イライラや焦りは、怒りと同様に、自分の思い通りにならないときに生じるこころの動きですね。
「むしゃくしゃするキモチ」や「苛立ち」、「うざい」、「むかつく」どの感情。
イライラやこの焦燥感は、それだけ自分のエネルギーが強いことのあらわれとも解釈できるそうです。
焦りは自分のエネルギーの副産物
うつになってしまい、まったく元気の出なくなってしまった人は、イライラするエネルギーすらなくなってしまいます。
自分のエネルギー、あるいは自我が強くなりすぎると、ときにものごとは思うようにいかなくなります。
思いの強さ、思い込みの強さがあだになってしまうのです。
周囲と衝突し、イライラや焦りが生じてくるのは、この自我エネルギーによるところが大きいのではないでしょうか。
自我とイライラの脳科学
「自我」は、脳科学や神経科学でもなかなか切り込めない領域だそうです。
感情や思考ならば、心理実験である程度は試すことができます。
しかし、自我という捉えどころのないものには、科学的アプローチもまだ不十分、というのが現状だそうです。
ノーベル医学・生理学賞を受賞したの科学者のジョン・C・エックルス博士は、著者『自我と脳』の中で、脳と独立に存在する心・自我を想定し、脳と相互作用するという可能性を説きました。
脳科学者は心=脳という一元論ですので、このエックルスの意見は近代の神経科学の概念とはかけ離れていると言えます。
しかし、「自我」も神経科学から説明しようと試みたところが、デカルトなど心身二元論とは大きく異なるところです。
ネガティブな感情の発生源である偏桃体が活性化しているときにイライラするというメカニズムをあてはめて、心=脳という一元論で考えるのが、現代科学です。
しかし、脳や神経では説明が難しい「自我」という心理的な存在を想定した方が、二次上の焦りとつきあっていきやすいのかもしれません。
「電車が来ないなぁ」
「ネットがつながらない、時間がないのに!」
などと焦っているときは、「自我」が思いあがって、ものごとが自分の思い通りになるはずと考えているのです。
これが電車やネットならばどうということはありませんが、人間が相手となると始末の悪い話になります。
部下を思い通りに動かそうと無理難題を押し付けたり。
家族にわがままを言ったり・・・。
これをぶつけられては、相手もイライラしてくるのは言うまでもありません。
「自分の思う通りにいくわけがない」
「焦っているのは、自分の自我が子どものようにわがままを言い始めているから」
と、ちょっと立ち止まって考えなおすことができればしめたもの。
自我を少し縮小させることに成功したのです。
膨らんだ自我のダイエットともいえるかもしれません。
その意味では、こういう場合の自我は「慢心」と言い換えられるかもしれません。
こころの中で
「こうなるはず」
「かくあらねばならない」
という声が聴こえたら、イライラや焦りが起きているのかも。
焦っている自分のこころに気づくことができれば、原因も見えてきます。
その原因は、まわりよりも自分の自我が行き過ぎていることによって起きるのです。
感情の暴走を止めることは難儀ですが、それに「気づく」ことはできるかもしれません。
「成功させたい!」
「達成したい!」
「こうあってほしい!」
と強く願うことは、エネルギーになるし、いろいろ達成できて人生に充実感が溢れます。
でもそのエネルギーが暴走してしまうと、気づかないうちに周りに大迷惑をかけてしまうんですよね。
ワタシも「やりたいこと」と「自分ができること」の誤差に気づかず、大暴走して迷惑をかけて生きてきました。
がんばって色々成功していくと、つい調子に乗って「やれば何でもできる!」と思っちゃうんですね。
著者は「ときには『自分の思い通り』にはいかないものと、ネガティブに考えてみよう」とも書いています。
「こうなるはず」「こうでなければならない」と思い込みすぎない方が、気持が落ち着くと言います。
下で働いているうちはそれでも何とかなりますが、ある程度任される立場になったりするのならば、エネルギーの出力調整に気を付けたいものです。
明日は日曜日。
少しはのんびり休めるのでしょうか?
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。