2005年から2006年にかけて、調査会社ギャラップが実施した世論調査で、世界
121か国、12万5000人に対して、「昨日、多くのストレスを感じましたか?」という問いかけをしました。
「はい」と答えた人のパーセンテージから、国別に「ストレス指標」を算出したところ、驚くべき結果が出ました。
ストレス指標が高ければ高いほど、国も豊かだったという結果だったのです。
「昨日、多くのストレスを感じた」と答えた人が多い国ほど、平均寿命やGDP(国民総生産)が高かったのです。
「ストレス指標が高いほど、国民の幸福度や満足度も比較して高い」ということも、この調査は示していました。
ストレスを感じる人が多いことは、、「健康や仕事、生活水準やコミュニティーに満足している」人が多いことを意味しているのです。
調査は、さらに個人のレベルで幸福とストレスの関係について調べていました。
その結果、興味深いパターンが見られました。
ストレスを感じた日には、怒りや憂鬱、悲しみ、不安を感じやすくなっていました。
しかし同時に、ストレスを多く感じることは、喜びや愛、笑いを多く感じることも、関係していたのです。
ストレスを感じても気分が落ち込まない人は、自分の生活をほぼ理想的なものとみなしている傾向が強くありました。
著者はこれを「ストレスパラドックス」と呼んでいます。
「ストレスパラドックス」とは、「ストレスの多さは悩みと幸福感の両方にかかわっている」ということです。このパラドックスの結びつきは非常に複雑ですが、これを理解する1つの方法は、「ストレス」「悩み」「人生の意義」の間の関係性を見ることです。
ストレスが”人生の意義”につながる
別の大掛かりな研究では、サンプルとして抽出した全米の18~78歳の成人に、次のような質問をしました。
「『自分の人生はおおむね、有意義なものだ』という一文に、あなたはどれだけ賛同しますか?」。
そして、「賛同した人」と「賛同しなかった人」とでは、何が違ったのかを調べたのです。
そして”有意義な人生”を示すものは、何だったのでしょう?
意外にも「ストレス」が上位でした。
事実、すべてのストレスが”人生の意義”につながると、調査結果が示していたのです。
過去にストレスフルな出来事を数多く経験した人は、自分の人生を有意義と捉える傾向が強かったのです。
今現在、多くのストレスにさらされていると答えた人もまた、自分の人生を有意義なものと捉えていました。
未来を心配して過ごす時間さえも、過去に直面した努力や朝鮮を振り返るための時間として、意味があるものと捉えていたのです。
「ストレス」と「人生の意義」は、なぜこんなにも密接にかかわっているのでしょう。
まず第1に、ストレスは「重要な役割を果たそうとするときや、意義のある目標を追い求めた時に”必然的な結果”として起こるもの」と言えます。
人生の中で感じるストレスの”最たる原因”を尋ねると、仕事、子育て、人間関係、介護、そして健康がトップに来ます。
こうした出来事は私たちの生活にとって「最も有意義なこと」ではないにしても、たくさんの意味を人生にもたらしてくれます。
ストレスを感じることは「あなたの生活に何らかの問題がある」というサインであるというよりはむしろ、「個人的に意義のある役割や人間関係、目標にあなたがかかわっているか」のバロメーターになりうるのです。
人間は生まれながらにして、苦難を通して意味を見出そうとする本能と許容力があります。
本来、苦難に意義はありません。
しかし「意義を見出そうとする欲求」を生むきっかけになります。
このようにストレスは、個人の成長、精神的な探索、魂の探求を触発するものとなりうるのです。
”人生の意義”は、ストレス環境そのものにあるわけではなく、私たちの内部に呼び起されるプロセスにあるのです。
「人生に意義を見出すこと」は、ストレスに反応した結果です。
だからこそ、ストレスのある状況が往々にして”人生の意義”を生み出すのです。
ストレスを感じて生きていることは、「ダメなこと」と思っていましたが、どうやら「充実している証」であるようですね!
そう思うと、ストレスを感じることも怖くなくなる気がしました。
今週も、お疲れさまでした。
ストレス、感じて頑張ってきたのではないかと思います。
ストレスは良いのですが、身体はしっかり休めてあげてくださいね。
ゆっくり休んで、素敵な夢がいっぱい見られますように!
では、また。