ワタシは、よく嫉妬してしまう方です。
仕事やプライベートで、「あんな風になれればなぁ」と思うと、ついうらやましくなってしまいます。
でも、そんな感情を持ってしまう自分が嫌いです。
そこで今回は、そんな嫌な感情である「嫉妬」から「学んでしまう」方法です。
ハーバードで教鞭をとっている著者でさえも、嫉妬をします。
会社向けセミナーを友人としていて、友人が雄弁に聴衆を引き付けられている姿に、後悔し始めました。
彼に嫉妬を感じてしまい、著者は3日間ほとんど眠れませんでした。
ついに著者は、自分が感じていることを彼に話ました。
本心を打ち明け、アドバイスを求めると、なんと彼もまた著者が教えている様子を見て嫉妬を感じたというのです。
著者と友人は、互いの嫉妬の経験を語り合いました。
わかったことは、嫉妬は自然な感情であり、ある意味避けられないものだということでした。
友人も著者も嫉妬をしないようにするのは無理なことでしたが、その後どのように行動するかを選ぶことが出来ました。
最初の洗濯としては、この感情的な反応を拒絶するか、受け入れるか、つまりそれを抑制してしまうか、見つめるかを選ぶというものです。
次の選択としては、最初の衝動に従って協力することを止めるか、またはそれを乗り越えてさらに協力関係を築こうとするかという選択。
私たちが最初の選択で、嫉妬の感情を受け入れることを選べば、次の選択をするのは非常に簡単です。
負の感情を抑制しようとすればするほど、その感情は激しさを増し、私たちを支配してしまうことを、私たちは体験的に知っています。
私たちは感情と理性の生き物です。
いったん何かの感情をもったら、その感情をもった理由を必要とします。
感情的反応の本当の原因に向き合い、自分の中の嫌な感情を認めなければ、不快に感じ角は相手の欠点のせいだと思うことでしょう。
私たちは自分のことを悪く思いたくないばかりに、相手の方が悪いのだとして非難してしまいがちなのです。
あなたはどんな時に、嫉妬や妬みを感じたのでしょう。
いま感じている嫉妬はありますか。
その感情を観察し、それを変えようとはせずに受け入れ、適切な行動をとれば、どんなことが起こると思いますか?
アクション:妬みの対象を知る
望ましくない考えちゃ感情を抑制することには、多くの害があります。
心理学者のレオナルド・ニューマンらは「防衛的投影」に関する研究で、「自分の欠点を認めたくない場合、人は他者にも同じような欠点を見つけようとする」としています。
こうした考え方は「つきまとうもの」となり、実際には誰しもそうした欠点を持っていなくても、つねに周りの人の中にそうした欠点を探すようになります。
あなたが嫉妬や妬みを感じたことを5つリストアップしてください。
ここ数週間に起こったこと、またはずっと前のこと、どちらでも構いません。
その状況を関係のある人たちと話し合ったり、そのときの気持ちを書いたりしてみましょう。
すると、嫉妬や妬みの感情が和らぎ、その気持ちを手放すことが出来るようになります。
心理学者ウィリアム・ジェイムズは言っています。
「起こったことを認めることが、不運な出来事を克服する第一歩となる」。
「書く」ということで、とても大きな嫌な感情を消化していくことができます。
このブログを書くようになって、10代のころからずっとひっかかっていたはずのいじめられた苦しい記憶や両親と上手くいっていなかった傷などを、すっかり忘れかけていたことに最近気づきました。
嫉妬の感情を人と話し合う?というのは、なかなか日本人には馴染まないかもしれない、と思うので、書いてみるのが現実的な手段かもしれません。
今週も、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。