いわゆる「ネガティブな感情」は、どれもあなたにサインを出しています。
どんな感情も、あなたを守るために備わったものだったのですね。
つい「ネガティブな感情は持ってはいけない」と怖がりがちでしたが、押し殺さなくても良いようです。
サインとしてそのまま受け止めたり、現状から回復していくプロセスを必要としている自分に気づくこと。
「ありのままの感情とどう取り組もうか」と考えることが大切なようです。
こんばんは、ラブです。
「寂しさ」との向き合い方
「寂しさ」は「つながり」が途絶えているサイン
寂しいと人恋しくなる、という人は多いと思いますが、一般に「孤独=寂しい」と思われていますね。
しかし、実際には人と一緒にいても寂しさを感じることは、案外多いものではないでしょうか。
自分と感性の違う人と一緒にいると、物理的には賑やかでも、精神的には寂しかったりしませんか。
人間は社会的な動物なので、基本的には「つながり」を求めていますし、「つながり」の中で生きています。
その「つながり」が感じられないとき、私たちは「寂しさ」を感じるのです。
それはもちろん「外面的なつながり」ではなく、「内面的なつながり」です。
「外面的なつながり」は、単に一緒にいることや、親しい関係として知られること。
それに対して「内面的なつながり」は、ありのままの自分をさらけ出しても安心して受け入れてもらえる関係のことを言います。
たとえば、「ひとりでいるのが寂しいから、あまり好きではない異性と交際を繰り返している」場合。
ここでは、外面的なつながりだけを求めていて、「あまり好きではない異性」であるために、かえって寂しさが深まってしまいますよね。
また、「家でひとりでいると寂しくてたまらなくなる」「このまま一生独身で生きていくのかと思うと寂しい」という思いに囚われてしまう場合。
これは、「ひとりでいること=寂しい」という思い込みに焦点が置かれています。
「親しい誰か」が自分に与えられない限り、寂しさというのは解消されないのでしょうか?
そんなことはありませんよね。
「つながり」とは何か?
もちろん、人との内面的なつながりは多くを与えてくれます。
しかし「内面的なつながり」とは、親しい「パートナー」から与えられなくても大丈夫なのです。
ひとり暮らしでも、独身でも、冷えきった夫婦でも、感じられるものなのです。
知っておきたいのは、つながりは与えられるものではなく、与えるもの、ということです。
もちろん「内面的つながり」が今後どこからかできてくる可能性はあります。
しかし現状を今すぐ変えたいのであれば、現れるかわからない相手や、変わってくれるかわからない相手のことを待ち続けるよりも、あなたを変えることが現実的です。
自分のどこかに「つながりにくい何か」があるのかもしれません。
たとえば、相手がせっかく行為を示してくれるのに、「どうせこんな私なんか、好かれるはずがない」と思って心を閉ざす習慣がある、などです。
「誰か」がいなくても、つながりは手に入る
物理的な(外面的な)つながり、というのは、あっても無くても気にしなくていいのです。
パートナーもいない天涯孤独であっても、同居しているだけの冷たい家族といても、つながりは日々感じることができます。
たとえば、少額の寄付をして、恵まれない子供に思いをはせる。
毎日自分の生活を支えてくれるアパートを「いつもありがとう」と思って優しく掃除をする。
近所の人ににこやかに挨拶をする。
太陽を見て、それがくれる温かさに感謝する。
このように、人に対してもものに対しても、自分から心を開いて、与える気持ちで優しく接すると、「寂しさ」は無くなってきます。
意識を変えることで、「寂しさ」は手放せる
「パートナーがいない自分はつながりがない」というところに注目して、「パートナーがほしい」というふうに考えている限り、「寂しさ」は無くなりません。
なぜなら、最初の例にもあったように、パートナーが必ずしも「内面的つながり」であるとは、まったく限らないからです。
パートナーのある無しに注目してしまうと、「外面的つながり」にばかり気を取られてしまいます。
しかし、幸いなことに、「つながり」は自分で作り出していくことができるのです。
心を開くと「内面的つながり」ができる
自分を支える住まいを「いつもありがとう」と心を込めて掃除するとき、そこには間違いなくつながりがあります。
自分の中からぽかぽかと出てくる温かい気持ち、それがここでいう「つながり」です。
「つながりがほしい」ではなく「つながりは自分で作る」に意識が変わると、「寂しさ」を手放すことができます。
「自分の心が開いているかどうか」です
「自分の心が開いている」ということは、自己防衛をしていないということ。
寂しさは「疎外」と深い関係のある感情なので、疎外されていると思うと寂しさを感じるでしょう。
しかし、自分の心が開いている限り、本当の「疎外感」は味わえません。
相手がいくら心を閉ざしても、それを「何か事情があるのだろうな」「こんなふうにしか人と関われないなんて、気の毒だな」という目で見ることができている限り、相手とあなたはつながっています。
心を閉ざしている相手に対しても、ぽかぽかとした思いを向けられれば、少なくともあなた側は「つながり」を感じられるのです。
たとえば会社帰りに皆で飲みに行くらしいのに、自分だけ声をかけてもらえないというとき。
普通に考えれば、寂しさを感じて当然の状況です。
でも、「まったく子どもじゃあるまいし、もう少し配慮できないかな」と苦笑してしまえば、心を閉じずにいられます。
「自分が疎外された」と思えば、家に帰ってからも落ち込んだ気持ちを引きずってしまうかもしれませんが、「まったく子どもっぽい」と思えれば、「大人のワタシはその時間に、お風呂で読書してゆっくりくつろがせてもらうね」と気持ちを切り替えることができるでしょう。
台風が過ぎると、また陽射しが戻ってきますね。
身体に気を付けてください。
では、また。