日本人はまじめで思いつめやすい傾向があります。
そうした性質に合った「こころの健康法」のひとつとして、森田療法があります。
西洋の考え方をベースにした精神分析は、よほどうまく作用しないと日本人にすっきりこないからです。
森田療法の最終目的は、「あるがまま」になること、「純な心」になることであり、これは治療法を超えて「生き方」そのものへのアドバイスになっています。
著者も、小さなことに悩むタイプの完璧主義者だったのですが、「森田的生き方」で、ずいぶんよくなったそうです。
悩みや不安のない人はいない
悩まない秘訣は「気にしないことだ」と言う人がいます。
「他人にどう思われるかなんて、気にしなければいい」。
では、これで悩みは無くなるでしょうか?
「自分の可能性を信じよう」という言い方もあります。
しかし、目の前の現実は、少しぐらい頑張ってみても変化が無いものです。
そして、「がんばらなくてもいいんだよ」というものもあります。
しかし、これも、誰に言われるかによって違います。
ライバルや嫌いな人間だったら、受け止めかたも変わってしまいます。
ここまでは、著者の個人的感想ではあります。
これらの言葉は、一時的に不安や悩みを消してくれますが、またすぐに元に戻ることがあるのではないでしょうか。
誰でも、こころの奥にはかならずなにかの悩みや不安は持っています。
問いかければきっと「わたしもいろいろあるのよ」と答えるはずです。
それでも元気にやっているということです。
つまり、こころの健康な人は、ふだんの状態が元気で朗らかなのです。
だからたまに落ち込んでもすぐにもとに戻ります。
一方の悩みや不安につかまりやすい人は、ふだんの状態がクヨクヨと悩んだり神経質になったり、自信を持てないままに過ごしています。
だからたまに悩みや不安から抜け出したとしても、またすぐ元に戻ってしまいます。
悩むのは、人間として自然なことだと気づこう
著者は精神科の臨床医として、おもに精神分析学にもとづくカウンセリング療法と森田療法を学んできました。
カウンセリングでは、ひとりひとりに合わせてフロイトやコフートの精神分析をあてはめることもあれば、森田療法を試みることもあります。
森田療法が日本人に合っているという理由は2つです。
1つ目は、いまの時代が「悩まない生き方」や「他人とうまくやっていく方法」を求めるあまり、不自然なかたちで自分の悩みや不安を閉じ込めているから。
私たちが不安を感じるのはごく当然で、どの時代でも人間は悩みを抱え、不安と向き合ってきました。
「みんな悩んで大きくなった」ものなのです。
「気にするな」「今の自分のままでいい」と言うのは、悩みや不安を押さえよう、忘れようとする生き方になります。
それでうまくいくならいいのですが、実際は逆です。
私たちが悩んだり不安になったりするのは、自然なこと。
むしろ生きていくためには、必要なことだと考えるのです。
けっしてそれを取り除こうとはしません。
いわば、悩みや不安を抱えながら、それでも元気に生きていくのです。
森田療法の2つ目の特徴は、自分で学んで実行できることです。
森田療法の考え方、悩みや不安の受け止め方、日常生活で心がけることを学び、こころの健康を取り戻した人も大勢います。
この療法には資格はないので、だれでもエッセンスをつかめば誰もが試すことができます。
以前よりもたくましくて健康なこころを取り戻し、肯定的な人生観を身につけることができます。
愛されたい、好かれたいから悩みが生まれる
悩みを肯定的に受け止める考えから、説明がされています。
私たちは、さまざまな悩みを抱えますが、悩んでいるときには、そのことで頭がいっぱいになり、他のことが考えられなくなります。
たとえば、
「わたしは人前に出ると顔が赤くなって、何も言えばくなる」
と悩む人がいます。
では、なぜ顔が赤くなると困るのでしょうか。
「変に思われるから」。
では、変に思われると、なぜ困るのでしょうか?
悩みの理由を問い詰めていくと、結局根底には「愛されたい」「好かれたい」「わかってもらいたい」という欲望があるのです。
容姿の悩みも同じです。
生きたいという願望が、悩みの根源にある
病気への不安や悩みにも同じことが言えます。
「医者は異常はないというけれど、この息苦しさは、きっと何か原因があるはず」
そんな不安い取りつかれると、つぎつぎに悪い想像が浮かんでしまいます。
でも、誤解しないでください。
ここもやはり同じで、病気への不安や悩みもまた、生きたいという健全な欲望があるから生まれてくるのです。
将来への不安、いまの自分への不満、あるいは過去の自分を悔いたり悩んだりすることも、すべて同じです。
生きたい、できれば充実した人生を送りたいと考えるから悩んだり不安になったりすます。
つまり、悩みや不安は少しも不健全なことではなく、健全なこころがあるから生まれてくる当然の感情に過ぎないのです。
その悩みから目をそらしたり、不安を紛らしたりしても、生きたいという根本的願望や、あるいは人に好かれたい、わかってもらいたい、認められたいといった健全な欲望が消えてなくなることはありません。
そうなったら、困るのです。
受験生が成績が上がらず、悩んだとします。
いくら努力しても結果が出ない。
だから、志望校をぐっと下げて楽な生き方をすれば、楽な気持ちになるかと言うと、これは本当の自分の願望を否定したことになるだけです。
悩まない生き方を求めることで、より大きくて深い悩みにつかまってしまうのです。
些事に悩まず、大事に悩む
「思うように成績が伸びない。どうすれば合格ラインに行けるか」
そう思い悩むことは、勝ちがあります。
勉強法を見直す、細切れ時間の活用、得意科目や苦手科目の目標設定、過去問を10年さかのぼる、得意分野を確実に固める・・・・いくつかの答えが出てくるからです。
やってみても、そう簡単に結果は出ないし、試行錯誤もあるでしょう。
でも、その悩みは方向性として間違っていません。
それに比べて、「勉強に向いていないんじゃないか」「不合格になったら、みんなにバカにされる」と言った悩みは、どんなに悩んでも答えが出てきません。
たとえ答えが出ても「どうすれば合格できるか」という悩みに対しては何の答えにも名ていないのです。
人前での発表で顔が赤くなる人が、「だから私はだれとも付き合えないし、うまくやっていけない」と悩んでいたとしたら、どうでしょうか。
赤くならなければ、対人関係がうまくいくわけではないですよね?
つまりこの場合も、赤面することではなく、対人関係をうまくいかせるためにはどうしたらよいか悩めばいいのです。
悩み方が下手であったんだと気づくだけでもいい
些事に悩むことは、方向違いではあります。
しかし、悩み自体は健全な欲望から生まれてきているので、恥じることはありません。
ただ、悩み方が下手だったんだと気づくだけでいいのです。
ここで、つまらないことで悩む自分自身を否定したり、悩みを忘れるために気を紛らわすことだけ考えるようになると、せっかくの健全な欲望をごまかしてしまいます。
デリケートで思いやりのある人は、繊細な感受性があるがゆえに、人とのかかわりで悩みが出てしまうものなのです。
ちょっとした他人のしぐさに気づくので、悩んでしまうのです。
鈍感な人なら、捕まることのないちょっとした行き違いにも、悩んでしまう。
つまり、小さなことで悩むのは、その人の長所や魅力が裏目に出ているだけなのです。
つまり、頑張り屋さんは執着心が強かったり、頑固だったりするので、思うように仕事が進まずに悩んだり。
チャランポランな人なら、何も悩みませんよね。
自分のことばが他人を傷つけた悩む人も同じです。
「嫌われてもいい」と考えるのは、その人の長所や魅力を否定することになります。
だから、悩んでしまうのです。
そういう自分を恥じたり、否定する必要は全くないのです。
悩みを持ったまま、あるがままに生きる
悩みに対する森田療法の基本的な考え方は、「あるがままに生きる」こと。
悩みや不安を解消しようとか、取り除こうとかするのではなく、それを持ったまま生きることです。
どんな悩みにも、その根源には私たちの健全な欲望や願望があります。
「よりよくいきたい」と願うから、私たちは悩み、生きている限り不安が生まれます。
否定する必要は全くないのです。
問題は、悩み方です。
どんな悩みかたをするかによって、私たちは成長できなかったり、こころの健康を保てなかったりします。
解決できない、答えの出ないことで悩むのはちょっとお休みです。
たとえば、「試験に落ちたらどうしよう」「みんなからバカにされる」は、下手な悩み方です。
「どうやったら合格できるか」と悩むのが、建設的な悩み方です。
だから、あなたが今、悩みや不安に取りつかれて悲観的な気持ちになっているとしも、気にすることはありません。
どうか、悩んでいるあなたを嫌ったり、大切な夢や希望を捨てたりしないでください。
悩み方を間違えて、ほんのちょっとうろうろしているだけなのです。
今週もお疲れさまでした。
暑い日が続いていますね。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。