毎日のたくさんの情報を眺めていると、気づかないうちに「人並み」や「流行」を追いかけてしまうもの。
私たちが本当に求めていた幸せって、そんなものだったんでしょうか?
忙しさの中で自分を見失いがちな時、曽野綾子さんの言葉は、いつも鋭く生きていくことの本質を教えてくれます!
こんばんは、ラブです。
1964年の東京オリンピックの年に、「為せば成る」という言葉が流行しました。
しかし、第2次大戦でわが子さえ差し出した日本が敗戦した姿を知っている筆者は、「私は騙されないぞ」という感慨を持ちます。
「青年は大志を抱くのもいいが、抱かないのも賢さなのだ」と著者はいいます。
分際とは「身の程」ということ。
財産でも才能でも、自分に与えられた量や質の限度を知りなさいということ。
「分際をわきまえて生きるだけで、それはその人の最高の生涯の一つの形である。」
いつも自分の力量を見誤って失敗してばかりの私にとって、曽野綾子さんの著書は大事な指南書です。
今、とても読まれている『人間の分際』から、すてきな言葉をいくつか紹介させていただきます。
人の生き方に口出しすべきではない
友人は、子供でも、親でも、夫でも、恋人ですらない。
それなのに時々、「あの人は評判が悪い人だから、付き合わない方がいいわよ。」と注意を受けたことがある。
しかし、夫でも父でも、息子でも兄でも愛人でもない人の評判など、どうして私は気にしなければならないのだろう。
その人の知り合いや友人だから、私を同類とみなすような単純な人なら、むしろ私はそちらの人と付き合わない方が無難ではなかろうか。
私は世間の誤解や雑音を覚悟のうえで、付き合いたい人と付き合ってきた。
人生はすべてのことに対価を支払わなければならない。
それが強い個性のある友人を持てた第一の秘訣ではないかと思う。
誰からも嫌われていない人は一人もいない
私は長い人生で二人から「あなたとは、もう付き合わない」とはっきり言われたんです。
私は仕方なく受け入れることにしました。
心ならずも結果的にそうなったら、それとなく相手から遠ざかり、相手の気分を悪くしない方がいいでしょう。
そして、私はあまりそのことを深く悲しまないようにしてきました。
他人をいじめる人の特徴
人をいじめるという性格は、一つの特徴を持っている。
強いように見えていて、実は、弱いのである。「自分は自分」という姿勢がとれない。
弱いと言っても病弱なのではない。
特に容姿が劣っているわけでもない。強いて言うと、当人に、「特徴」がないのである。
人間は誰でも、何か一つ特異なものを持っていれば、大らかな気分になれるものである。
誰もが他人のカンにさわるような生き方をしている
他人の生き方が気にならないためには、自分の生き方が、確実な選択のもとにある、という確信が要ります。
別に正しい生き方をしているという絶対の自信を持てということではありません。
こう生きるより仕方がない、という程度の見極めでいいのです。
たとえ貧乏をしていても、たまたま裕福であっても、その人にとってよく合った暮らし方というものはそうそう多いものではありません。
自分にとっていい生き方というのは、決して他人と同じに生きることではないのです。
「距離をとる」ことは人生の知恵
距離というものは、どれほど偉大な意味をもつことか
離れていさえすれば大抵のことから深く傷つけられることはない。
これは手品師の手品みたいに素晴らしい解決策だ。
人から褒められる生き方はくたびれる
私の実感では、人から一度褒められるようになったら後が大変だ、という気がする。
よく気が付く人だ、などと一度でも思われようものなら、ずっとそういう献身的な態度を要求される。
他人の美点に気づくことは才能である
他人の悪い点に気づくことはどんな凡人にもできる。
美点を見つけて褒めるということは、通常それほど簡単なものではない。
それを完璧に美しく果たすためには、私たちは常日頃、人間を見抜く眼を養っておく、いや研いでおかねばならないのである。
幸せは凡庸の中にある
私は長い間不眠症になり、神経科に通った。人間関係の重圧にへこたれ、夫も子供も捨ててどこかへ消えたいと思った。
しかし、夫と息子に支えられ、最低のところ二人のためだけに、明るいのんきな女になっていなけれあならない、と考えた。
偉くなくてもいい。
平凡な女房であり、母であればいい。
そして私は元気になった。そこには、他人に褒めてもらえるような華々しい、英雄的な闘いがあったわけでもない。
しかし、息子は母親が元気になってほっとしている。夫は何も言わないが一緒に酒を飲み、運動をしようとしてくれる。
私は再び凡庸こそ限りなく普遍的で美しいと思うのだ。
人間の残酷さや弱さを知り、表裏がある人こそ人間らしい、と表現する曽野綾子さん。
「やればできる」というのは、とんでもない思い上がりであり、無理が出て醜くなる、といいます。
人生に対しても、逆境は必ずあり、不幸こそが財産であり、この世の矛盾が人を育ててくれると説いています。
幸せについても、人に与えるこそが本物であり、感謝する人こそ幸せになり、不幸を知っているからこそ幸せがわかると書いています。
全編すばらしすぎて、書ききれません。
・・・
人間というものを、その分際以上に美化して考えてしまうことって危険なんですね。
実力以上のものを求めてしまい、相手にがっかりしたり、自分に失望してしまうのかもしれません。
裏表があることも、「人間らしい」一面として認め、誰にでもずるい一面があることを許して生きていくことで、勝手に他人や自分に要求してがっかりしたり、失望したりしないで済むのかもしれません。
あるがままに他人も自分も認めて生きられれば、もっと幸せなのかもしれない。
そんなことを思った次第です。
特に好きなのは、「幸せは凡庸の中にある」です!
当たり前の生活の中にある、本質的な幸せを大事にしていきたいですね~~。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んで、よい夢を・・・。
では、また。