時間は「命そのもの」と考える堀江貴文さん。
仕事の始まりの時候の挨拶よりも、本題に入ることを大事にしているとか。
時間だけは誰にも増やすことのできない有限の「命そのもの」と考えるからこそ、私たちはどう自分を生きているか、常に意識化する必要があると言います。
今回のキーワードは、「自分の時間」。
こんばんは、ラブです。
自分の時間を生きているのか
私たちは「自分の時間」を生きるのか、それとも「他人の時間」を活かされているのか、常に考える必要があるのです。
営業マンの無駄話につきわされているとき、あなたは「他人の時間」を生きています。
大好きな仲間と飲みに行くとき、あなたは「自分の時間」を生きています。
与えられた仕事をやらされているとき、あなたは「他人の時間」を生きています。
自ら生み出す仕事に臨んでいるとき、あなたは「自分の時間」を生きています
いずれの時間も、刻一刻とすぎていくのです。
今日という24時間をどう振り分けるか、という話です。
自分だけは死なないような錯覚を持つこともあります。
しかし、時間は永遠ではなく、残酷なほど有限なのです。
その有限なる時間を、つまりは命を、どう使っていくのか。無駄を減らしていけるのか。
そこをもっと真剣に考えること。
たとえば著者は、1日8時間の睡眠はとることを心がけています。
有限な時間だから、と睡眠時間を削ってしまうと、結局集中力が落ちてしまうから。
仕事の質は、ひとえに「集中力×時間」で決まるものだと著者は言います。
寝不足のぼんやりした頭で10時間働くよりも、集中力を極限まで高めて2時間働いた方が、ずっといい仕事ができるから。
集中力を高める方法を模索する方が、ずっと建設的で、成長も早い。
有限であるからこそ、時間の使い方に知恵を絞るのです。
人生には「いま」しかない
いま、10代や20代から老後や年金の心配をしている人がたくさんいます。
人生のロードマップを語る人も増えていると著者は言います。
しかし、著者はたとえば10年後や20年後の自分について、いっさいの計画を持っていないし、不安もないそうです。
食うに困らない資産を持っているからだ、と反発する人もいるけれど、そうではない。
冷静に考えてみると、あなたの老後、たとえば50年後のことを考えた時、なにかひとつでも確かな答えがあるのか、疑問ですよね。
50年後の日本の経済状態も、気候も地殻変動も、世界の状況、政治体制も、まったくわからないです。
これらの問いにどれだけ考えても、答えは出ないし、これを思い悩むのは非合理的です。
つまり私たちの人生には「いま」しかないのです。
過去を振り返っても事態は変わらず、未来におびえても先へは進めない。
かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。
わき目もふらず集中すること。
将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていきます。
だから著者は仕事をする上でも、できれば1か月、せめて半年くらいで結果が出るようなプロジェクトばかり動かしていたいと言います。
その範囲であれば、いろいろな計画も立てられるし、集中力をもって実行に動かしていけるからです。
10年かかる壮大なプロジェクトは、あまり興味が無いそうです。
長期にわたる計画は決まってずさんになるし、集中力もキープできないことが多い。
いつ終わるとも知れない長距離走よりも、はっきりとしたゴールが見える短距離走者として生きていきたいからです。
自分は10年後20年後もきっと間違いなく何かにハマっているという著者。
そして、誰にも負けないくらいの全速力で走っている。
けれどその「なにか」がどんなものであるのか、自分がどこで、誰と、なにをしているのか、まったく想像がつかないと言います。
それは不安ではなく、希望。
計画通りに進まず、先が見えないからこそ、人生は面白いのです。
バブル期のホリエモンは好きではありませんでした。
調子に乗ったヒルズ族なんだなぁ、と思っていました。
しかし、ゼロに戻りながらも全く目から光を失わない姿に、人間としての強さを感じて本を手に取りました。
生きる姿勢に勢いを持ち続けているこの人の言葉は、読んでいて心に火が灯ります。
短距離ランナー型だと自己分析し、いつか訪れる死も意識して生きています。
しかも全力疾走で。
「いま」を生きることに集中することだけが大事なんですね。
この人に「後ろなんか振り返る必要もない」と断言されると、過去の失敗に力を奪われがちな自分が馬鹿らしくなりました。
「自分の時間」をしっかり意識して、やりたいことにどんどん挑戦したいと思います。
今日も一日お疲れさまでした。
よい夢がみられますように。
では、また。