ワタシは親に虐げられて生きてきた幼少期があります。
「お前は妹に比べてブスだから、結婚しないでずっと家にいるだろう」
「家で子供でいる今がお前の人生で一番幸せな時なんだ」
などの呪いの言葉を父親から毎日くりかえし言われていました。
未来が怖くなり、その言葉を聞くたびに思考停止になった寒気のするような、沈み込むような感覚を今でも覚えています。
だから、高校時代から彼氏を切らすことなく付き合い続けました。
彼氏の存在で、自己肯定感をかろうじて保ってきました。
就職すると、一人暮らしを始めました。
「夜、寂しくなって絶対に泣くぞ」
という父親の言葉に、恐れおののいていました。
しかし、実際は初めての1人の夜のアパートで湯船につかりながら
「この湯船のお湯まで自分がこれから稼いだお金で入れる。
もう、『親の金で食っているのだから、文句をいうな』と言われないで済む」
という感情がわいてきました。
あまりの嬉しさに喜びの涙が止まりませんでした。
就職して1年は、実家に帰る気持ちになれません。
帰ってこいとしつこい親たちに、嫌々やっとたまに電話をしていましたが、電話をすると疲れ果てていました。
親ガチャに外れた
「親ガチャに外れた」という言葉は、実に優しい言葉だと思います。
それは親が悪かったわけでも、ましてや自分が悪かったわけでもない。
「ガチャが外れた」だけ。
すてきな理解だと思うのです!
嫌な言葉だと言う人たちは、さぞかし温かいご家庭でお育ちになった、うらやましい方々何だろうと心底思います。
ワタシは親を怨むことを禁じられてきました。
両親はひどい不仲で、皿が宙を舞う夫婦喧嘩が週に2~3回あったと記憶しています。
ひどいののしりあいがあった後、わざわざワタシのところに父親が来て、
「お前は母親そっくりだな。母親と同じ最低の女になるぞ」
「お前が生まれなければ、こんな女と結婚しなかったのに」
と言っていました。
悲しくて泣いていると
「いつまで泣いているんだ!」
と父親が怒鳴りだしていました。
母親は、夫婦喧嘩で疲れ果てたのか、矛先が長女にいったので助かっていたのか(多分こっち)、何も言いません。
妹2人の存在だけが自分の支えで、「自分が我慢することで、夫婦喧嘩も終わるし、妹には父親からの危害が及ばない」と我慢していました。
犯行する勇気も、家出する元気もなく、そんな家庭の中で我慢だけは覚えました。
マンションの隣の子供のいない夫婦が、やたらとワタシを可愛がってくれました。
ピアノを習って半年もたつのに、キーボードもオルガンも買ってもらえず紙に書いた鍵盤で練習していたワタシに、娘さんのオルガンを譲ってくれました。
とても嬉しかったけれど、オルガンの音が隣や階下に響くのが怖くて、音を一番下にして、スピーカーにクッションを当てて練習していました。
びくびくして過ごした子供時代でした。
祖母から、「かわいそうね、お父さんあんなに言わなくていいのに」と言われました。
親たちは末の妹を可愛がり、小学校の修学旅行から帰る日に、ワタシに部活をその日だけ休んで家で出迎えるよう言いました。
しかしワタシは当時ヤンキーな先輩がいっぱいのテニス部に所属しており、そんな理由で休んだら、翌日大変なことになります。
気に入らない後輩(主にワタシ)には、「ネットに集まったボールを取ってきて」と先輩が言ってボールを取らされ、とっている後輩に向かいボールを全員で打ち込むといういじめを行うのが通例でした。
だから、休めないんだ、と父親に言うと、「お前を見損なった」「そんな部活やめてしまえ」と捨て台詞を吐いていきました。
そんな部活、やめたらどうなるかわかったもんじゃありません。
中学校3年生の時にひどいいじめに遭っていた時も、親には隠し続けました。
修学旅行があり、若くてイケメンな担任のありがたい采配でいじめているグループに入れられました。
「衝動的に宿の窓から飛び降りるかもしれない」と本気で思ったので、机の中に遺書を残し、修学旅行に参加しました。
高校生になった妹は夜遊びに明け暮れるようになりました。
「妹を心配する家族会議」をすることで、やっと家の中でまともなポジションが手に入りました。
大学生になったころ、「いつも『お前がいなければ結婚しなかった』とか言っていたけれど、そのあと2人も妹を作っていたじゃん?」と父親に言い返したところ、父親は笑っていました。それぐらい強く出れば良かったという関係だったのかも知れません。
しかし母親にその直後「そんなことをいうもんじゃない」と怒られました。
結局母親もワタシが我慢することを求めていたんだと思います。
我慢ばかりしすぎな人生ですね~
つらい過去は、そうそう拭えるものではなく、父が亡くなって10年以上たつのに、墓石を蹴飛ばしてやりたいという気持ちはまだあります。(今度こっそりやろうかしら)
父親も母親も幼い人間であったこと。
自分が恐怖に支配されすぎて委縮してしまい、周りに助けを求めるエネルギーが残っていなかったこと。
とても辛くて苦しいことですが、それは「親ガチャに外れた」んだと思います。
それでも生きてこれた自分は、えらい・・かな(笑)
あなたにも、決別したい過去がありましたら、ぜひワタシと一緒に次のイメージワークをしてはいかがでしょう?
あなたは誰に傷つけられている?
ここでは、あなたが心の中でどんな人に圧倒されているかを見て、そして開放していきます。
あなたの心(記憶)の中には、どんな人が残っていますか
・あなたを見下した人
・あなたが何かをやろうとしたときに否定した人
・あなたが何かをしようと思ったときに邪魔した人
・あなたの思いや願いを馬鹿にした人
・あなたの喜びやうれしさを感じた時に嫌意を言ってきた人
・あなたにいやがらせや意地悪をした人
・あなたに何かを強要してきた人
・脅したり威圧して、あながを委縮させた人
何人か、具体的に思い浮かぶ人がいるかもしれません。
今、目の前にその相手がいなかったとしても、心の中で相手をきちんと拒絶することが大切です。
拒絶しておかないと、いつまでも心の中で相手の批判的な言葉や否定的な態度に傷つけられてしまいます。
現実の世界では何も起きていないにも関わらず、おびえ続けたり、自己否定を続けたり、自信のない苦しい状態が続いてしまうのです。
こうしたときに大切なことは、他者から支配された人生を終わらせるという決意と、「自分を解放する」プロセスです。
具体的には「苦しい」「もう私はあなたの言いなりにはならない」「私はあなたから自由になる」という、相手に伝えたい悲鳴と拒絶を、しっかりと「記憶の中の相手」に伝えるのです。
今、実際にその相手を探し出して、言い合いをしたり抵抗をしたりする必要はありません。
なぜならすべてがあなたの「記憶の中、心の中」で起きているからです。
直接過去と向き合い、自分を「過去の人間関係の支配」から解放してあげることで、ようやく自信のない状態を終わらせることができます。
今、がんばってメイクをきれいにしたり、資格を取ったりするより、たしかな安心感を感じることができます。
心の傷を解放するためのステップ
過去の支配から自分の心を開放するイメージワークをします。
心の中で相手を思い浮かべながら、イメージの中で伝えたかったことやしたかったことをしていくプロセスです。
頭の中で過去の記憶に働きかけることで、自分の心を解放します。
1.まずは自分の記憶と向き合える静かな場所で、あなたが過去に苦しめられた相手や、嫌なことを強要された相手などを思い浮かべてください。
目をつぶってイメージできれば、より効果的です。
2.次に、その人を思い浮かべた時の、ありのままの自分の思いを感じてみましょう。
誰かにおびえているとき、同時に、相手に対する恐怖や苦しみや悲しみなどを感じていると思います。
「怖かった」「悲しかった」「苦しかった」というあなたの思いを感じてあげながら、ありのままのあなたを抱きしめて、「つらかったね、怖かったね」と、やさしく受け入れてあげてください。
3.今までの人生で、あなたは自分の気持ちよりも相手の意見を大切にしてきたかもしれません。
けれども、もうあなたはあなたとして生きるために、「いやなことはいやだ」と言っていいのです。
また、怒りを持ち、正当な防衛をしてもいいのです。
「怒ってはいけない」と誤解していると、いつも怒れずに他人にないがしろにされる現実を招いてしまいます。
怒りは「イヤだ!」という強い感情とともに、あなたを不当な扱いから守る大切な防衛手段になってくれます。
そして、あんたのこれからのために、しっかりと拒絶してあげてください。
4.最後に、あなたは本当はどうしたかったのかを感じてみましょう。
相手から支配されることなく自由に楽しみたかったのかもしれません。
本当はもっとありのままでいたかったのかもしれません。
イメージの中で、やりたいことを自由にしているあなたの姿をイメージしてみてください。
これでステップはおわりです。
過去に相手に「ノー」と言えなかったことも、今心の中で相手に伝えることができれば、その瞬間に、過去に終わらせることができます。
こうして心の中の自分を解放することができれば、それだけで過去に自分を苦しめた相手から自由になることができるのです。
もし、たくさんの人にとらわれているとしたら、何度でも行って大丈夫です。
あなたの心が楽になるまで、相手からあなたを解放してあげましょう。
親から自立していい
自分を支配していた相手から解放するということは、「親という存在」から自立することも含まれています。
これは経済的に無理して自立することではありません。
精神的に依存することをやめて、「私は親とは違う人間で、私は親とは違う生き方をしていい」「いやなものはいやだ」という古歌を出すことです。
あなたが子供のころに、親がどんなことを言ったって、あなたはあなたです。
親の価値観で生きる必要はありませんし、あなたの親だからといって、それを受け入れる必要もありません。
血がつながっていてどんなに愛していても、「お前はダメな人間だ」というような、あなたを傷つける不適切な意見である場合は、しっかりとその意見を拒絶していく必要があります。
あいしている気持ちと不適切な態度は別物です。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は、「愛しているけれど、でもやっぱり傷つく行為はいやです」というように、愛情と不当な行為を分けることなのです。
あなたはひとりの立派な大人として、親のどの意見を受け入れるのか、受け入れないのかを選択していいし、不適切な意見は聞かなくていいということを自分に教えてあげましょう。
あなたがあなたの親から傷つけられる意見を拒否することを許せたとき、あなたの新しい人生が始まります。
やり残してきたことをやらせてあげよう
過去の人から解放されたら、次は過去にやりたかったけれどやれていないことをやtってみましょう。
あなたがやりたかったことはどんなことですか?
ただ絵を描くことかもしれないし、自由に原っぱを歩くことかもしれません。
子ども時代に心残りがある場合には、子供っぽい「やりたかったこと」が出てきても大丈夫。
どんなことであれ、あなたがやりたかったことをイメージの中でやらせてあげることができたら、完全にあなたが相手の支配から抜けた証になります。
イメージだけでなく、実際にやってみることもすばらしいことです。
たとえば自由に公演を散歩したり、友達と時間を忘れて話をしたり、大好きな食べ物をお腹いっぱい食べたり。
自信を持つということは、誰かの思惑から自分の人生を取り戻すことであり、それはすなわち、自分の行動を自由にさせてあげることなのです。
とにかく、このイメージワークは楽しかったです。
ワタシは、夫婦喧嘩する両親に、ガラスのコップを投げつけてやりました。
妹を連れて、優しい隣夫婦のところに避難しました。
それから、父親の死際に父親にやさしくできなかったワタシをなじった父の弟に事情を説明しました。
昨年度、さんざん人を操ってきた同僚に「いい加減にしろ」と言ってやりました。
中学の先輩たちのいじめをテニス部顧問に訴えました。
中3のときにいじめを看過したクソ担任に文句を言ってやりました。
吐き出したいことは、あなたにもあるかもしれません。
ご自身のブログでは書きにくい様子でしたら、こちらのコメント欄にどうぞ。
割とつらかった人生でしたが、そんなワタシにも幸せがありました。
子どもたちの存在です。
自分がしてもらいたかった肯定を、自分の子どもにはしてあげたつもりです。
すくすく育って、よく話をしてくれます。
仕事は人を助ける方面のことをやっているので、つらかった記憶を、共感力に換えて働いています。
だからこそ、今回の仕事のカットは、かなりいただけない。
本書を読んで元気が出たので、もうひとバトルできるかな。と思っています。
今週もお疲れさまでした。
ゆっくり自分を癒す時間をもってもらえたら、ワタシはうれしいです。
では、また。