できると思っていたり、パートナーや子どもに期待していたことなどのアテが外れて「ガッカリしてしまう」ことがあります。
しかしその「ガッカリ」には、相手や自分に対する過度の期待による「依存」や「耽溺」になることを防止し、気づかないうちに「愛情の押し付け」をしてしまわないための大事なサインでもあるのです。
こんばんは、ラブです。
過剰になってしまった期待に気づく~人が失望してしまう理由
「期待する」って どういうこと?
よくあるドラマに、「お受験もの」がありますね。
母親同士の見栄の始まりから、塾講師の巧みな言葉、母親自体の持つコンプレックスの裏返しなどが混じり合い。
そして最後の頼みの綱である父親が傍観者だったりして。
子どもは母親に嫌われたくなくて、あるいは母親の期待に背かないように必死に努力していくけれど、壊れていってしまう・・・。
フィクションの演出過剰な描写もあります。
しかし、程度の差こそあれ「期待」が引き起こす問題は、似たような人間関係につきるものですよね。
そもそも期待する、というのはどういうことなのでしょう。
脳内には報酬系という部位があり、快感を覚えるとそこが活動し、幸福ホルモンであるドーパミンがたくさん出ます。
これが、「仕事がうまくいって気持ちがいい!」「掃除して部屋が片付いて気持ちいい!」など、自己完結していれば問題ありません。
しかし、やっかいなのは他人や自分でコントロールできないことに報酬を求めてしまうことです。
「報酬予測」というわたし達が何かアクションを起こすときの「やる気」は、予想される報酬の量に大きく影響を受けます。
早い話が、見返りが大きそうなら必死に頑張るし、そうでもないときはあまりモチベーションが上がりませんよね。
これはサルでも同じです。
ある実験で、サルに合図に反応して視線を特定の方向に動かすよう指示しました。
そして報酬(ジュース)の量と、神経を束ねる大脳基底核の「腹側淡蒼球」という部位の働きを調べました。
その結果、報酬(ジュース)が多いほど、大脳基底核の「腹側淡蒼球」は活発に活動したのです。
このことから、報酬の量は「やる気」をコントロールすることがわかりました。
「期待」はサルでもできるし、「やる気」が報酬の大きさに比例するのは、サルも一緒。
つまり報酬に応じてやる気が出る、というのは本能的な反応と言えるのです。
他人の頑張りを期待しすぎない
私たちは、日常的の報酬予測をしていますから、予想より報酬が大きければ大喜びし、報酬をくれる相手に好意を持ちます。
しかし、逆に少なければ憤りを感じ、「せっかくやったのに」「これだけ頑張ったのに」といった気持ちが湧きます。
報酬の量や相手の好意に期待しているときほど、その喜びも落胆も大きくなるのです。
期待してしまうのは、動物の本能ですから、仕方がありません。
しかし、大切なのはその程度です。
「人を信頼すること」と「何でもかんでも人任せにすること」は異なります。
他の人に対する大きすぎる期待は、期待をかけている相手自身に大きなプレッシャーを与えることになります。
親から受験などで変な期待をかけられた経験がある人はわかるかもしれません。
他人から「自分へのコンプレックスを反映した」期待などというものは、ドロドロした重いプレッシャーで、足かせ以外の何物でもありません。
また、期待通りにいかなかったときに大きなショックを受けるのは期待していた人自身にもなります。
それこそ「お受験」にすべてをかけている親子と一緒です。
過剰な期待というのは、ときに「依存」「耽溺」に変わることがあるのです。
それらは一度ハマってしまうと、なかなか自力で抜け出せないことがあります。
ですから、「期待外れ」を感じた時には、「黄色信号だな」と気づくことが大切です。
「愛情」と「押し付け」は全く違いますよね。
これを取り違えてしまわないように、何かにガッカリしたときは、「過剰に期待していたかもしれない」と振り返るチャンスです。
期待は自分にかけるものですよね。
たしかに自分へエネルギーを向ければ、失敗した時「自分自身」にガッカリするから、自分を傷つける怖さが生まれます。
ですが、だからといって他人に期待を向けるのだとしたら、向けられた方はたまらないし、卑怯ですよね。
子どもの「お受験」に必死になるエネルギーがあるママたちは、自分で資格を取るとかスキルを上げる努力をすればいいんですよ。
オリンピック選手が精一杯やってもメダルに手が届かなかったのを、メディアに酷く叩かれているのを見ると、「まず報道しているあなたがフルマラソンでも走ってから言ったらいい」と思っちゃいませんか。
応援することは、とても良いと思います。
けれど、他人の領域ならば、期待のし過ぎには要注意ですね。
花火大会の音が華やかな季節です。
オリンピックも楽しみですね!
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。