると考えて、著者は治療を受けずに残りの人生を生きることを決意しました。

手術がうまくいっても体力はかなり落ちるようだし、化学療法ではずっと寝て暮らすことになり、楽しく話したり、好きなところに動いたり、おいしいものを食べたりできなくなると考えたからです。

 

人と話すことも、移動することも、食べることも、基本的人権です。

それをコロナ自粛であれ、がんの治療であれ、簡単に捨てていいのでしょうか?

会話もできず、旅行の自由も奪われ、好きなものも食べられないなら、まるで刑務所ではないでしょうか?

著者はコロナがもっと怖がられていた時期から、開いている店を見つけては美食を続け、海外旅行は無理でも国内旅行はいままで取れない宿がとれたりして、国内旅行を相当しました。

 

ある程度の年齢になると、生活や生き方が内向きになりがちです。

しかし、ここで魔法の言葉を口にしてください。

「どうせ死ぬんだから」

すると、やりたいことをやらなきゃ損かなと思えてくるかもしれません。

 

むしろ年を取って残り少ない人生になったのだから、好きなことをなるべく我慢しないで人生を楽しんでいただきたい、というのが著者の願いです。

 

著者は209年、のどが異常に乾いて10分おきに水をのまないといられなくなり、夜中に何度もトイレに立つ日が続き、1か月で体重が5キロも減ってしまいました。

バイト先の医院長が心配して採決をしてくれたところ、血糖値が660㎎/㎗もありました。

重症の糖尿病です。

たまにしか血液検査を受けない著者ですが、そんなに血糖値が高かったことはありません。

すい臓がんの可能性が高いと言われ、検査を受けることになりました。

もうインスリンの分泌がかなり低下して、糖尿病が悪化しているような膵臓がんなら、末期といってもいい。

「ああ、私はもう死ぬのか。これまでか」

このとき、著者はまだ58歳。

血圧が高いとか、慢性の心不全になりかねないとか言われていたので、長生きできないとは思っていましたが、それでも自分にとって「死」は遠いものでした。

はっきりと自分の「死」を覚悟したのは、そのときが初めてでした。

 

どうせ死ぬんだから好きなことをやり尽くそう

当時「がん放置療法」の近藤誠先生と本を作るために何回か対談をしていたこともあり、がんが見つかっても、治療を受けないことに決めました。

手術や抗がん剤、化学療法を受けたりしたら、体力がひどく落ちて、やりたいことができなくなる。

そのころ抱えていた仕事もたくさんあったし、まだまだ書きたい本もありました。

膵臓癌と言っても最初の1年くらいはそれほど症状も出ないだろうから、とりあえず治療はなにもしないで、好きな仕事を思いっきりしよう、金を借りるだけ借りて撮りたい映画を撮ろう、というふうに思いました。

そして、延命のためにがんと闘うのえはなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をしました。

「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。

 

結果的に、いくつか受けた検査で、がんは見つかりませんでした。

みつけられなかっただけなのかもしれませんが。

ただ、そのとき考えたことは、62歳の今も著者の人生観の中に息づいています。

今日という日の花をつもう

その話を近藤先生にしたところ、ヨーロッパの格言通りの考え方だと指摘されました。

古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろと言う言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。

それは、「今日と言う日の花を摘め」というのがある。

要するに、「死は必ず来るから、それはしかたないものだと覚悟して、いまという時を大切に、楽しくいきなさい」と言っているのだ、と。

日本人は死ぬことを恐れすぎ

コロナが流行したときにわかったことは、日本人は死ぬことを極度に恐れすぎているということです。

「そもそも人間は死ぬものなんだ」という当然のことを忘れている気がしました。

テレビにあおられて、死なないで済むならと、生きたいところへも行かず、レストランで好きなものを食べたり、会いたい人と会って話をするという基本的人権を放棄した人が大量に現れました。

データを観れば、日本のコロナによる致死率は約0.2%。

死亡者の総数は6万1281人(2020年1月以降~2023年1月12日現在)で、その80%以上が70代からです。

もっと詳しく言えば、コロナで亡くなった人の多くは高齢者のなかでもとくに弱い高齢者、つまり免疫力がかなり落ちた基礎疾患のある90歳以上や要介護5の人が多く、元気な人や若い人はほとんどなくなっていません。

コロナに限らず、高齢者の方が重症化のリスクはあるもの。

たとえば毎年インフルエンザ関連で1万人ぐらいが亡くなり、風邪をこじらせて亡くなる人も2万人います。

風呂場で亡くなる人は1万9000人いるわけです。

しかしそのほとんどが高齢者です。

つまり、年を取るのは、死ぬ確率が高くなることなのです。

死にたくないと思うほど「人生の幸福度」は下がる

膵臓がんの疑いにより死を覚悟して以来、「どうせ死ぬんだから、ジタバタしてもしょうがない。旅行を控えたり、外食を我慢したりするのはやめよう」と決めて、思った通りに行動しました。

たとえば80歳の人が、コロナが怖いからと行きたい旅行にもいかないで、そのまま亡くなることもありえるでしょう。

それで死ぬときに本当に後悔しないのだろうかと著者は思います。

コロナにかからなくても、高齢者が外出もしないで閉じこもり、会話もせず、不安をあおるテレビ番組ばかりみていたら、筋肉も脳もあっという間に衰えてしまいます。

若いうちなら回復も見込めますが、高齢者の場合、引きこもり生活が長引くと、足腰や認知機能にダメージを与えて、結果的に「フレイル」と呼ばれる心身の虚弱状態を招きます。

フレイル状態になると、身体的・精神的な活力が低下し、病気にかかりやすく、ストレス状況に弱くなるとされています。

感染が落ち着いたからといって、旅行や外食を楽しんでくださいと言われても、それがすぐにできるほど回復できる状態ではないのです。

 

高齢者を守るという理由をかかげて、「コロナ死者を1人も出さない」という無理筋な政策をおしすすめた結果、若い世代からは「高齢者は社会のお荷物」という風潮が助長されました。

自粛などしたくない高齢者も、家に引きこもらざるをえなかった。

そして3年近くも自粛を強いられて、要介護状態に陥っていくのですから、高齢者こそコロナ政策の被害者と言えます。

著者は残りの人生を楽しむヒントになればと、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)や『80歳の壁』(幻冬舎新書)など、高齢者に向けた一連の本を出してきました。

それらが多くの読者に受け入れられたのは、多少早く死んでもいいから好きに生きたいと望む人々の鬱憤が溜まっていたという要因もあるように思えてならないのです。

 

人間なんて、いつ死ぬかわかりません。

歳をとるほど、死ぬ確率は高くなる。

だから、ある年齢になったら自分を死を覚悟せざるを得ないのです。

つらいことですが、しょうがない。

いつ死ぬかわからないと思えば、生きているいまを楽しまないと損だと思うのは、著者だけではないはず。

もし、老後もケチケチ節約していて貯金が思いのほかたまっていたら、一度は運転してみたかったポルシェを買おうとか、元気なうちに夫婦で世界一周旅行に行こうとか思うでしょう。

「どうせ死ぬんだから」と思えば、好きなことができるものです。

さらに「もう死んでもいいや」と思うことができれば、人間かなり思い切ったことができます。

逆に、死にたくないと思えば思うほど、人生の充実度、幸福度が下がってしまうものです。

「死」を思うことを、以前はもっと意識していたのですが、最近忘れがちでした。

コロナ禍でも、「人にうつしては大変だ」と、一生懸命自粛してしまいました。

でも、「人に迷惑をかけることを怖がりすぎていないか?」と本書では警鐘を鳴らしています。

どうやったって、人生の最後はやってきます。

日本人のはがんで亡くなる人が多いのですが、その最後の瞬間はテレビで誇張されているような苦痛いっぱいのものではなく、思いのほか痛みもなくおだやかなものだと書いています。

そう言われれば、私の親族も皆がんがありましたが、終わりはとても静かでした。

苦痛を和らげる薬をきちんと使えばよい、というのはその通りです。

そうした痛みのない自然な最後を迎えるためには、延命治療で断るべきポイントがあるそうです。

よかったら本書を手に取ってみてください。

 

今週もお疲れさまでした。

では、また。