「感情的になりつつも我慢している」という状態は、決して忍耐強さを意味するものではありません。
努力家を意味するものでもありません。
努力家、とはもっと違うものです。
本物の努力家は、他者から見てその人が努力家に映るとしても、自分を努力家だと”感じていない”人も少なくありません。
どうして彼らは、自分を努力家だと”感じていない”のでしょう。
こんばんは、ラブです。
努力家は努力していない?
たとえば、毎朝忙しい時間の合間をぬってメディアなどで必要な最新情報をキャッチしている人がいます。
自分なりの情報をソーシャルメディアなどで毎日流している人たちもいます。
ウォーキングやジョギングを毎日やらずにはいられない人もいます。
通勤や通学の時間まで使って、がんがん本を読破していく人もいます。
彼らは「ほぼ毎日、継続的にする」ことが実行できるのでしょうか。
もちろん、それをするのが楽しいからです。
それをしているとき、満足感や充実感を覚えるからです。
彼らの情熱に対して、第三者は努力家という言葉を冠したり、場合によっては「変わっている」と称したりするかもしれませんが、もとより彼らは周りの評価など気にしないでいられる人たちでしょう。
力を発揮するカギは「感情→意志→行動」の流れにある
その原動力は、お分かりの通り「感情」からです。
「私がしたい。私が望んでいる。私がしたいから、こうしないではいられない」
という自分の欲求です。
意志と行動の源泉は、決して「思考」による「しなければならない」から出発しているのではありません。
「しなければならない」からスタートしても、自分の気持ちや感情に反していれば、結局はそれに反している気持ちや感情が「意志を持つ」ことになるのです。
それよりも、たとえば「食べたい。眠りたい。飾りたい。写真を撮りたい。書きたい。あれがしたい。これが欲しい」といった、小さな欲求や希望を満たしてあげること。
小さな自分の願いをかなえてあげよう、といったふうに、自分の感情や欲求を満たしてあげること。
そこから、
「私はこれをしよう」
という「意志」が生まれます。
「感情と意志」こそが「行動する」ための原動力となります。
そして行動すれば行動するほど、充実していくので、結果第三者の目に努力家と映っているだけなのです。
プラスの”実感”が”自信の感覚”
「感情→意志→行動」のステップで動けば動くほど、充実感や満足感を覚えます。
自信というのは「自己信頼」です。
自分の気持ちや感情を大事にできた経験やその実感が、大きな自信に育っていくのです。
言い換えれば「自分を愛する」ことでもあります。
”私”を愛する行為から生まれる充実感や満足感の”実感”がエネルギーの解放です。
こんなプラスの”実感”が”自信の感覚”でもあるのです。
しかも、感情を解放すると、私たちの中にある無意識がどんどん肯定的に作用するので、いっそう能力も高くなるというプラスのスパイラルになっていくのです。
「自分に対してケチらない」ようにして過ごしているときの方が、じょうずにダイエットできているなぁ、と思います。
これも「感情を解放」できているから、継続力や実行力が出ているのかも。
毎日のちょっとした「感情」って、大事にキャッチしていきたいですね。
仕事していると、自分を後回しにするクセばかりついてしまいがちです。
今日もお疲れさまでした。
すてきな夢がみられますように~!
では、また。