先週、職場で怒ってしまいました。
反省です。
もっと体調管理ができていれば怒りをあらわにしなかったのではないか、と反省しました。
しかし、著者に言わせると、人との関係は「感情関係」である以上、感情的になるのはしかたがないこと。
精神科医として感情コントロールの著書を書いている著者であっても、メルマガではたいてい怒っているそうです。
そのうえ批判メッセージが来ると、さらにまたカッとなるそうです。
しょせんそんなものだそうです。
だからこそ、穏やかにすごすためには、「感情的にならない」技術が必要になってくるそうです。
それは何より、「感情的になりそうなシチュエーションを予知して避ける」ということだそう。
なんだ、そんなことかと言われるかもしれませんが、いわゆる「すぐ感情的になる人」というのはそれができていないのだそうです。
無防備に「敵」と出会い、思わず感情的に反応してします。
それどころか、自分が感情的になっていることにも気づかなかったり。
感情的になるシチュエーションは、簡単には避けられないことも多いでしょう。
しかし、そういう際にどう対処するか、前もって考えておけば、こころに余裕も生まれます。
あるいはどんなパターンで悪いシチュエーションになるか、知っておくだけで対処の仕方も見えてきます。
感情的になるというと、いわゆる爆発させるタイプがありますが、精神科医から見て、同じくらい問題なのが「内向きな感情」や「不安な感情」から抜けられなくて、こころの中でもやもやしたり、悶々としたり、怒りを溜めるタイプです。また、感情が暴走してパニックになることもあります。
本書は「感情的にならない」技術をさまざまな場面から取り扱います。
「いい感情生活」を送ってほしい、という著者の気持ちをこめてまとめた1冊です。
感情コントロールの基本的技術
目に入れない
著者は「決めつけ」という考え方が嫌いです。
メルマガで著者が、なにかいったり書いたりしたことを、「なにもわかっていない」「頭が悪い」「偏見だ」とボロクソにけなしてくる人たちがいるそうです。
そうした人たちに共通するのは、礼儀の欠如であり、誤字も多く、コメントに悪意が満ちているそうです。
著者も絶対に正しいと思って書いているのではなく、ひとつの見方だと書いています。
「こんなコメント、相手にしなくていい」。
そうわかっていても、うっかり読んでしまうと腹が立ってしまうことが何度もありました。
そこで、著者は対策を講じました。
まず、メールなら読まないことです。
悪意のあるコメントは、匿名がほとんどであり、件名を観ただけで嫌な感じがするから無視。
うっかり読んでしまった場合でも、反論なんかしません(といいながらたまにしてしまうのが、感情の怖いところ、だそうです(笑))
そんなヒマがあったら、毎日やることはいくらでもあるので、それを1つずつ片づけていきます。
黙殺。
これは、感情コントロールの基本だそうです。
そのうち、著者の意見に賛成してくれたり、同じ考えを伝えてくれるメールが届きます。
こちらは礼儀正しく、冷静で、決めつけをしていません。
そういうメールを読むと、すっかり機嫌よくなるのです。
じつに単純です。
この単純さが感情のいいところ。
つまらないこと、ほんとうにくだらないことでカッとなっても、そんなものは放っておいて、できることや、やらなければいけないことを淡々と続けていると、ふっといいことに出合います。その瞬間、気持ちが明るくなってしまうのです。
「感情的になる」ことを誤解しない
神経症の治療法として世界中に広まっている森田療法には、「感情の法則」と呼ばれる考え方があります。
詳しく説明すると、とても専門的になってしまうのですが、その中に1つだけ、ものすごくシンプルなものがあります。
「感情は放っておけばだんだん収まってくる」
という法則です。
「腹が立つ」・・・放っておく
「悔しい」・・・放っておく
「憎い」・・・放っておく
森田療法の基本的な考え方は「あるがまま」ですから、腹を立てたり悔しがることも、他人を憎いと思うことも、あえて否定はしません。
どれも感情の仕業ですから、あるがままに放っておけばいいと考えるのです。
実際、「怒るな」と言ってもムリです。
「悔しがるな」「他人を憎むな」あるいは「嫉妬するな」「疑うな」「悲しむな」、すべてムリです。
理性では、そうした感情が少しもプラスにならないことが分かっていても、私たちはつい感情的になってしまいます。
問題は、そのあとです。
自分が感情的になったとき、そのイヤな感情にこだわればよけいにイヤな気分になってきます。
たとえば他人のちょっとした物言いや態度に腹を立てた時、
「この人はいつもこうだ」
「わたしをバカにしているんだ」
と考えれば、怒りはしつこく居座ります。
「わたしがあんな人にバカにされる理由はない」
と思えば、怒りはさらにふくらんできます。
すると、些細なことにも腹が立ってきます。
急ぎの仕事を回されただけで、
「なんでわたしが」
と不快になります。
頼みごとを断られれば、
「みんな自分勝手だ」
と恨みます。
これが”感情的になっている”状態です。
一方の「腹が立つ」とか「悔しい」「憎い」と言った気持ちは、単なる感情です。
わたしたちは感情の生き物ですから、そんなものはごく自然なこころの動きなのです。
「こころの器」は、しょせん小さなもの
「感情を放っておく」というのは、気にしないということです。
怒ったり憎んだり悔しがったりするのは、だれにでもあることです。
でも、そのとき相手があなたへの悪意に満ちているとはかぎらないし、あなたをイヤな気持ちにさせようとしているとも限りません。
ましてあなたが気持ちの小さい人間だとか、ひがみっぽい性格と言うのでもありません。
ところが、イヤな感情に満たされるとそういう自分にすら嫌悪感をもつときがあります。
「こんなことで腹を立てる自分はどうかしている」
「あんなやつに振り回されるなんて、なさけない」
そんなことまで考えてしまうと、イヤな感情はしつこく残ります。
自己嫌悪まで加わるのですから、気分はすっかりブルーになります。
「なんでこんなに気分が悪いんだろう」と考え、
「あの人の態度に頭が来たんだ」と、気づけばまた腹が立ってきます。
そこで、人間はしょせん、感情的でちっぽけな存在だとみとめてしまいましょう。
だってその通りなのだから、しかたありません。
こころなんて広くないし、少しのことで泣いたり笑ったり怒ったりするものです。
それくらい、一時の感情に支配されやすいのがわたしたち人間なのです。
でも、こころが狭いとか、器が小さいということは、感情が入れ替わりやすいということです。
小さなスペースを占める怒りや憎しみの感情なんて、喜びの感情が生まれるだけでたちまち追い出されてしまいます。
職場で朝からずっとムシャクシャしていた人が、上司にひと言ほめられただけでたちまち笑顔になって張り切るようなものです。
このように感情はかんたんに入れ替わります。
イヤな感情に満たされても、そのことを気にしないで仕事を続けていれば、ほんの小さな「いいこと」で感情に入れ替わってしまうのです。
ムシャクシャしているときでも、その感情にこだわって周囲に当たり散らせば「いいこと」なんて起きません。
放っておいて目の前の作業をかたづけていれば(たとえムシャクシャしながらでも)、「そろそろランチだね」と声をかけてくれる人がいます。
「うん、行こうか」と返事をしたときには、ムシャクシャはもうなくなっているのです。
変えられるところから変えていけば「感情」も変わる
感情は姿が見えません。
たとえば他人の悪意といったところで、それがどれくらい大きくて根深いのか、じつのところわかりません。
そもそもほんとうに悪意があるのかどうかだってわからないのです。
自分の怒りも同じです。
カッとなったときには全身、怒りに包まれています。
でも、時間がたてば、その怒りは消えてしまいます。
もういちど、そのときの怒りの感情を取り戻すことはできません。
すると、「あれはなんだったのか」と思いますね。
「たしかにカッとなったけれど、どうしてあんなに怒ってしまったんだろう」と不思議な気持ちになります。
つまり感情にふり回されるというのは、姿かたちのないものにふり回されているのですから、自分でもわけがわからなくなています。
考えても答えが出ないものに悩まされていることになります。
そういう場合は放っておくしかありません。
そして、考えれば答えが出ることや、動けばかたちになることから手を付けるしかないのです。
これは、変えられることから変えていこうということです。
たとえば、仕事や作業です。
人と会う、どこかに出かける、デスクワークを処理する、予定を立てる、資料や情報を整理するといった日常業務は、動けばどんどん結果が出て片付いていきます。
それだけで気分がラクになりますから、イヤな感情も消えていきます。
あるいは日常習慣や行動です。
一番好きなスーツを着てみる、思い切ってヘアスタイルを変える、週末はレストランでゆっくり食事をしてみる、学生時代の友人と久しぶりにお酒を飲む、そんな程度のことで気分は大いに変わります。
できる範囲で現実に変化をもち込めば、感情も変化していきます。
つまり、姿かたちの見えない感情を相手にするのではなく、現実の中の変えられるものから変えていきましょう。
「感情を放っておく」とは、そういう意味なのです。
放っておいて、目の前の姿が見えることに集中する。
小さな器は、ちょっとしたうれしいことでまたいっぱいに満たされる。
そう思って、怒ってしまった感情も流してしまう。
そんなスキルで、今後もがんばりたいと思います。
今週も、おつかれさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。では、また。