大事な本番をひかえているとき、いつもの実力を発揮したい・・・と願うものです。
しかし、では「自分のペース」「いつもの自分」というのは、果たしてどういうものなのでしょうか?
プロスポーツ選手ならば、「練習でうまくできている自分」でしょうけれど、わたしたちのような一般人にとっての「いつもの自分」は、正体がなかなかはっきりしません。
「いつもの自分」とは、どんなもの?
「いつもの自分」とは、
「ほどよいストレスで、余計な心配をせず自然に過ごせている」
といったあたりが指標になるかもしれません。
しかし、逆説的ですが、「いつもの自分」というのは、テンパったり、頭がまっしろになったりして「いつもの自分でなくなった」ときにしか、意識できないのかもしれません。
「いつもの自分」で落ち着いているときに「いつもの自分」を意識する必要がないからです。
「いつもの自分って何だろう?」と普段考えても、答えが出てこない可能性が大きいのです。
自分のベースラインを把握することが大事
双極性障害(躁うつ病)は、抑うつ状態もあれば、躁状態もあり、落ち着いた時期もある、変わりやすさがあります。
精神科医としてそうした患者さんに関わっている著者。
そうした患者さんの治療の上で、仕事先や家族などの近い人たちの情報から、「ベースライン」を把握することを大切にしているそうです。
わたしたち自身においても、自分にとっての普通のコンディション、自分の「ベースライン」をある程度感知することは大切です。
痛み、発熱、疲労は、生体の三大アラームと言われます。
特に疲労のアラームがうまく働いていれば、「今日は普段(=ベースライン)より疲れているから、ちょっと休もうかな」といった調整機能が働きます。
このベースラインへの調整機能をおかしくするのは、実は喜びとやる気を司る「ドーパミン」です。
たしかにドーパミンは、適度に働いていれば、モチベーションアップをさせる強い味方。
でも、疲労困憊していて、自分のベースラインを明らかに下回っているのに、「やり終えれば達成感が得られる」「まだまだ頑張れる」などと、疲れ果てている自分をだまして、さらに疲れさせてしまうという副作用もありうるのです。
過重労働による過労死、無謀なスポーツ練習に伴う突然死などは、ベースラインがわからなくなってきているうえに、ドーパミンに騙されて自身を酷使し続けた結果ともいえます。
「いつもの自分」というと、心理学だけでなく哲学的要素も入りかねないので、定義がむずかしくなります。
そうした意味では、疲れているかいないかで判断する「ベースライン」という基準がシンプルです。
ベースラインを下回っているときは、あれこれ考えるよりも、休息が一番です。
「いつもの自分」を深く考えても、見つけ出すのは難しいもの。
それよりも「自分のベースライン」の把握をすること。
それは、「疲れているか、いないか」という自己評価のためのシンプルな問いかけです。
仕事が充実していると、ドーパミンのおかげで疲れに気づきにくいですね。
でも、その楽しい仕事を続けるためにも、自分の「ベースライン」のセンサーに敏感でありたいですね。
ワタシは仕事とプライベートでかなりの年数を忙しく突っ走ってきましたが、成果が出て達成感を感じられるようになったころ、自分でも疲れを感じるセンサーがうまく働いていないことに気づきました。
「ベースライン」より下回っていても、疲れを感じないのです。
そうなってからだと、回復に時間がかかります。ロスが大きいです。
とは言っても、作業が軌道に乗っているときは、本当に楽しくて楽しくて、ドーパミン中毒になってしまうものです。
何だか小さなミスが多くなっている日であるとか、鏡や窓に映る自分の顔がやつれているとか、そんなことでも「ベースライン」に気づくことができると思います。
楽しく最高の仕事をしていくためにも、センサーは大事にしたいですね。
今日もおつかれさまでした。
ゆっくり休んで、最高の夢が見られますように。
では、また。