世界で一番言いづらい言葉は、「アイ・ラブ・ユー」だといわれていました。
でも著者はそうじゃないと、心から叫びたいのです。
「アイ・ドント・ノー」と言うほうが、ほとんどの人にとってはずっと難しいのです。
これは、とても残念なことだと著者は言います。
自分が何を知らないかを認めない限り、必要なことを学べるはずがないのだから。
あなたは「知っている」と思い込んでいる
では、「知っている」とはどんなことなのでしょう。
一言で知識と言ってもいろいろなレベルや種類があります。
知識のピラミッドの頂点にあるのが、「既知の事実」とよばれる、科学的な事実として検証可能な知識があります。
その下の層にあるのが「信念」、つまり一人ひとりが本当だと信じているけれど、簡単には検証できないものです。
こういった問題は論争の余地が大きいもの。
たとえば、悪魔は本当にいるのか?
この質問は、ある国際的な調査で聞かれ、調査対象国のうち信じる人の割合で見た悪魔信仰の強い5か国は、次のようになりました。
1位 マルタ(84.5%)
2位 北アイルランド(75.6%)
3位 アメリカ(69.1%)
4位 アイルランド(55.3%)
5位 カナダ(42.9%)
そして悪魔を信じる人の割合が一番低い5か国は、次の通り。
1位 ラトビア(9.1%)
2位 ブルガリア(9.6%)
3位 デンマーク(10.4%)
4位 スウェーデン(12.0%)
5位 チェコ(12.8%)
こんな簡単な質問の答えが、どうしてここまで大きく分かれるのでしょうか?
ラトビア人かマルタ人のどちらかが、自分が知っていると思っていることを、本当は知らないということになります。
他にも、信念とも事実とも言い切れない質問を考えてみましょう。
9・11のアメリカへのテロ攻撃は、アラブ人のグループが実行したというニュースが報道されていますが、これは本当だと思いますか?
この本を読んでいる人は、ばかげた当たり前のことと思うでしょうが、ところが、これをイスラム諸国で質問すると、アラブ人が実行したと信じていたのは、全体のわずか20%。
クウェートでは11%、パキスタンでは4%に過ぎませんでした。
(じゃあ、いったい誰が実行したのかという質問には、「イスラエル人」「アメリカ政府」「イスラム教徒以外のテロリスト」という答えが多かった)
問題解決は「事実」だけを集めるだけではできない
そんなわけで、「知っている」ことが、政治的見解や宗教観に色濃く影響されることがわかりました。
それに、経済学者エドワード・クレイザーは「自分の金銭的、政治的利益を増やすために自説を発信する」政治や宗教指導者がうじゃうじゃいると指摘しています。
これだけでも十分大きな問題です。
しかし、みんなが自分の知っている以上のことを知ったかぶりしていると、問題はますます大きくなります。
「銃乱射事件を防止するにはどうしたらよいのか」
「アメリカを忌み嫌う、あの中東の独裁者がこのまま権力の座に居続けたらどうなる?」
こういう問題にこたえようと思ったら、事実を山ほど集めただけじゃ何もなりません。
判断力や直感、それにものごとが最終的にこうなるという推測が必要です。
おまけにいろいろな因果関係が働くので、何か対策をとると、遠く離れたところにわかりにくい影響が出たりします。
それなのに世の中の専門家は、それも政治家や企業系医者だけでなく、スポーツ評論家や株の”神様”、気象予報士も、未来がどうなるか、大体わかっています、と言います。
こういう人たちは本当に確信をもってそう言っているのでしょうか?
「得」をするから、知ったかぶりをする
知ったかぶりが悪影響を及ぼすことを知りながらも、人は「知りません」と白状したときのダメージを考え、知ったかぶりを続けてしまいます。
例の一世一代のPKを決めようとしているサッカー選手の話を思い出してください。
真ん中を狙えば成功率は高いけれど、隅を狙った方が自分の評判が傷つくリスクが小さい。
だから、隅をめがけてシュートする。
知らない、と白状してまぬけだとか負け犬だと思われたい。
知ったかぶりをしたいというインセンティブは、とても強いのです。
「評価」を決めているものの正体を見抜く
そうしたことを実証するため、実験が行われました。
料理とワインンお評論家で、神経科学、法律、フランス料理を学んだロビン・ゴールドスタインが、全米17の会場で数か月かけて目隠しでワインの試飲会を催しました。500人のワイン初心者からソムリエやワイン醸造業者にワインを飲んでもらいました。
1本1ドル65セントのワインから150ドルのワインまで、523種類のワイン。
このときの試飲には、試飲者にもワインを注ぐ人にも、銘柄や値段を伏せて行いました。
それぞれの評価をつけさせたところ、高級なワインほどたくさん点数を稼いだか?と言ったら答えは「ノー」でした。
ゴールドスタインによれば、試飲者は平均すると、「高いワインを安いワインに比べて、ほんの少し『おいしくない』と感じた」といいます。
ワインを買うとき、ラベルの見た目で決めてしまうことってないでしょうか?
ゴールドスタインはこの実験をしたことで、ワイン業界で異端の烙印を押されかけていましたが、ダメ押しで別の実験を行いました。
ワイン評論家が与える評価や賞の信頼性を考えたのです。
業界で一番有力な専門誌「ワイン・スペクター」は、何千種類ものワインを品評し、「有料生産者による選り抜きのワインのなかから、メニューのテーマに値段の上でもスタイルの上でも見合ったワインを取りそろえた」レストランに優秀賞を授けています。
このお墨付きレストランは、世界でも3、4千軒。
この賞の価値を探ろうとゴールドスタインは思いました。
そこでミラノに架空のレストランをでっちあげ、偽のウェブサイトを用意。
曰く「なんともさえない新感覚イタリアン・レシピを面白おかしく組み合わせた」偽のメニューを載せました。
確かめようとしたことは、2つ。
1つは、ワイン・スペクター優秀賞をとるには、いいワインをそろえなくちゃいけないのか?
もう一つは、受賞するにはレストランは実在する必要があるのか?
ゴールドスタインは偽レストランの架空のワインリストを異常なほど念入りにこしらえました。
レストランのとっておきの高級ワインンが並ぶ「リザーブリスト」には、とくにひどいワインを選んだのです。
この中には「ワイン・スペクター」が100点で評価した15種類のワインが入っていました。
彼がリザーブリストに選んだ15本は、「ワイン・スペクター」では評価の低い75点。
ある銘柄は「野卑なにおいと腐った味」、別の銘柄は「まるで塗料用シンナーかマニキュア液を飲んでいるよう」とこき下ろされていました。
1995年のカベルネ・ソーヴィニヨンは「何かがおかしい・・・・金くさい味がする」という評価。
これをゴールドスタインのリザーブリストでは、このワインに120ユーロ(1万7000円)。
15本の平均は180ユーロ(2万6000円)でした。
でも、なぜそんな店がワイン・スペクター優秀賞を狙えるとゴールドスタインは確信していたのでしょう?
「ぼくが立てた仮説は、250ドルの手数料を払うことが、応募の肝心な部分だってことだ」と彼は言います。
そんなわけでゴールドスタインは小切手と応募用紙とワインリストを送りました。
ほどなくしてミラノの偽レストランの留守番電話に、ニューヨークの「ワイン・スペクター」から、電話が入りました。
優秀賞の受賞でした!
おまけにおまけに、「受賞店を発表する次号に広告を載せませんか」というお誘いのメッセージまで吹き込まれていました。
「わからない」という難しいけれど効果的な戦略
そもそも、この手の「賞」にマーケティングの戦略の側面があることぐらいわかりきっているさ、とあなたは思っているかもしれません。
それに高いワインが必ずしもおいしくないということも、お見通しかもしれません。
しかし、ものごとが「当たり前」と思われるようになすのは、「あと」になってから。
つまり、誰かが時間と労力をかけてそれを調べ、その正しさや誤りを証明してからです。
知らないはずの答えを知っているかのようにふるまうのをやめなければ、調べたいという強い思いがわいてきませんよね。
知ったかぶりをしたいというインセンティブはとても強いから、それに打ち勝つには勇気を振り絞る必要があります。
今度答えられるふりしかできないような質問をされたら、まず「わかりません」と言ってみましょう。
そして忘れず、「でも、調べてみたらわかるかもしれません」とフォローしましょう。
それからベストを尽くして調べてみる。
すると、正直な告白を前向きに受け取ってくれる人がこんなにも多いのかと、びっくりすることでしょう。
次の日か次の週に、きちんとした答えを返せればなおよいのです。
たとえ、知らないことをボスに笑われたり、どう頑張っても答えが出せなくても、もう一つ戦略的メリットがあります。
たとえばあなたはすでに何度か「わかりません」と言っていたとします。
今度どうしても手も足も出ない状況になったら、とりあえず出まかせでも何かを答えてみましょう。
きっとみんな信じてくれます。
だって、あなたは正直に認めるという、イカれたことをやった前歴があるのですから。
職場だって、戦略を使わない手はないのです。
寒さに体力を奪われやすい季節です。
風邪などひいてはいませんか?
暖かくして、楽しいことを思い出して、素敵な眠りが訪れますように。
では、また。