あなたは何のために仕事をしますか?
刑務所での作業であっても、なお仕事に対するスタンスを見失わない堀江貴文さん。
「仕事ダイスキ人間」の著者による、仕事の楽しみ方の紹介です。
こんな風に仕事を楽しんでいけたら、人生はもう何も怖くないのかもしれません。
今回のキーワードは「稼ぐ」。
こんばんは、ラブです。
あなたは何のために働くのか
世間から「ヒルズ族」と呼ばれていたライブドア時代、分刻みのスケジュールで働く著者を見て、
「もう一生かかっても使い切れないくらいのお金を手にしたんだから、リタイアしてのんびり暮らせばいいじゃないですか。
それとも、まだお金が欲しいんですか?」
という質問がよくされたそうです。
この質問の意図は要するに、仕事に対して「カネさえあれば、仕事なんか今すぐやめたい」と思っているということ。
裏を返せば「働く理由はカネ」ということになります。
あなたにとっての仕事はどんなもので、あなたは何のために働いていますか?
働くことは「なにかを我慢すること」でしょうか?
給料を「我慢と引き換えに受け取る対価」でしょうか?
そう思ってしまうならば、「人生がねずみ色になってしまう」と著者は警告しています。
人生の中で、仕事はもっとも多くの時間を投じるもののひとつです。
それを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えてももったいないのです。
お金から自由になる生き方
どうして「宝くじで1等が当たったら、仕事を辞めて南の島でのんびりしたい」という発想がでてくるのか。
どうしてそんなに、仕事が嫌になるのか、そこには理由があるのです。
多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているからです。
とりあえず定時に出社して、とりあえず昼食を30分ですませ、大して忙しくなくてもサービス残業をする。
定時で帰らないで大事な「時間」を差し出すことで、やる気アピールをして、給料をもらう。
プライベートを削ってサービス残業の時間を差し出しているから、仕事に縛られ、お金に縛られているという感覚が強くなるのは当然のことです。
これは「労働」の代わりに「時間」を提供する人にとって、永遠について回る課題です。
著者のおすすめのスタンスとしては、「お金(給料)とは『もらうもの』ではなく、『稼ぐもの』である」というもの。
「時間を差し出して、月末に給料が振り込まれる」、というものでは働いていても楽しくないからです。
たとえ会社員でも、自らの給料を「稼ぐ」という意識を持つこと。
そして、積極的に稼いでいくためには、自分は「時間」以外の何を提供できるのか、もっと真剣に考えることです。
これからの時間、時間以外に提供可能なリソースを持つことは重要なのです。
仕事が忙しいとか、お金が足りないといった悩みは、ひょっとした表層的な問題にすぎないのかもしれません。
人生が豊かになっていかない根本原因は、なにより「時間」だと著者は言います。
有限かつ貴重な時間を無条件で差し出さざるを得ない状況。
時間以外のリソースを持っていない状況が根本原因なのです。
だから、お金を「稼ぐ」仕事にして、お金から自由になるために働くこと。
著者も20代から収入という意味ではなく、仕事に対する意識が変わり、働き方が変わったことで、お金から自由になりました。
どんな仕事にも「やりがい」はある
著者の考えでは、やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくるもの」です。
そして、どんな仕事であっても、そこにやりがいを見出すことはできると言います。
著者は刑務所の懲役での作業を経験しました。
そこには「懲罰としての仕事」が課せられます。
誰もができる単純作業があり、理不尽な上司ともいうべき先輩受刑者がいました。
無地の紙袋をひたすら追っていく作業でした。
与えられたノルマは1日50個。
担当者からレクチャーを受け、早速開始しましたが、その1日目はラクそうに見えた作業も時間内にノルマを達成するので精一杯でした。
悔しすぎる結果でした。
そこで、レクチャーされたやり方の改善点を見つけ、折り目の付け方や紙袋の角度の変更を工夫。
担当者から教わったやり方をゼロベースで見直し、自分なりに創意工夫した結果、3日後には79個折れるようになります。
仕事の喜びは、こういうところから始まると著者は言います。
もしこれが、マニュアル通りの折り方で50枚のノルマをこなすだけだったら、楽しいことは1つもないでしょう。
いわゆる「与えられた仕事」なのです。
しかし、マニュアル(前例)通りにことすのではなく、もっとうまくできる方法を自分の頭で考える。
仮説を立て、実践し、試行錯誤を繰り返す。
そうした 能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくりだす仕事」に変わっていくのです。
仕事とは、誰かに与えられるものではないのです。
紙袋檻のような単純作業でさえ、自らの手で作っていくものなのです。
そのあと、長野刑務所に移送されてからは、介護衛生係という仕事に就きます。
高齢受刑者や身体障がい受刑者らの世話をする、介護士みたいな仕事です。
お風呂の解除からおむつの世話、掃除、洗濯、散髪、ひげそり、何でもしました。
積極的に「やりたい仕事」ではなかったけれど、高齢受刑者の身体を起こしてあげるコツや、バリカンを使った散髪テクニックなど、自分の成長を実感することは楽しかったそうです。
どんな仕事にもやりがいを見出すことはできるのですね。
「仕事をつくる」とは、なにも新規事業を立ち上げることだけを指すのではないのです。
能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことです。
全ては仕事に対する取り組み方の問題です。
やりがいを作るのも自分なら、やりがいを見失うのも自分。
どんな仕事も、楽しくできるのですね。
仕事を好きになるたったひとつの方法
人はなにかに「没頭」することができたとき、その対象を好きになることができます。
スーパーマリオに没頭する小学生は、ゲームを好きになっていく。
ギターに没頭する高校生は、音楽が好きになっていく。
読書に没頭する大学生は、本を好きになっていく。
そして営業に没頭する営業マンは、仕事が好きになっていく。
ここで大切なのは順番です。
人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではないのです。
順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のです。
心の中に「好き」に芽生えさせる
「好き」という感情が芽生えてくる前に、必ず「没頭」という忘我があります。
読書に夢中で電車を乗り過ごしたとか、気が付くと何時間も立っていたとか。
そうした無我夢中の体験をしないままに好きになることは基本的にないし、没頭してしまえばいつのまにか好きになっていきます。
つまり、仕事が嫌いだと思っている人は、ただの経験不足なのです。
仕事に没頭した経験が無い、無我夢中になったことが無い、そこまでのめり込んだことが無い、それだけのことです。
もちろん、仕事や勉強はそう簡単に没頭できるものではありません。
たとえば著者も大学時代にはまり込んだギャンブルならば、わかりやすい刺激と報酬、そして快感がセットになっています。
脳科学的にも人をたやすく没頭させるメカニズムになっています。
近年のソーシャルゲームもそうでしょう。
しかし、仕事や勉強にはそうした「没頭させるメカニズム」が用意されていません。
ものごとにハマりやすい著者でも、学校の勉強がおもしろくない時期が長く、新聞配達のアルバイトもまったくおもしろいものではありませんでした。
没頭させるためのルール
では、どうすれば没頭することができるのか。
著者の経験から言えるのは、「自分の手でルールを作ること」だそうです。
受験勉強を例にとるならば、著者は東大の英語対策に、ひたすら英単語をマスターする道を選びました。
文法は後回しにして、例文も含めて1冊丸ごと暗記していったのです。
これが英語教師からの指示だったら、反発していたかもしれません。
しかし、自分で作ったルール、プランだったら、納得感を持って取り組むことができるし、やらざるを得ない。
受動的な「やらされる勉強」ではなく「やる勉強」になるのです。
会社経営、紙袋折りまで、自分でいつもプランを練り、自分だけのルールを作り、ひたすら自分を信じて実践してきた著者。
ルール作りのポイントは、とにかく「遠くを見ない」ことだそうです。
受験勉強もたとえば東大合格といった「将来の目標」を意識し続けるのではなく、まずは「1日2ページ」というノルマを自分に課し、来る日も来る日も「今日の目標」を達成することだけを考える。
人は基本的に怠け者だと考える著者。
長期的で大き目標を掲げると、迷いや気のゆるみが生じて、うまく没頭できなくなると言います。
そこで「今日1日」にぎりぎり達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標に向かって猛ダッシュしていくのです。
これはフルマラソンと100m走の関係に似ていると言います。
フルマラソンに挫折する人は多いけれど、100m走の途中で挫折する人はいません。
どんなに根気のない人でも、100mなら集中力を切らさず駆け抜けられるはずです。
ペース配分なんかいらない。
余力を残す必要なんかない。
遠くを見すぎず、「今日という1日」を、あるいは「目の前の1時間」を、100m走のつもりで全力疾走することを著者はすすめています。
「その瞬間瞬間を踊るように生きる」とアドラー心理学でも言っていました。
さすがホリエモン、言うことが実践的ですね。
そして、叩かれても全てをなくしても、なお生きることに対してテンションが高い。
どんな失敗も、それを踏み台にして次に進むその一歩の踏み出し方を指南してくれます
す。
気温が高くなってきました。
よく休んでくださいね。
明日もあなたにとって、最高の1日になりますように!
では、また。